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不幸を嘆いた30分後に幸せに気づいた僕でした

「非常識な人とか失礼な人でも幸せな人もたくさんいるよね」
「変なこと言うね。けんごは今幸せじゃないの?」
「うん、幸せじゃない」
「どうしてそう思うの?」
「どうして……」

母との会話の中で、僕は今幸せじゃないとはっきり言った。ためらいはなかった。
なのに、「なんで幸せじゃないって思うの?」と問いかけられて、答えがすぐに浮かばなかった。
不幸せだと感じる理由が、自分でもよくわからなかった。

「自立した生活ができてない。一人暮らしできてないから。」と答えた。
それは常々思ってることだったけど、絞り出した答えは不幸せの理由のほんの一部でしかなかった。

不幸せだと、そうはっきり感じてるのに、そう思う理由がわからない。

(ん?もしかして、ほんとは不幸せじゃないのか?)

その可能性が出てきて僕は思いつくままにノートに書き出した。

たしかに、仕事に行けてる、それなりの健康は保ててる、ごはんは食べれてる、話せるし、歩けるし、できることはたくさんある。
好きな人もいた。叶わなかったけど、好きの気持ちを思い出させてくれた。

でも不幸せだと言った。
結婚してないから?
友達がいないから?
仕事は短時間でしか働けてないから?
理由は後付けな気がする。

なんとなく不幸せなんだ。
なんとなく、僕はこれでいいと思ってない。

恥ずかしいんだ。
みんなと同じようにできてないことが。
自立や結婚というライフステージを踏めずに大人になりきれないことが恥ずかしいんだ。

でも、それだから不幸なのか?

そもそも「幸せか不幸せか」のどっちかなの?
どっちかでしか答えられないなら、それはゼロか100かの考え方でとても健康的じゃない考え方だ。

人生はグラデーション。
ちょっと幸せかも、今日は不幸せマシマシ、でも幸せを感じる瞬間もある。
そんなあいまいではっきりしないのが本当かもしれない。

「幸せ」にフォーカスすれば、幸せを感じる。
美味しいラーメンにお腹が満たされること、暖かい毛布に包まれること、挨拶したら笑顔で返してくれる人がいること、それを幸せと感じるなら、それは自分の幸せ。

幸せって本来主観的なものなはずなのに、新婚の人に向かって「今が一番幸せだね」とか「幸せになってね」とか、なんか変だ。

結婚しても幸せじゃない人もいるし、仕事してなくても毎日幸せを感じてる人もいる。
幸せは他人が決められるものじゃない。
幸せは自分のもの。

僕は僕自身の感覚で幸せを感じることができる。

結論が出ていた。

案外、今幸せだ。
僕は不幸せではなかった。
正確には不幸せ100%では、なかった。

不幸せだと感じる理由を考え始めたのに、30分後には幸せを感じてるって変な現象が起きた。

なんだこれは。

幸せって、やっぱり状況でも環境でも能力でも他人からの評価でもなくて、それを幸せだと感じる心のことかもしれない。

きっとこれからも「幸せじゃない」と強く感じてつらいときは何度も来ると思うけど、あくまで幸せじゃないんじゃなくて、「今幸せじゃないと心が感じてる」ってことだと思い出そう。


双極性障害の影響もあるのか、僕には幸せを感じやすい時期と、幸せを感じられなくなる時期がある。
幸せを感じられないのは本当につらいことだけど、幸せじゃないと感じる自分を受け止めて生きていこうと思う。

その方が僕は嬉しい。


今日も拙い文章でした。
最後までありがとうございました。

あなたが幸せを感じる瞬間が一瞬でも多く訪れますように。

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