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観るもの、やるものの尻を叩いた大会Road to ONE 3rd

9/10に渋谷のO-EASTで開催されたONE・abema大会。煽りVやポスター、もちろん記者会見でも狂気を感じ続けた大会で、その余韻がものすごい。今回の大会のコピーは「覚悟を決めろよ。」だが、まさかここまで観客側もなにか怖いものを見る・受け入れる覚悟が要るとは思わなかった。。

​「今」を重ねる事で、点が線=ストーリーへと変わるんだと再確認


試合前にはプロレス・格闘技ファンの方とお茶をした。自分はもともとプロレスをテレビで見てきた世代ではないので格闘技は好きだけどプロレスはサッパリと言う感じだったが、この方に熱烈に「プロレスも嫌いにならないでください、少しでも見てもらえたら嬉しいです。」と言われ続けたのに負けて、そこからだった。自分がプロレスの世界を覗くようになったのは。

そんな方と話していて、なんで自分が格闘技をファンとして追う事に夢中になっているのかという自分の原点をハッと再認識した。それは、「今という一点(出来事)を追い続けていくことでしか、線(ストーリー)が浮かび上がらないから」という事だ。だから、今をキャッチし続けたくなる。

例えばサッカーや野球でもリーグ戦があるので、そういうものを想像すると分かりやすいだろう。2008年のチェルシーはCLの決勝でキャプテンのテリーがPKを外して宿敵マンチェスターUに負けたんだけど、数年後にはバイエルンとの決勝戦でラスト5分で追いつきPK戦の上、初めてヨーロッパ1位になったんだよなあ。あの時、実はキャプテンのテリーは累積警告でベンチ外で出れなかったのも、またエモいなあ。みたいな。

そういう楽しみ方って、数年単位で何かを追わないと見えてこないと思うのです。だから、自分はプロレスが好きでそのストーリーを追いたいんだけど、プロレスは完全にテレビ全盛のコンテンツなもんで映像とかが残ってないから、どうしても点をかいつまむことしかできない。その時代にいた人みたいに、面として、線として歴史を感じ、楽しむことができない。

だからこそ、同時代にある格闘技はちゃんと追っていきたい。(ちゃんともちろん、競技としても好きだし色んな技術を盗みたいっていうのもあるけど。)これは多分、自分の人生においても通ずる部分だとも思った。今をやりきらずして、背伸びして将来設計とか未来のビジョンとかばっか言ってても、多分そういう人は振り返ったら足腰が弱くなにも残っていないんじゃないだろうか。

出る人、観る人すべてに対して突き刺してきてくるものがあった大会。

そんなかんだで、会場に到着。会場が2、300人規模といったところ。しかも、二階席だとケージ全体をのぞき込むような形になる。物理的距離以上に、リングにから近く感じる。会場内の音楽や映像の効果もあってか、観客側もふんずりかえって「いいもの見せてくれよ」とは言えない、ピリついた空気感がある。看板のないお寿司屋さんに入ったような緊張感かも。行ったことないけど。

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それは、やっぱりこの大会の主役・青木真也が創り上げた世界観がそうさせているんだろう。青木さんは「この大会は片道切符の修羅の道。お前らがファンだっていうのなら、迎えに来いよ。復路はお前らだかんな。そのくらいの覚悟を持っておれと関われよ。」って試合前に言っていた。そんな観客までも覚悟を要する狂気性がここまでリアルで、肌から感じることになるとは思ってもいなかった。。見ている側の自分自身もどこか緊張し、胃に石が詰まっているような感覚になる。そんな経験、今までなかった。やっぱり、青木真也という存在は狂人だ。

でも、そこまで観客を動かすことが出来る存在は、他のスポーツ・芸能をみてもほぼいない気がする。やっぱり、それだけ刺激的な人だ。コンプライアンスだの世論警察が厳しくなってくる中で、他の表現者と言われる人達でもマネジメント会社とか業界とか世間的な潮流とかの顔色やルールをに縛られてしまう側面が強い。けども、あの人だけはなにもそういうものに乗っかっていない、まさにガチモンのロックだ。

多分だけど、コロナ全盛の4月にSTAY HOMEに対して、正面切って反発した人を僕は知らない。発言の善し悪しとか正しい正しくないとかは、もちろん賛否両論あるし「自」粛だった限り、どっちも正解だ。だからこそ、それを言うこと自体に意味があったと思うし、より青木真也の真髄が出た気がする。

プロのリングに上がる事が一気に怖くなってきた。あんな孤独で残酷な場所に立つことが

自分のプロデビュー戦も10/25と遠くない。自分の試合前最後の格闘技観戦だった。劇薬を入れられた気がする。メインの青木さんにビンタされた気がする。

この大会がそういう世界観だったのもあると思うけど、初めて観る側からやる側として観戦した事で怖くなったのかもしれない。やる側としての覚悟は足りてるか?お前みたいな中途半端なパンピーのヨカタごときがやってけるモンじゃねぇんだよ。お遊びでやってんなら辞めちまえよ。そんな風に言われたようだった

自分がリングに上がるシーンを投影しながら観戦していたら、急に怖くなった。やっぱりあそこのケージに入っていった人達はみんなタフだ。背負っているものが大きい、それを乗り越えてケージに入るだけでも本当に猛者だと思う。

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頭では理解していた格闘技の恐ろしさを身をもって体感した。急にあんな人達と対峙するなんてと思うと、檻の中にライオンと閉じ込められるような絶望感になった。リングの上って本当に孤独で、残酷な場所だ。正直にアマチュアと違ってプロのルールで闘う事ってどうなんだろうと、胸が高鳴っていた部分はあるけど、一気にブルーになった。

でも、初めて自分を投影しながら観戦する事で、今までは興奮して拍手していたノックアウトにも恐怖を感じたし、あのリングに上がるが怖くなった。何も背負ってないくせに。好きでやってるだけのくせに。憧れだけのくせに。なんか怖すぎて途中から、うなだれるというか、試合を直視できなくなってしまった。

結局は、自助論。自分を助けられる実力と自信を持てるかどうか。

なんだか正しく鼻っ柱を折られて、よかった気がする。プロのファイトする事に、リングに上がる事に正しく恐怖心を抱いて、それらを抱くからこそ突き動かされて必死になって日々の取り組みができる。ちゃんとスイッチが入った。

人生で初めてリングに上がる瞬間まではきっと、ずっと恐怖心があるだろう。けれども、ゴングが鳴ったら、それを捨てて、覚悟を決めて、殺しにくる相手をこっちが殺してやるぜくらいの気持ちで闘う。そのモードに入るためには、恐怖心を取り払うためには、練習だ。もちろん頭を使わず練習する事は非効率的だけど、どんだけ戦略を立てても結局自信を持って前に進めるかどうかはどれだけ必死に取り組んだかなんだと思う。

憧れとか好きとか温いもんだけじゃダメだ。ビビる事、そしてそれを乗り越える事。それしかないと分かってよかった。




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