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格闘技のプロじゃないし、生業じゃないです。だから負けちゃいけないんです。

コロナ盛況の中、2度目のプロルールマッチです。


サッカーを15年近くやってましたが、いつも心のどこかでずっと格闘技に憧れてきました。いつかやってみたい、いつか大晦日のテレビで観てた人達に近づきたい、あんな風になってみたい。ひっそりだけど確実にそんな気持ちがあったんです。

ずっとやってきたサッカー生活も終わり、大学でずっとエスカレーター式に育ってきた環境から卒業したと同時に格闘技を始めました。もっと早く踏み出してれば、と思うことはありました。よくよく考えれば惰性でサッカーも勉強もやらされてた気がしたのです。

初めて強く「こうなりたい」とか気持ちに芽生えた瞬間でした。実際に小学校の卒業文集で書いていたプロスポーツ選手を目指してやってきて、プロとしてデビューする事もできました。

ですが、前回の試合から二ヶ月ずっと違和感があった。初めてプロとしてリングに上がった事で、永遠にプロファイターになれない・自分が憧れたような格闘家にはなれない気が強くなったのです。同じような生き様を遂げる自信がないからだ。詳しく書いていきます。

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カウンターカルチャー・芸事の世界にいる2つの人種

まず、プロファイター、プロとは、2パターンの人種がいると思ってます。特にサッカーや野球とは違う、カウンターカルチャーの世界では。

一つ目の人種は、貧しいとかそれしか自分の人生を救えないとか、それで生きるしかなかった人達。

二つ目は、生業以外のあらゆる事を捨てて、自分の名前で生きる事に全てを懸けている人達。

本物のプロ、生業として生きている人達はこの2種類なんだと思ったのです。

やはり、プロとは、家計、家族、生活、今までの取組、思想、存在、キャリア、未来、人生、全てをそれに賭ける。だから、その土俵で全てを勝つ事で証明しなければいけないし、負ける事=社会的な死(自分という存在価値が全否定される事)そういう厳しい世界だと思うのです。そういう存在同士が全てをかけて闘うからこそ、刹那的な闘いになるし、感動したり絶望したりできるのだといちファンとして再認識したのです。

自分は前回負けて失うものはあったのか?負けても、普通の日常に戻れたんじゃないだろうか?それはプロなのか?

では、自分は何か?

前回、仮に自分が負けていたとしても、失うものは自分の恥とかそんなもんでしょう。リスクをかけていないから、負けても失うものは少ないはずです。負けても、明日からの道があった気がする。

さっき言ったどちらの人種にも当てはまってないです。幸か不幸か、格闘技をやらないといけていけない、環境に生まれませんでした。平均以上には良い環境で教育を受けたし、グレて学校をサボった事も、飯が食えなくて困った事も無いです。

だからこそ、ラッパーの般若やボクシングの坂本博之みたいな壮絶な人生の中で、マイクや拳一つに人生を賭ける、それでしか人生をひっくり返せない、みたいな生き死にの勝負をしている存在にとても惹かれてきたのです。これはバックグラウンドに因る所が大きくて、特に不便なく温室で生きてきた事実は変えれないからこそ、これをやるか死ぬかの覚悟が運命的に決まって生き続けてる人達、アンダーグラウンドからのし上がって地上に出てきて人生全てをひっくり返すような存在は、永遠に憧れなのだ。

それに、やっぱコンプラとかルールとか同調圧力が厳しくなるにつれて、はみ出しモノ達による過激でロックな世界は、味濃く感じられるようになってきてる気がします。社会でどんなクズと言われようとも、成り上がり、一発逆転、人生証明できる最後の砦として存在する、そういうカウンターカルチャーは最高にクールです。

全てを捨てれる覚悟や度胸はあろうか?

二つ目の人種は、「普通の」生まれの人でも、なることは可能でしょう。生まれが貧乏でも、アングラ育ちでなくても、家族がメチャメチャでも関係ないでしょう。

ただ、あらゆる全てを捨てて、自分の生業を優先できれば。

逆にナチュラルボーンに生きる道を選んでない分、執着と偏愛が狂気じみてる気がします。ヒップホップで言えば、般若からラスボスを受け継いだcreepy nutsのような。僕が最も憧れている総合格闘技の世界チャンピオン青木真也さんはこのタイプの人だと思います。

例え、安定した職業を得ていても、業界全体が冬の時代であろうとも、チャンピオンでになっても「普通」の収入以下だったとしても、子供がいたとしてもそれら全てを捨てて、そこに飛び込めるかどうか。青木さんは全部それを乗り越えてきた生き証人なのです。そんな青木さんは、プロについてこんなことを言ってます。

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狂気を持つこと。ヨカタでいないこと。

これが人生で考えたときに必ずしも正解だとは思わないけれど、狂気を持つことで表現は一段上に上がると思うし、表現者であるのであれば、「普通」の生活を求めるなんて都合が良すぎると思うのです。格闘技もやりたいけど、リスクを背負いたくないし、飯もそれなりに食いたいなんて、甘くないし甘いものであってほしくもないです。いい部分だけもらいたいと考える恥ずかしい人種が増えたことが、格闘技を素人のやるものにしてしまった気がします。

まさに自分のことです。オリンピック金メダルとか、甲子園とか、国立劇場とか、そういう社会でオーソライズドされて、頂点に立てばとかプロになればある程度の安定が見込めるメジャー競技をやっている人たちからすればなんて排他的なんだと思うのかもしれません。けど、そういう世界もあるんだと言うことです。

HIPHOPにおけるCreepy Nuts。普通に生きてきた人間がHIPHOPなんて…を完全に破った人たち

格闘技のプロに憧れてなりたいと思ってきた、でも生活やキャリアすべてのリソースを割いているわけではない。月10万円以下で食えなくなってもいいから、格闘技をやれるのか?家族を捨ててでもやれるのか?リングの勝敗だけで人生が決まるシビアな世界で生きれるのか?大成したとしてもまともに食えるか分からない世界で、リスクヘッジなんか考えず暗闇の中を一生歩き続けられるのか?

