1年以上前になるかもしれない。とある企業でパートナーとして働いていた職場での話。この職場は珍しい。何が珍しいかと言うと、ツッコミがいない。

ボケて終わり。それか、ボケをボケで返すか。

人生の中で、家庭から始まり、学生生活、職場や地域など、いつくものコミュニティに属しながら生きてきた中で、ツッコミがいないコミュニティは珍しく、味気ないものはない。

自分は元々ボケ担当で、何事も常にボケを考えていたので、小学生の頃は真剣に話そうとした時でさえも周りから冗談を言っているのかと思われるくらい、常にボケのキャラが定着していた。

しかし、そのボケが活きるのもツッコミがあってこそである。

ある職場での同期の存在は有難かった。その同期はツッコミセンスが抜群で、ほとんど全てのボケを拾ってくれていた。それも期待を裏切らないツッコミであり、大概の人はボケだと気づかないくらいのボケに対してもちゃんとツッコんでくれた。

 心の声「今のボケに気づいてくれたんや!(嬉)」

調子に乗ってボケを連発しすぎてしまったことは反省である。魂が込められていなくて、余熱の勢いでボケてしまっていたことも多々ある。ボケを拾うのにも疲れたことであろう。

職場やコミュニティによっては、そこまでツッコんでくれる存在がいつもあるというわけではなかった。ボケが多くなりがちで、ツッコミ役がいない時もある。

ある時、自分がツッコミになったらどうかという考えがよぎった。漫才やコントを見ながらツッコミを冷静に学ぼうとしている自分がいた。ツッコミとなると、何かと強めの口調で関西弁になりがちな印象があって、何かとぎこちない。6年間関西で住んでいたことはあっても、生まれや幼少期を過ごしたわけではないので、急に関西弁を喋る事にも違和感を与えないだろうかと不安になったりもする。

そんな中。

話は戻り、パートナーとして働いていたある企業での話。飲み会が開催されて、私も参加をした時のこと。ある先輩(年下)にツッコミがいないことを話題にしてみた。「私がツッコミ役になりましょうか?」と。

そうすると、ボケをボケで返すのがこの職場でのツッコミ的役割なんだと教わった。職業柄なのか、偶々なのか、生粋のツッコミ担当という人は存在していないのが伝統でもあるようだ。

確かに、バッサリと斬ってしまってはいけないような雰囲気さえある。そこまでドカンと笑いを起こさせる必要があるのかというとそういうこともない。そこまでオチにこだわる人がいないという印象だ。

その先輩とは名前はよく知っているものの、初対面なのでお互いのことをよく知らない部分も多い。お互い敬語で話し、自己紹介がてら会話をする。

 先輩「おいくつなんですか?」

 私「26.5です」

 先輩「じゃあまだ若いほうですね〜」

 私「にじゅうろく、てん、ご、で若いほうなんですか!?・・・」

私にはツッコめなかったし、それ以上ボケることもできなかった。

大体初対面での質問で「いくつですか?」と聞かれたら年齢であることが多い。だが、主語がないのである。これはチャンスの筈だった。

一応会話が聞こえていたであろう周囲の数人も特に反応はない。(もしかして本当は気付いている!?)ツッコミがいないことを痛感した。今更引くことはできず、私はあくまで「靴のサイズを聞かれたと思い込んだ」という事にしてやりきる事にした。それならば嘘を言っているということにはならない。

仮に26.5歳という年齢の数え方があるのなら、その先輩(30歳前後)は私を年下だと認識したかもしれない。実際のところは、当時35歳で私の方が年上にあたるのだが。先輩はその後も口調が変わったりはしなかったので、年上や年下という区別をするわけではなく、人として対等に接してくれていることを感じることができて嬉しかった。その人に対する職場で飛び交う数々の噂も充てにはならないなと、当人と直に接してみて初めて分かる。

その先輩とは職場の建物が違うので基本的に面と向かうことはなく、それ以来会えていない。今もなお、26.5”歳”という事になっているのであろうと思うと、笑けてくると同時に罪悪感のようなものさえも感じる。

私の場合、革靴は26.5cmで、スニーカーだと27.0cmがちょうど良いのである。

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