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今だからこそ記しておきたい、イスラエル・パレスチナの旅と街のリアル

イスラエルを訪れたのは今から約5年ほど前のこと。学生時代に歴史の授業が何よりも大好きだった私にとって、当時最も行ってみたい国の1つがイスラエルであり、就職を目前に控えた学生最後の長期休暇の旅先に選んだのがイスラエルだった。

イスラエルといえば、昨今の中東情勢で連日のように紙面を賑わせている国である。日本人にとって地理的・宗教的に馴染みの薄い中東地域は、どこか物騒なイメージがあるのではないかと思う。実際にやれ空爆だの、やれ報復だのと、連日報道されているわけなので、平和で安全な地域かと言われると必ずしもそうではないだろう。

エルサレムの街の風景

長らくご無沙汰していたnoteの投稿ではあるが、せっかくの機会なので、今回はイスラエル・パレスチナ地域について、過去の写真や思い出を掘り返しつつ、実際に訪れた旅の様子をここに記してみたい。

クセのある出入国審査

実は日本ーイスラエル間は成田空港とイスラエルの首都テルアビブを結ぶ直行便が2023年3月より就航している。私がイスラエルを訪れた2019年時点には日本⇔イスラエル間の直行便はなく、また学生時代の私はお金もなかったため、経由に経由を重ねて、テルアビブへと降り立った。

成田とテルアビブを結ぶエルアル航空

どこの地域へ訪れる場合にも、空港へ到着してまず必要な手続きが入国審査だが、これがイスラエルの場合には一癖も二癖もある。ここでイスラエルの歴史について、簡単に整理しておきたい。イスラム国家がほとんどを占める中東地域において、ユダヤ教の国家であるイスラエルは異質な存在である。今のイスラエルが存在する地域は、今から約3,000年も前にユダヤ教徒によって国家が建国された。その後、キリスト教が統治する時代、イスラム教が統治する時代を経て、今の近代イスラエルは第二次世界大戦終戦後の1948年に建国された。

エルサレムにあるイスラム教のエリア

では1948年にイスラエルが建国される直前はどうだったのだろうか。近代イスラエルが建国される以前、確かにこの地域には人々が暮らしていた。約70万人とも言われるイスラム教を信仰するパレスチナ人がこの地域に根差していたのだ。つまりイスラエルの建国によって、突如としてここに住まうパレスチナ人は故郷を追われたのである。この時に離散したパレスチナ人たちがヨルダン川西岸地区と呼ばれるエリアや、昨今しきりにニュースとなっているガザ地区で暮らしている。

一方でユダヤ人にとっても、2000年以上もの間、世界に離散し、迫害を受けてきた歴史の中で、やっとの思いで実現した悲願の国がイスラエルであり、単純にどちらが正しくて、どちらが間違っているといった善悪二元論では語れない複雑な事情がこの地域には存在している。ここでは割愛するが、イスラエルの建国の背景には欧州列強の介入があったことも、この問題をさらにややこしいものにしているのである。

このような背景から21世紀の今もなお、ユダヤ教国家であるイスラエルと、イスラム教国家である中東の国々はお世辞にも良好とはいえない関係が続いている。そしてこうした事情は観光においても影響するのだ。

旅行好きの間では有名な話だが、パスポートにイスラエルの入国スタンプがあると、そのほかの中東諸国へ入国できなくなる。一昔前であれば、入国審査の際に「No stamp」と入国審査官に告げることで別紙にスタンプを押してもらうことができたのだが、私がイスラエルを訪れた2019年時点では、既にこのような事情も考慮してなのか、何も言わずとも別紙にスタンプを押してくれた。

さて、無事に入国を終えると、聖地・エルサレムへ空港からの直通バスで向かった。

3宗教の聖地が隣り合わせで存在するエルサレムの街

街中でバスケを楽しむ人たち

エルサレムに到着して最初に抱いたのは意外にも平和そうだという印象だった。街中では元気にバスケットボールを楽しんでいる人たちがいたり、夜間に街を出歩いてみても驚くほどに身の危険を感じることはなかった。

ちなみに旅行で訪れた体感ではあるものの、物価は日本より遥かに高く、マクドナルドのビックマックセットは1,000円を超えていた。

エルサレムの何気ないワンシーン

エルサレムはその歴史から3宗教によって統治されていた時代があり、ユダヤ教は言わずもがな、キリスト教においてはイエス=キリストが生涯を終えた場所であり、イスラム教においても「ムハンマドが天に上った場所」とされており、3つの宗教において非常に重要な聖地とされている。これらの聖地がエルサレムの旧市街と言われるエリアに密集しており、歴史好きにとっては憧れの地域でもあるのだ。

