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日本の伝統音楽とつながる新しい音楽の作曲方法を求めて~いくつかの民謡三味線の伴奏を解析して考えてみた仮説としての「日本和声」の一部(追記あり 2023 0827)

追記 230827

久々に、自分が書いたこの記事を読んで思ったのは、 まず現在日本の伝統音楽は、様々な音階論によって「中心音」の考え方が多様であり、その部分にある程度の決着がつかない限り、発展的な部分を行うのは難しいと考えられます。
もちろん私は作曲がしたいが為にこの研究を行っているので、現状でも作曲できる要素を使って作曲はしていますが、より厳密なルールを発見したいという私の欲望はまだ満ちておりません。

私は日本の和声理論について現在検討する必要はないと感じています。 私は「和声」とは、音楽の縦と横の軸を両方コントロールして音楽を構築する方法だと考えています。
今回、日本の伝統音楽において注目したいのは、音階論が多く論じられている民謡と長唄です。 それらの音楽において、和声という考え方とは大きく異なる構造が存在すると思います。音程の積層が音楽の構造に重要視されているわけではないと感じます。

何が言いたいのかというと、日本の伝統音楽(特に民謡と長唄に興味があります)を研究して新しい音楽を作る場合、海外の音楽理論をそのまま適用する必要はないと考えています。
和音自体は魅力的なもので、コードの進行がなくても多様な効果が期待できるため、和音を単なる「音色」として用いることは興味深い試みになるでしょう。それは和音を作る事によって様々な倍音を形成し、日本の伝統音楽にて経験的に感じられる「音色への意識」に新しい方向性を与えられると思います。

私は「構造」という言葉に関しては、例えば「人間、猫、魚に共通する性質によって形成される基本的な枠組み」と捉えています。
これは生物学的な厳密性に欠けるかもしれませんが、目や口、骨、脳、排泄器官、消化器官、酸素の取り込みなど、多くの共通点が存在します。
これらを更に細分化することで、それぞれの生物の独自性が明らかになると考えています。

例えば、「民謡、長唄、雅楽、箏曲」に共通する要素を探る場合、音色に共通点があるかもしれませんが、それは周波数成分の話であり、音階やリズムの共通性の方が明らかにわかりやすいものであるし、実際それらには共通点が存在します。
したがって、音色よりもまず、どのような音階やリズムが用いられているかを調査することが重要だと思いますし、まず中心音があると考えるならば、それを機械的に判断する方法を見つけるべきだと考えます。

はじめに

こんにちはkengoshimizです。
今日は解析をもとに想像力を自由に使った、
仮説としての日本和声のさわりをnoteに残しておきます。
これらは民謡三味線のごく一部から考えられるものなので、
全体に適用できるとは考えられませんが、、、。

まず、前回のブログに宮音終止、徴音終止について書いてあった気がしますので、そちらをご覧になるととっつきやすいと思います。

さらに、とてもふざけたように見える仮説ですので、面白半分で読んでもらえると嬉しいです。

前提として

まず、三味線の伴奏を解析するとわかるのですが、何かしらの和声に対して伴奏がついているのではなく、あくまでもメロディーに対して別の音がついているのが三味線の伴奏では見られると考えています。

ここでは便宜上コードと書きますが、「コードからメロディ」というアプローチではなく、「メロディーに対して何かしらコードのようなものをつける」というアプローチが前提となっています。

この部分に関して考えると、将来的にはどちらのアプローチもあった方が面白いと思うので、メロディ以外の骨格としての「日本の何かしら和声のような理論」があるといいなと思いますが、解析結果はメロディーに対してのアプローチなので、一旦そちらで進みたいと思います。

また、ここでの例は全てレが宮音、ラが徴音として考えています。

結果としてどんなものが考えられたか

宮音終止の場合

このような進行が考えられました。
まず、本調子の三味線ではこのように重音がつく場合があります。
また、上行2度、つまりドからレに進むことで解決感を得ることが可能な場合についてです。

例はおてもやん。ちなみにおてもやんの音階については師匠の宮内さんと議論していて、
正しい譜面は5度下かもしれない。
これは議論前の写真。おてもやんは二つの音階が考えられるかもしれない。
とりあえずレァソラドの音階として話を進める。

