日本人に馴染みのある遊牧民国家のあれこれ①

日本人に馴染みのある遊牧民国家のあれこれ①

ある近代日本美術の研究者の方(学芸員、博士)に大学受験で世界史を取られたかお聞きしたところ、「高校の授業で世界史は受けなかった。世界史といっても西洋史に偏っていたのでは?」とのことであった。今は大分改善されてきているが、これに加え東洋史は中国史に偏っていたと思う。そもそも中国(特に漢人から観て)という概念が成立したのは近年で、嘗ての中国の範囲はもっと狭かった。中華人民共和国は概ね清朝の領土を継承していて、そのイメージで中国の歴史を語ると誤解を生むことになる。このため「中央ユーラシア」という括りで歴史を捉え直すのが重要と考える。その細かい話をこの場でするのは妥当ではないので、多くの日本人に馴染みのある?事柄(トリビア)を列記していく。


1. モンゴロイド

コーカソイド、モンゴロイド、ネグロイド(現在はオーストラロイドがこれらに加わる)という言葉は凡そ世間に広まっている。これはドイツの動物・人類・解剖学者のブルーメンバッハが人種をコーカシア(白人種)、モンゴリカ(黄色人種)、エチオピカ(黒人種)、アメリカナ(赤色人種:アメリカ先住民)、マライカ(茶色人種:マレー人)の5種に分類したことが起源である。
欧州人にとって、黄色人種(=欧州人が意識するアジア人)といえばモンゴルというイメージが一番強いので、代表でモンゴロイドとして選ばれただけである。コーカソイド(コーカサス=カフカース)で白人を括る概念も今や否定されていると言ってよい。


2. 蒙古斑

モンゴルついでに蒙古斑について。
これは明治時代の所謂お抱え外国人、ドイツ人医師のベルツが付けたもの。日本人の赤ちゃんを見てこれはモンゴロイドの共通の態様と考えて付けたもので、他の地域を調べて付けたものではない。確かにアジア人に多い傾向はあるが、他の地域でも見られるものだ。


3. キャセイ航空

香港にキャセイ航空がある。このキャセイは契丹(キタイ)からきている。中国では遼、西遼で知られる(カラキタイともいう)。建国者として耶律
阿保機が有名だろう。大元ウルスはウイグル人と契丹人を使って各種の制度を作った、つまりこの2民族に負うところが大きい。大元ウルスで駅伝制度を作ったのは有名で乍ら、契丹が先に作ったものを踏襲したものである。
(駅伝制度の嚆矢はハカーマニシュ朝(ギリシャ名はアカイメネス朝)ペルシャ)

西方から見て中国のことを嘗て

○タプガチェ・・唐のこと。鮮卑択抜(タプガチェ)部が建国
(タプガチュとも言う)

○キタイ・・契丹

と呼んでいたよう唐帝国、契丹帝国の存在は大きかった(漢人国家のプレゼンスはない)。ロシア語では今でも中国はキタイ(キターイ)、ペルシャ語ではヒタイである。


4. イランとペルシャ(ペルシア)

よく同じ意味で使われると思うが、イランは自称、ペルシャは他称である。イラン・・正しくはイーラーン・・は「アーリア人の国」という意味。ペルシャは元々現イランの一地域の呼称である。今のイランではファールス地方であるが、古代はパールスと呼ばれていて、それをギリシャ語でペルシスとしたことに由来。


5.世界三大歴史書

歴史の父といえば『歴史』を書いた古代ギリシャのヘロドトス(小アジアの生まれとされる)、これに対応するのが『史記』を書いた司馬遷であるのは広く人口に膾炙している。二人に共通しているのは座学ではなくフィールドワークをしていることだろう。『歴史』は古ギリシャ語の書名で『ヒストリアイ』といい本来は「研究」という単語の複数形だった。歴史について書かれた最初の本格的な書であったことからこれがHistoryの語源となった。一方、『史記』の「史」は帳簿役人という意味である。

これらの二書が世界史とは言えないのに対して、初めての世界史といわれるのがフレグ・ウルスの宰相、ラシード・アッディーン責任編集の『集史』である。前二書に加え世界三大史書ともいう。
モンゴル史、アラブ・イスラーム史、フランク史(=ヨーロッパ史)、ヒタイ史(中国史)、遊牧民史、インド史などを含む空前絶後の歴史書が1310-1311年に完成。モンゴル正史にして世界史である。記述はペルシャ語でなされている。

<参考・チンギス・ハーンの作ったモンゴル帝国の分国(分裂ではない)>

嘗てはキプチャク汗国、イル汗国と言われた時代もあった。今は以下に統一されている、

○大元ウルス

○ジョチ・ウルス(嘗てのキプチャク汗国)

○フレグ・ウルス(嘗てのイル汗国)

○チャガタイ・ウルス


6.幻想からうまれたシルクロード

シルクロードは東西をつなぐ道(複数のルートあり)だけでなく、南北にもあったことはかなり認識されてきた。この他、北側のステップ地帯に「草原の道」がありNHKの番組にもなった「海のシルクロード」も同様だと思う。
このシルクロードという言葉が生まれた背景は幻想であった。ドイツの地理学者リヒトホーフェンが著書『ヒーナ(シナ:中国)』の中で「こんな道があったらいいな(良かったなぁ)」という意味で"Seidenstraße"(絹の道)という用語を使ったが、後の学者が「使える!」ということで恰も定められた絹運搬の「絹の道」があったように書いたからである。尚、現在はシルク・ルートという用語が海外では使われている。

蛇足乍ら、遊牧民や交易商人が通ったところに「沙漠」がある。これは砂漠ではない。沙漠はあくまで乾燥した土地という意味。砂漠であれば馬が走り回れる訳がない。但し、近年、本当に砂漠化しいるところもある。ゴビ砂漠のゴビは沙漠のことなので、謂わばトートロジーである。



次回(以降)に続く(?)・・。



『集史』(パリ本)チンギスハーンの即位 Wikipediaより




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