ユダヤ教徒が祈りを捧げる嘆きの壁

ユダヤ教の聖地とされているのが「嘆きの壁」と呼ばれる場所だ。嘆きの壁は古代イスラエルに存在したエルサレム神殿の外壁で(エルサレム神殿は今は現存しない)、連日壁に向かって祈りを捧げているユダヤ教徒の姿がとても印象的だった。

イスラム教第3の聖地

かつてエルサレム神殿が存在した場所であり(ユダヤ人にとって大切な場所)、のちにムハンマドが昇天したとされる場所に建てられたイスラム教徒にとっての聖地が「岩のドーム」である。金色に輝く円形のドームが象徴的なこの地はメッカ、メディナに次ぐ第3の聖地だ。ドームの内部への入場はイスラム教徒以外不可なのだが、外観の美しさや青色の細やかなタイル装飾など、入場できないことを差し引いても訪れて良かったと思える場所だろう。

細やかで美しいタイル装飾

そしてキリスト教徒にとっての聖地がイエス=キリストが生涯を終えたゴルゴダの丘に建てられたとされている「聖墳墓教会」だ。聖墳墓教会は観光客にも開かれているため、キリスト教徒でなくとも内部を見学することができる。教会の内部はカトリック教会やギリシャ正教会、コプト正教会などが共同で使用しており、それぞれの宗派が独自で管理する区画が存在している。

イエスが生涯を終えたとされる場所

これは聞いた話なのだが、毎朝教会を開けるための鍵をどの宗派が管理するかでしばしばいざこざが起きるため、教会の鍵の管理は中立の立場であるイスラム教徒に委ねられているのだとか。無宗教である私からしてみれば、キリスト教の聖地なのだから、キリスト教徒が管理すればいいのに…と思わなくもないが、宗教とはやはり難しいものである。そんな宗教とは無縁の私ではあったが、それでも一目見てキリストのお墓だとわかる教会内部の姿は、どこか神々しくて、神聖な空気感を味わうことができた。

迷路のような街並み

3宗教の聖地のみならず、エルサレムの旧市街は街を散策するにも楽しい地域だった。まるでRPGの世界に迷い込んだと錯覚させるような石造りの街並みや迷路感は非日常を感じるには十分すぎるほどだった。

散策していると度々遭遇する警察や軍人さん

旧市街を歩いていると、いつかの中東戦争の際の銃痕が残った壁や、武装した軍人の姿を見かけることもしばしばあったが、それでも不思議と物々しさを感じることはなく、平和な観光地という印象だったのを覚えている。

パレスチナ自治区の中心都市、ベツレヘムへ

ベツレヘムの街の様子

せっかくなのでエルサレムから南に約10km、かつてイスラエルの建国によって離散したパレスチナ人たちが暮らすパレスチナ自治区の中心都市、ベツレヘムにも足を運んでみた。正確な記憶ではないが、おそらくエルサレムからバスに乗って1時間ほどだっただろう。バスの中で軍人と思しき人たちによるパスポートチェックや保安検査が行われたことが今でもすごく印象に残っている。

ベツレヘムの街角にて

バスから降りるとイスラエルとの街の雰囲気の違いに驚いた。イスラエル側の街は西欧的な空気感だったのに対して、パレスチナ自治区内にあるベツレヘムの街はしつこいほどのタクシーの呼び込みなど、観光客に対する商売っ気が強く、どことなくアジア的な空気感が蔓延していた。

そんなベツレヘムを訪れた目的は大きく2つ。イエス=キリスト生誕の地と言われている「降誕教会」と、覆面アーティストのバンクシーが描いたウォールアートの鑑賞だ。

イエス生誕の地

降誕教会は2012年にパレスチナ初の世界遺産に登録された場所だ。キリスト教徒は世界中に約25億人いると言われており、今なおこれだけ多くの人々に信仰される宗教の礎を築いたイエスが生を授かった場所と聞くと、たとえ無宗教であっても感慨深さを感じずにはいられなかった。キリスト教の教会は煌びやかで豪華なものが多く、降誕教会も例外なく興味深く見て回ることができる。

そしてベツレヘムを訪れた最大の目的がバンクシーのウォールアートだった。バンクシーはイギリスを拠点に活動する覆面アーティストだ。オークションに出品された彼の作品が突如としてシュレッダーで断裁されたことで一躍有名となったが、実は世界中のあらゆる都市に神出鬼没に繰り出しては、社会的風刺に富んだウォールアートを残している。そんな彼が唯一、数多くの作品を残した都市こそがここベツレヘムなのだ。

