歴史上重要なバイキング・ノルマン人の軌跡


日本ではバイキングと言えば、頭に角をつけた海賊とバイキング料理のイメージが強いと思う。後者は、帝国ホテルの支配人がコペンハーゲンのホテルで北欧式ビュッフェの「スモーガスボード」を食べた時に日本でもこのスタイルをやろうして付けた和製語である。

カリブの海賊はPirates、ローマ帝国亡き後の北アフリカを拠点する所謂サラセン海賊はCorsairs(第2次大戦時の米軍戦闘にF4Uコルセアというのがあった。ここから取ったらしい)というが、Viking=バイキングには当然ながら海賊という意味はない。スカンジナビア人がViking(er)(入江に住む人。Vikが入江を意味する)と自称したことによる。
スカンジナビア人は北方系ゲルマン民族で世にいうゲルマン民族の大移動の際は移動を殆どせず、動き出したのは8世紀頃と思われている。これらの人々は欧州の他国に侵攻・商売(貿易)・移住をしたが、海賊のイメージが定着したのは、パリ、ロンドン、ハンブルグ、ケルンなどの都市を略奪・破壊し当時の西欧社会を恐怖に陥れたからである。他国の人は「北方からやって来た人」、「北国人」としてノルマン人(綴りは色々ある)と呼んだので、バイキングとノルマン人は実質同じ人々を指す

<補足>

スカンジナビアとはノルウェー、スウェーデン、デンマークを指す。フィンランドはフィン人(フィン語はウラル語系と言われる)の国なので含まれない。尚、フィンランドはウラル語族系というだけでアジア系という誤解を受けているが間違い(ウラル語系民族=アジア系とは限らない。欧州ではエストニアとハンガリーがウラル語系)

世界の語族:山川書店『詳説世界史Bより』

https://drive.google.com/file/d/1wCeOaWDsPg9Ay5covpFEbnviBqqm9rOH/view?usp=share_link

以下、ノルウェー、スウェーデン、デンマークに分けて歴史上、歴史上、特筆すべき事項を手短に述べる。

 

1. ノルウェー人

ノルウェー人は主に英国ブリテン島の北方地方、北方島嶼部、アイルランドに侵攻したので、西欧への影響は余り大きくはない(アイルランドが一番被害を受けたといっていいと思われる)。重要なのは以下の3つだと考える。

①アイスランドを発見・開拓・移住した(現在のアイルランドの基礎を築く。その後スコットランド人なども移住)

②アイスランドを基点としてグリーンランドを発見、植民した(結局絶滅。経緯はジャレド・ダイアモンド『文明崩壊』で紹介されている。尚、先にシベリアからイヌイットが移り住んでいた模様)

③北米大陸にコロンブスより大分前に辿りつき、一次的であるせよ暮らした(最初の入植地は遺跡のあるニューファンドランド島と思われている。その後は途絶えた)

 

2.スウェーデン人

スウェーデンのノルマン人はヴァリャークと呼ばれ、主に東南、細かいことを捨象すればロシア、ベラルーシ、ウクライナ方面に進出。都市でいうとノブゴロド、スモレンスク、キエフなどを構築または征服した。最終的には東ローマ帝国の首都コンスタンチノープルやペルシアまで到達。

ロシアとベラルーシ=白ロシアの国名に入っているよう、ルス(ルーシ)と呼ばれた。これはスラブ語では「金髪の人」、フィン語では「漕ぐ人」を著す。スラブ系民族の支配者になったが現在は同化。この方面に金髪・碧眼の人がよく見られるのはこの影響であろう。コンスタンチノープルで東ローマ帝国皇帝の近衛兵となり(兵士は絶えずスカンジナビアから補充)、東ローマ帝国滅亡まで続いた。

蛇足ながら、スウェーデンは今でこそ一流国であるが、嘗てはノルウェーの支配を受けたりデンマークの支配を受けたりする貧しい国であった。

 

3.デンマーク人

欧州(西欧)に一番影響を及ぼしたのはデンマーク人であろう。先般も書いたが、クヌート大王による北海帝国でイングランドを傘下に収め、ノルマンディ公ギョーム(英語名ウイリアム1世)によるノルマンコンクエスト(1066年)で、英国とフランス(フランス国王より広い領土)を跨がる国、後のプランタジネット朝ができた。

ノルマンディ公国はフランス国王から分度取った(割譲を受けた)もので、そこからイングランドを征服。王の側近にはノルマンディからフランス語を話す人々を連れて行ったことにより、現地イングランド人との軋轢が生まれ、これを解消する必要から議会ができ、その後の英国の君主と議会のあり方の基礎になった。

プランタジネット朝ではリチャード獅子心王(仏名:リシャール)、ジョン失地王(仏名:ジャン)が日本でも有名。リシャールはフランスに居ることの方が多かったと言われている。Eテレの語学番組などに出ているハリー杉山はプランタジネット朝の第5代イングランド王エドワード1世の末裔らしい。

 

もう一つの大きな軌跡は、ノルマンディに居た人々が地中海に進出しシチリア王国を立てたことである。ローマ帝国なき後、イタリアを中心とする地中海沿岸のキリスト教国は北アフリカのサラセン海賊(ベルベル人なのでバルバリア海賊ともいう)の略奪にあっていたが、これを駆逐しイタリア南部も支配下に置いた。

最も有名な王は塩野七生『皇帝フリードリッヒ二世の生涯』に描かれている神聖ローマ帝国皇帝兼シチリア王であったノルマン人の血を引くフリードリッヒ2世( 1194 - 1250)であろう。実際はシチリア(パレルモ)で政務を取ったのでフェデリコ2世と呼ぶのが相応しい。「最初の近代人」(ブルクハルト)で開明的な君主とされている。

当時のパレルモはイタリア文化、ノルマン文化(フランス文化)、アラビア文化が融合した華麗な文化が花開いたとされる。世界で有数の古い歴史をもつナポリ大学はフェデリコ2世が創ったもので(1224年設立)、正式名称はフェデリコ2世・ナポリ大学である。

 

以下の図は何れもウィキペディアより

スカンジナビア


シチリア王国

補足:
バイキングの侵略からパリを救った人物も末裔からカペー朝が生まれる。
カペー朝→ヴァロワ朝→ブルボン朝と変わったもので、同じ家系である。
現在のスペイン王室はブルボン朝の系譜である。

#創作大賞2023 #エッセイ部門

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?