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辰年に因んで龍と竜

辰年に因んで龍と竜

2月に入ったので時期を逸した感もあるが:
今年は辰年(よく「今年の干支は〇〇」というが、干支とは十干と十二支を合わせた言葉なので十二支が本来正しい)。言わずもがな乍ら十二支で唯一の架空の生物である。

辰は龍のこととされるが、本来は「ふるう」「ととのう」との意で、草木の形が整った状態を表しているとされる。辰に充てるに相応しい動物として龍を当てたのが正しいと思う(十二支の他の動物も同じ)。十二支以外で辰は龍の意味で辰は使われていないと思う(辰は陰陽・天文の由来?と推察)。西洋にもドラゴンがいるので日本では中国由来のものは龍、西洋のものは竜と書き習わすのが一般的であろう。
蛇足:
将棋で飛車が成ると龍になる一方、タイトル戦に「竜王」があるのは違和感がある。龍は字が面倒だからだろうか?
因みに辰は常用漢字ではない(人名用漢字)。辰星とは水星のこと。星辰は
恒星(または星座)一般を指す=星々のこと。

中国の龍も西洋の竜も祖型は恐らく蛇(注)だと思われるものの、片方から他方へ伝播したものではないと考えられる。所謂文明が起こった場所は川があり、恩恵と恐れの対象であった。その流れ(蛇行)のイメージが蛇に似ているから、或いは、蛇の脱皮の脅威・神秘に生命力の象徴・神性を感じる、など普遍的なものがあるのだろう。

古代インドとの関係では、インド神話のナーガ(半身・半蛇)が仏教に取り入れられた際に仏陀の眷属、八部衆に含まれる八大龍王となったことから、中国の龍に影響を与えたという話もある。但し、中国の龍はインド由来ではないと思う。仏教が中国に伝来する前から龍が登場するからである。
注:中国の龍は絶滅したワニの一種、マチカネワニがルーツと主張する日本の学者もいる。

●中国の龍(韓国・日本もこの流れ)
色々変遷はあったのだろうが、ある時期から龍の姿は日本も含めてほぼ変化してないと考えられる。即ち、現代日本人が思い描く龍のイメージで、中国の宋代以降の陶磁器や日本の神社、仏閣等の彫刻、天井画に描いてあるものである。

龍は雲を呼び雲に乗り雨を司る水神で本来的に善神。その後、怖いイメージも出てきたのは前記のインドの影響という説がある。また、龍は鳳凰と共に歴代の中国皇帝を象徴する意匠である。歴史的には鳳凰に比して龍が圧倒的に古くからある。
補記:
本来、鳳凰の「鳳」はオス、「凰」はメスで総称して鳳(おおとり)というらしい。花札に鳳凰と桐が一緒に描いてあるのは、「鳳凰は梧桐/アイギリにしか止まらない」と古書に書いてあるからだと想像している。鳳凰は皇帝ではなく皇后の意匠というのが多分正確。同じ中国由来でも龍と違い、中国と日本では鳳凰の意匠が大分違っている。

龍の絵皿 清朝乾隆帝時代(静嘉堂文庫美術館で筆者撮影)
日本の龍の 図(八王子「絹の道資料館」にて筆者撮影)
江戸時代の印籠(静嘉堂文庫美術館で筆者撮影)
龍と鳳凰の絵皿 清朝雍正帝時代(静嘉堂文庫美術館で筆者撮影)

●西アジアから西洋の竜・・くじら座のくじらは鯨にあらず
古代メソポタミア文明の地の一つバビロニア地方の都市バビロンの守護神はマルドゥクである。神話の詳細は省略するとして、他の神に仕えていた神獣のムシュフシュ(恐ろしい蛇という意)が最終的にマルドゥクの随獣/乗獣(=乗り物)となった。竜の始まりはこれと想定。
ムシュフシュ:
「角を持つ毒蛇の頭、ライオンの前足、鷲の後足、時に鷲の翼、サソリの尾を持つ」という神獣。祖型は角蛇(角をもった蛇)という説がある(現在も
角を持つ蛇はいる)。

新バビロニア時代のバビロンのイシュタル門のムシュムシュ ベルリン ベルガモン博物館
マルドゥク神と聖獣ムシュムシュの円筒印章 ベルリン博物館

これが(フェニキア人を経由して?)古代ギリシャに伝わり海の怪物/海竜ケートスとなり最終的に海神ポセイドンの随獣となる。ケートスはギリシャ神話のペルセウス英雄譚にも登場。カシオペアが美人であることを自慢し過ぎたため、周囲の怒りを買い、ポセイドンが派遣した怪獣ケートスの生贄に娘のアンドロメダを差し出すことになった。この怪獣をペルセウスが討ってアンドロメダを救出したことになっている。

くじら座(Cetus)字面からも分かるようにケートスから付いているので、我々が知っている哺乳類のくじらではない。尚、ケートスはフェニキア人、ギリシャ人など海洋の民の航海の守り神となる。ガンダーラ美術として作られたケートス像を参考に(古代オリエント博物館で筆者撮影)。

ガンダーラ美術のケートス(古代オリエント博物館で筆者撮影)

さて、これが西洋のドラゴンになったかというとそうではないようである。英語ドラゴンの由来であるギリシャ語ドラコーン(ラテン語はドラコ)は蛇、大蛇を指す言葉で神話では「巨大な蛇、時に空を飛ぶ」となっている。一方、アリストテレスは実在する蛇のよう書いている(著作『動物誌』)。

英語のドラゴンはフランス経由のようだが、ドラゴンの概念は古代ギリシャに限らず広くインドヨーロッパ語族にあったようだ。ドラゴンは中国や日本の龍と違って意匠が国によりバラバラである。

補足:
古代メソポタミア→ギリシャで神獣であった竜もムシュムシュ→ケートスはその後の西洋社会でそうでなっていない。ユダヤ教(続くキリスト教)から見て多神教の神の神獣を認めなかったからだろうと考えられる(旧約聖書でダニエルがバビロンの竜を退治するなど)。但し、竜は「強さ」の象徴でもあるので王侯などに気にいられていたと思う。例えば英国ウェールズの国章は赤いドラゴンである。ドラキュラもドラゴンと同じ語源で、小説『吸血鬼ドラキュラ(伯爵))』のモデル(の一人)と言われているルーマニア・ワラキア公国のウラド3世は自ら竜公(ウラド ドラキュラ、)と称していたのは先般書いたとおり。

ウェールズ国章 Wikipediaより

ウェールズの国章を見ると映画の怪獣キングギドラを思い起こす。この怪獣のモデルは色々説はあるが、ドラゴンが原型だろう。尚、ギドラはギリシャ神話のヒュドラに由来するそうだ。ヒュドラはヘラクレスに退治される怪獣で、星座のうみ蛇座はこれから付けたもの。

ところで日本に八岐大蛇神話がある。一般には山・谷・川の象徴であるとか、稲作やたたら製鉄との関連で語られることが多い。記紀に絵など描いてあるはずもないので姿は分からないのだが、彫像にすると龍の頭のように
見えるものが多いのは後世の勝手な想像であろう。

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