これは二上りでも三下りでも見ることがあります。
二上りや三下りだと、宮音終止の時の重音がオクターブとなって出てくる場合が多いように見られます。

この曲は三下り(ラレソの調弦)

また二上りだと宮音終止の音に「ラ」がつく場合があるのですが、それについては少し別の仮説があるので、後ほど。

導音の説明からすると、レとドは短七度ですが、2度で出現する場合があります。ここで5度や4度を使った導音の進行も考えられますが、それらを使うと解決感を得ることが難しくなります(並進行的な動きになってしまう。)

ちなみに今回は上行2度の場合についてですが、下行短2度(ミ♭⇨レ)、
下行2度(ミ⇨レ)や下行短3度(ファ⇨レ)なんかも起こるので、その辺りもいずれは考える必要がありますね、、、
下行2度は二上りの宮音終止の「ラ」と関係があると考えています。

話が逸れましたが、この場合一旦5度から離れる必要があると考えました。
それを可能にするのが、メロディーに対して音がアプローチされているという観察結果です。
これはあくまでも創作的な、想像力を働かせた和音なのでわざわざ音階内から作る必要がないと考えました。
つまり、メロディーに対して「短7度及び2度の音程がスタックされている」ので、そのアプローチを積極的に行ったのです。

低いレと、ドの間には、「全音音階」が挟まれています。

そして、この後説明する徴音終止も、徴音ラに対して、レが付けられています。つまり、宮音と徴音には「積極的に5度を積層する」発想を行いました。ソとラが2度の関係になってしまいますが、これに関しては「ソ、レ、ラ」の三音以上に5度を積層しませんでした。
レが宮音の場合ではミは下行導音として考えられるので、終止音の範囲に含めることに問題を感じました。
宮音と徴音の終止で出てくる音なら2度になっても問題ないという考え方です。

もう一度載せますが、このようなスタックが浮かんだわけですが、実際禁則という禁則はいまだに発見できていません。というかこれがそもそも日本の和声として使えるとは思っていませんが、積極的なスタックと、メロディーに対してのアプローチの二点ではこのような考え方も可能です。

宮音終止の場合

徴音終止も基本的には全く同じ構造で、それどころか徴音終止でも終止の音の重なり自体は全く一緒です。

では何が違うかといえば、徴音終止で導音っぽい働きをするソにつくラから考えられる「積極的なスタック」時の「全音音階」が「半音違う」部分です。

構造的には全く同じように配置していますが、その際に含まれる音が異なる音階から生まれてくるという状況です。

実はこのスタディとして作った日本和声が、音階に対して全く違う考え方を与えてくれました。
というのも

5音音階は7音もしくは12音音階のうちから5音を選んだものだと考えていましたが、2つの全音音階から音を取り出したとも考えられます。

全音音階についてのこと

これは師匠の宮内さんの音階論を、二つの全音音階に重なる部分を色分けして見たものですが、
こうしてみると、まだ何がどうとは言えませんが例えば、
「上行導音は必ず同じ全音音階内にある」だとか、「宮音と徴音は別種の全音音階だから、違ったように感じる」だとか、そんなものがうっすらぼんやりと見えてきます。
7音音階では単一の音階内に起こる現象を、西洋音楽の理論を踏まえて考えてしまいがちになりますし、それは比較になるのですが、全音音階はその特性上、「隣り合う全ての音程との関係が一緒」だったり「半音が含まれない」ために、「日本だけでないさまざまな音階を比較して考える場合の機能を比較する場合に「12音という細かく、かつ半音が含まれている音階」よりわかりやすく比較検討できるのでは、と、この和声を想像していながら辿り着きました。

これをどう活かせばいいのかは少し考えなければいけませんし、だいぶ本題からは逸れていますが、なんだか重要そうだったので書いておきます。

終わりに

今回は三味線の重音から考えられる和声?から、全音音階についての考察をメモするという、題の逸れたよくわからない記事になりました。
あくまでも今回の和声?は現段階の重音から考えられるものだけなので、これが正しいわけではないですが、誰か使って見てください。

ちなみに私が使うとこんな感じになりました。(このおてもやんでは上記のおてもやんとは違う音階の考え方で進行を作っているように見えますね。)

おしまい。

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