そういう事を問われた時に自分は完全に怖気づいてしまうのです。つまり、完全に青木さんの言うヨカタ(自分の名前で食べていない人、一般社会の人)な訳です。

格闘技は大好きだけれども、今後も全てを投げだしてまで格闘技をやれるような踏ん切りがつくかというと、そこそこに理性が働いてしまって踏み出せない気がします。そこまで気狂いになれないし、それなりに賢く生きるクセがついてしまっているから。

だから、一生プロ、生業にはなれないし、永遠にプロファイターは追い求めても同じラインに立てないし、憧れな存在のままなのです。一種の絶望だけど、憧れを憧れのままで留めておく事も悪いことではない気はする。creepy nutsも「ヒップホップ=アングラな人達が人生をひっくり返せる唯一の場所」という暗黙のルール、文化にし苦悩しつつ、それを跳ね返そうとしてきた生き様に、僕はとても共感するのです。

彼らは大学にも行ってたし、普通に生活する事ができた人間。ヒップホップ本道の人達から「なにヨカタがヒップホップなんかやっちゃってくれてんの、舐めてんの」という風に見られたのでしょう。実際に、creepy nutsはそういう業界の目線とか慣習とか文化とかに、ずっと苦悩し続けてきたと思うのです。

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「(格差や不平等が蔓延る)アメリカだからヒップホップが生まれた。」と言われますが、そういう運命や世界に生まれてない人が、ヒップホップに入り込むことは全く歓迎されないし、良しとされないと思うのです。そんな自分のカルマや運命に苦悩しつつも「みんなちがってみんないい」とか「生業」という、ある意味ヒップホップシーンに対する挑戦的かつスタンス証明的な曲を出し、ラップバトルで日本一になり、世界一のDJと日本一のラッパーによる最強のヒップホップユニットとして徐々に認められたのです。彼らのストーリーに少し希望を持てたりする。

踏み出したからには、投げ出さない。プロじゃないからこそ、負けちゃいけない。反証するために。

自分のように普通に生きている人間がなす芸事じゃない、格闘技のヨカタ化が格闘技のアイデンティティーや魅力を損ねている。カウンターカルチャーの独特の風土を理解できるからこそ、改めてこの世界でプロのリングに軽々しく入るべきじゃなかった、といち格闘技ファンとして客観的に見たときに、自責はあるのです。

でも、かといってここで引くわけにはいかない。ここでやめたらただの見物客で土足で踏みにじっただけになってしまうのだから。踏み入れた以上はやり抜かないといけないし、逃げ出すことは許されない。

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格闘技をやっている人達が、周囲が、成し遂げられないだろうと思っていることを何かひとつ、ひっくり返すまでは。この世界に踏み入れたからには、周りが思っているようにただのヨカタで果ててはいけない、ひっくり返すことが自分の存在証明になる。それが一つ贖罪になるのではと思っています

プロじゃない自分の身の程を弁えつつ、格闘技の試合を重ねる事で、自分の運命に楯つきたい。ある程度はもう変えられないけど、ある程度はまだ未来に委ねられている。これから、プロルールマッチの格闘技の試合を重ねる中で、届いてるようで全く届かない憧れの存在に少しでも近づけてたらなお嬉しい。

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終わりが何かはわからない、けど振り返った時に、なにか一個でも代表作と言えるものを作りたい。プロではないからこそ全てを賭けているプロに絶対に負けられない。「やっぱお前みたいな人生ぬるま湯使ってきたヤツが、やるもんじゃねぇんだよ」と言わせたくないから。

プロじゃないけど、プロじゃないなりの、勝たなきゃいけない理由がある。そう思ってます。

掛けられた意味、期待、義務。全てをリングの上で跳ね返せたら

まず今日。負けられる訳がないです。ふざけんなよ、やっぱり無理だよとか言わせないからな。

コロナ盛況の中自分の試合を目当てに決して安くないチケット買って応援に来てくれる事、プロモーターから第8試合に置いてもらった事、師匠から「あの知らん相手に負けたら恥だと覚悟して挑んでくれ」と言われた事の意味、期待、義務。全部有り難く受け止めて、リングの上で全て跳ね返そうと思います。

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メインイベンターじゃないけど、応援してくれる人にとってはメインイベンター。プロと自称はしないけど、外から見る人にとってはプロ。それを受け止めて闘わねばなりません。殺されたくないから殺す、怖いからこそ先に刺す。

頑張りますって言葉は要らないし、頑張りましたって言葉は言ってはいけない。今日の試合を、見てください。ありがとう。


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