これぞエンターテイメント! 映画『スペシャルアクターズ』

『カメラを止めるな!』上田慎一郎監督の劇場版長編第2弾として話題の『スペシャルアクターズ』を観てきた。

https://special-actors.jp/

自分も「カメ止め」には大いにはまった「感染者」の一人。ロケ地が地元・水戸ということもある。水戸の映画祭に上田監督と主演の濱津隆之氏が来たとき撮影した写真を上田監督のツイートに引用してもらったり、ロケ地めぐりのバスツアーに参加したりもした。

↑そのとき自分が撮影した動画。ツアーは東京発だったので、水戸から始発で東京に行き、バスで水戸に向かうという謎展開だったが。

さて、自分がそんなカメ止め信者であることを宣言したうえで、『スペシャルアクターズ』がどうだったかというと。

※ここからネタばれありありです。カメ止め以上にネタバレ厳禁の映画なので、これから観る予定の人は決して読まないでください!!!

※あえて一言いうなら、観るべき映画です!

↓↓ここからネタばれ

この映画は、まさしくエンターテイメント。

芸術とエンターテイメントの違い、というのはアイドルとアーティストの違い、みたいなもので、真剣に考えてもしようのない、結論の出ない話であるが、アタマの体操にはとてもいい命題だ。

それに対して自分が出した答えのひとつに「観る側の感情を考えないのが芸術で、それを計算するのがエンターテイメント」というのがある(異論は認めますが議論はしません)。

『スペシャルアクターズ』は、多くの人がSNSで発言しているように、観客をダマす映画だ。それも、観客がいまどういう心理状態で、いま何を考えながら見ているか、実に緻密に計算することで見事なまでに観客をダマす。

それだけではない。本作では映画が好き、映画をたくさん見ている人ほどその騙しのテクニックがきれいに決まるという仕掛けが施されている。

具体的に言おう。これも多くの人が指摘しているように、本作にはポール・ニューマンとロバート・レッドフォードが共演した名作『スティング』へのオマージュが見て取れる。クライマックスに近づくにつれて「ああ、スティングだ」と思わせるような場面が頻繁に出てきて、それが確信に変わってくる。

だが、それこそ上田監督の仕掛けた計算だった。『デスノート』の夜神月なら「計算通り」と笑みを浮かべるところである。

『スティング』なら、映画の中の相手だけでなく、観客も騙そうとするはずだ。だから、あの旅館での展開は予想できた。そこで「ほーら、思ったとおりだ」と膝をうって、「この映画もナカナカでしたな、まあ予想の範囲内でしたが。ホッホッホッ」と悦にいったところで、完全に罠にはまっていた。そのあとに大きな落とし穴が待っているとも知らずに。『スティング』じゃなくて『ユージュアル・サスペクツ』だったなんて!

でも、本当に鋭い感性を持った人だったら、最後の落とし穴にも気づくはずなんですよ。だって、この映画ほとんど全部のシーンが、主人公・和人の一人称で語られてるじゃないですか。ちょうど「JOKER」が、アーサーの一人称で語られているように。

そこまでの目を持ってない自分は、ほんと、これ以上ないほどきれいに落とし穴にはまってしまった。そしてそれが何とも心地いい。自分はこの映画を楽しみにきた。カメ止めと同じようなものを観に来たのではなく、カメ止めで味わった「衝撃」を味わいにきたのだ。『スペシャルアクターズ』はその期待にばっちり応えてくれた。

ただ、この映画は終盤までは全体的におとなしい演出で構成されている。怪しげな宗教団体も、「演技で人助け」するプロダクションも、もっと面白く描けそうなのをぐっと我慢して、やや退屈に思わせるほどのぬるい温度で客席に届けられる。それでいて、決して飽きることなくスクリーンを凝視し続けられるのは、これも上田監督一流の、俳優の個性を十二分に引き出す、というより、演じる人に基づいてキャラクターやストーリーを紡ぎ出すその手法のおかげだ。どの登場人物も、演じる人の人生がまるごと演技に表れているため、その情報量が圧倒的で、ついつい目が離せないのだ。濱津氏演じる『カメラを止めるな!』の監督が放った「だから本物をくれよ!」というセリフ。それは上田監督の演技に対する姿勢そのものなのかもしれない。

『スペシャルアクターズ』という作品の面白さは、このように「作品によってほんろうされる」快感と、「登場する人の魅力を味わう」快感の、2つの心地よさで構成されている。この強力な二刀流で、上田監督はこれからも自分たちを大いに楽しませてくれるだろう。


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