バンクシー作品で最も有名なものの1つ

数あるバンクシー作品の中で最も有名な作品の1つが「花束を投げる少年」だろう。覆面をして今まさに火炎瓶を投げようとしている少年の手には花束が握られている。「爆弾を投げるも、花束を投げるも、人間次第だ。」と訴えかけられているようで、平和を願うメッセージをひしひしと感じることができる。実際に訪れてみるとびっくりするが、本当に何の変哲もないガソリンスタンドの壁に描かれていた。

銃口を向けられる平和の象徴

こちらは「防弾チョッキを着た鳩」という作品だ。平和の象徴である鳩が防弾チョッキを着て、銃に狙われている様子が見て取れる。実は鳩の絵の正面にはイスラエルの監視塔があり、銃口は監視塔から向けられているとも読み取ることができる。

人の往来を阻害する分離壁

ベツレヘムを語る上で欠かせないのが分離壁の存在だ。分離壁とはイスラエルがテロ防止やイスラエル側の安全を名目に建てた高さ数mに及ぶコンクリートの壁である。上部にはカメラと有刺鉄線が設置され、壁の外へ自由に行き来することができなかったりと、ここで暮らす人々に大きな影響を与えている。

バンクシーらしい皮肉が効いたホテル

そんな分離壁の目の前にバンクシーが手掛けたホテルがある。その名も「ウォールドオフホテル」(別名:世界一眺めの悪いホテル)だ。直訳すると「壁で遮断されたホテル」という意味があり、なんともバンクシーらしい皮肉が効いている。今回はエルサレムから日帰りで訪れたため、「ウォールドオフホテル」の宿泊は叶わなかったが、機会があれば次は泊まってみたいものである。

地球上で最も標高が低い(らしい)死海

対岸に見えるはヨルダン

翌日には地球上で最も標高の低い場所である海抜-400m越えの死海へと足を運んだ。死海は塩分濃度が高く、生物が生きていけないことに由来して名付けられた名前である。その塩分濃度から人の体ですら沈まない不思議な浮遊体験が楽しめるスポットだったりする。

驚くほどに沈まなかった死海

実際に私もこの旅に携えていた「地球の歩き方」を持って入水してみたところ、驚くべきことに本当に体が沈まないのであった。地球上にはおもしろいスポットが存在するものである。ちなみに塩分濃度が高いが故に、少しでもすり傷があると、びっくりするくらい体がヒリヒリするので注意が必要だ。

死海はイスラエルとヨルダンにまたがるように存在しており、西半分がイスラエル側、すなわち対岸に見えるのがヨルダンという位置関係にある。

リゾート感で溢れていたエンボケック

死海を満喫するために私が訪れたのは死海沿いにある「エンボケック」という街だった。エンボケックの街は予想以上にリゾート化が進んでおり、死海の周辺にはホテルが建ち並んでいたり、ビーチにはパラソルが立てられていたりと、エルサレム同様におよそ紛争と隣り合わせであるとは思えないような、のんびりとした空気感が印象的だった。ちなみに死海は泥パックが有名であり、日本にも店舗展開していることで有名な「SABON」からも死海マスクが販売されていたり、実は「SABON」というブランドの発祥自体がイスラエルだったりする。

今回は実際に訪れた場所の中でも一部を紹介したが、他にイスラエルやパレスチナで訪れた場所や街の雰囲気などは、過去のInstagramにも投稿しているので、もし興味があれば見てもらえるとうれしい限りである。

未来永劫残したい人類の遺産がある

あくまで以前に私が訪れた地域は、イスラエル-パレスチナ地域の中でも、エルサレム周辺、ベツレヘム周辺、そして死海周辺の3つのエリアだった。現在、しばしばニュースで取り上げられている「ガザ地区」は、エジプト側に面したいわば飛び地のエリアである。

本記事では詳しいことは割愛するが、実は同じパレスチナ自治区でもガザ地区とヨルダン川西岸地区では、実は統治している組織が異なる。パレスチナには2つの勢力が存在しているが、ヨルダン川西岸地区を治める穏健派の「ファタハ」に対して、ガザ地区を統治する「ハマス」という組織はより反イスラエル姿勢が強く、結果として今回の衝突に至ってしまったというわけである。

エルサレムの街並み

少なくとも2019年時点では、私が訪れた3つの地域においては、全くと言っていいほど身の危険を感じることはなく、そして今後の未来において残すべき大切な人類の遺産が数多く残された場所だった。

今後の情勢次第では、しばらく訪れることのできない地域となってしまう可能性が高いが、平穏が訪れた暁には、馴染みが薄いだの、漠然とした危険なイメージで避けるのではなく、ぜひとも足を運んでみてほしい地域である。そして何よりもまずは、早急に、そして平穏に事態が収まることを願っている。

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