「海外で建築を仕事にする」を読んで

 「海外で建築を仕事にする/前田茂樹編著」を読んだ。印象に残った文章を引用して、自分が落ち込んだときに見返して、元気を出せる記事を残すことにする。

豊田啓介/建築と非建築をシームレスにつなぐ

僕は留学の相談をされた時には原則として、実務を通して建築をより多くの角度とスケールで見られるようになってから大学院に行く、留学することの利点を説くようにしている。(p.101)
石の上にも3年とはよくいったもので、語学も仕事環境も、コンピューテーショナルデザインのような新しい考え方も、本当に自分の血として肉として使いこなせるようになるには、なぜか3年という時間がクリティカルに出てくるように思う。(p.101)

 この本で、豊田さんのことを知り、その作品を見てファンになった。彼が千葉の一般家庭出身で、受験期には都市計画で有名な幕張をぶらぶらしていたというエピソードに、無理やり自分を重ねた。

 自分は進路選択のタイミングはまだまだ先だが、だからこそ漠然とした不安もある。進路のことでなやんだときは、この言葉を思い出して、別にストレートじゃなくてもいいんだ、仕事をしてからでも勉強はいくらでもできるんだ、ということを思い出して、いろいろな方向を考えたい。
 また、自分は「石の上にも3年」のような昔の知恵に、根拠なく勇気づけられるのが好きだ。特に、自分が尊敬する人のことばならなおさら。こういうものは、自分が動けなくなったときに、都合よく考え通すためにあるものだと思っている。何事も焦らずくよくよしないでいきたい。

 この本を読んでいるとき、たまたまnoizがプロジェクトを発表した。結局、レンゾ・ピアノが担当するようだが。確かに、東京海上日動は少し場違いな感じで、せっかくいい広場を持っているのになんかかわいそうだなと思っていたので、単純にかっこいいアイデアを見てうれしくなった。個人的にその周辺にある、東京駅などの古い建物が、超高層ビル林でバリバリ現役で活躍している空気が好きなので、この提案にはとても賛成できるし、これからの建築のあり方の一つを見せられているようで、元気をもらえた。

https://noizarchitects.com/archives/works/tokio-marine-nichido-headquarters-building-renovation


松原弘典/サムライ・ジャパンよりローニン・ジャパン

 サッカーでは日本代表を「サムライ・ジャパン」って呼ぶけれど、本来あのチームは世界に出ていく「ベストな寄せ集めの集団」なわけで、それを封建社会のなかでサラリーマン的に終身雇用されていた「侍」と呼ぶことに私は違和感がある。彼らは正しくは、自分の能力を武器に、そのとき契約でできたクラブを渡り歩きながら生きていく人たちであって、「浪人」という、「尊称」で呼ばれるべきではないのか。ぬるま湯の「聖域」に守られている人が世界で勝てますか?クラブ間の流動性が高いサッカー選手はいつでも浪人になる立場にあり、私は、サッカー日本代表は「ローニン・ジャパン」って呼ぶのが制度的には正しいと思う。
 よく考えてみてほしい。建築家が海外の設計事務所で働くというのも一種の「ローニン」状態を選ぶことではないだろうか。~名誉ある呼称として「ローニン・ジャパン」を広めたい。私だって将来への漠然とした不安を感じて眠れない夜を過ごしたこともあるけれど、その代わりに好きなことをやってここまできた。こういう状況をなんとかもう少し前向きに捉えたいと思っている。(p.50,51)

 言葉をひとつひとつ読んでいたら、ずいぶんと長く引用してしまった。どこかに属することは安心できるけれど、このままでいいのかなという疑問が常にある。ひとりでやっていくのは怖いけれど、本当に自由に動けて、そのとき自分がベストと信じる決断をできる。どちらにいたとしても、すっきりした気持ちで建築と向き合うには、自分に自信をもつことが欠かせないのだと感じた。

高濱史子/普通でいつづけること、普通からはずれてみること

京都で学部生活を過ごした私にとって、東京はあまりにも広く、訪ねたい建築、アルバイトをしてみたい事務所、面白そうな展覧会、ワークショップなど、毎日どこかでなにかを吸収すべきものがあった。そういったイベントでスケジュール帳を埋めることで最初は充実した気になったが、すぐにそれは周囲の学生の知識量の豊富さと、自分自身はまだなにも生み出していないことに対する負い目と焦りへと変わっていった。それは京都で感じていた閉塞感とはまったく違った種類の気持ちで、誰の非でもないし文句を言う相手もいない代わりに、自分はなにがしたいのかという問いに答えられず、それはそれで辛かった。(p.80)
ミーハーだけど社交は苦手、やる気はあるけど怠け者で、四六時中建築のことだけを考えている熱血学生にはほど遠かった8年前、今もこうしてあきらめずに建築をやっていこうと思えているのは、あの時思い切って日本を出た、ただそれだけのことだ。これからも変わらず、自分がのびのびできる環境をつくること、深呼吸できる場所を見つけること、それらに対して貪欲でいることが最終的にいい設計をすることへとつながっていくのだと思う。(p.95,96)

 この文を読んだとき、なんでこの人は私のことを書いているのかと思ったほど、今の自分に重ねたくなることが多くあった。さらに、海外の事務所の厳しさも書かれていて、そんなところで生き延びることは簡単ではないのだとわかった。

私は、結果的にそうならなくても、もしすべてにおいて自分にとってのパーフェクトストーリーがあるとしたらどういうものか、具体的にイメージを持つように心がけている。これは私が海外で学んだことのひとつだ。~自分だけの道を見つけてそれに向かうほうが邪魔されず自由だし、いろいろな人に応援してもらえる。昔イメージしていた大学・大学院、アトリエ事務所就職、独立という建築家になるための王道のレールから外れたとたんに無限の道ができた。どのみち人より時間が掛かることはわかっている。この心がけによって日本にいた時の、人と比べ周囲に認められることばかりばかリ気にしていた焦燥感から解放された。(p.85)

「パーフェクトストーリーを具体的に描く」
自分も、承認欲求に悩むひとりの人間として、自分のやりたいことをはっきりとさせたい。

田根剛/建築のチャンス、世界への挑戦

ヨーロッパを周ったり、ポートフォリオ持って大学に突撃したりして、仕事ゲットして、若くしてエストニア国立博物館で国際コンペ優勝。

 自分にとってはパーフェクトストーリーのようなものだが、そこには勇気や建築に対する渇望が必要だったと思う。こういうエピソードは純粋に勇気づけられる。


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