ドトール、ジャーマンドック、世間話

 今回、しばらくの間、本を読んでみて、自分なりの批評をできないか、と思ってやってきたのだが、上手く書けるようになったのか、それとも段々と下手くそになっていったのかは正直なところ、わからない。
 文章を読んで、書く、というのは基本的な作業でいるようで、突き詰めていくと無限に難しいことが改めてわかるという、まったく新しくもない経験をしたわけだ。もうそれは人生のテーマにすべきレベルのことなんだと思うし、今回において可能になるようなものではないだろう。ジャーマンドックのソーセージの香り。
 これまでは、小説よりも新書や思想書を読んで頭をでかくしようと頑張って生きてきたのだが、今回は小説を精読してみよう、というかそうまでしなくても一つの作品と向きあって、よく読んでみようというのがもう一つの目的だったので、これ自体はある程度達成できたのだと思う。
 小説は長編小説というものを避けて選んでみたのだが、それは読み返すのが楽になるだろうという安易な理由からなので深い意味はない、ただ結果的にはよかった。一冊の本を読み終えた、という感覚それ自体が一つの楽しみになり、次の小説を読むモチベーションになっていったから。
 また選ぶ小説は何事にもとらわれないようにしたつもりで、ふらと書店に立ち入って平積みされていたり、タイトルが関心を引くものであったり、これまで聞いたことがあるが読んだことのなかった作品を選べたりしたから、人生において気になってきたことの少ない一つが解消されたという意味でもよい企画だったのかもしれない。終わらないおばあちゃんの話し声。
 結果として芥川賞作品を多く読むことになったのは途中から、それを指針にしていたのかもしれない、本当に何も考えていないのなら、こういった偏りは起きないだろうから、何事にもとらわれない、ということではなかったみたいだ。
 それでいい、なにせ誰かに何かを強制されていたわけではないから、もっと気ままに読んで、書いていればよかったのだ、そう考えると、書くことは少々というかかなりプレッシャーになって、事実、読めたが書けていない書評がかなり残っている。気ままに書く、ということが私の中で苦手あるいは躊躇する何かがあるのだろうか、わからないが、ちゃんとしたものを書きたいというふうに考えていたのは確かなので、まあ仕方のないことだったのだろうと思うようにしたい。
 あと今回はできるだけ明晰な文章でわかりやすく書くというのを意識してみており、それは達成できただろうか、難渋な表現を使って多様な解釈を引き出すような文章も書いてみたい、と思うことはあるが、それはそれとして人に伝わるように書けることは、多様な読みをもたらす文章を書く前提になるのだろうから、今は自分の書き方でいいんだと思う。
 ああでもないこうでもないと考えてしまうと結局は何も読めず、何も書けないことになり、何も残せないことになる。何も残せなければ、これから先につながるものもなくなってしまう、こういった事態は避けたかった。
 残りの書評を仕上げることができるか、できるだけやってみるが、できないかもしれないので、それほど期待していない、それよりも部屋の片付けだろうか、それとも本屋に行くのだろうか、まずはドトールを出ることにしよう、コーヒーはもう飲み切ってしまった。


よかったらコーヒー代を投げてくれると嬉しいです。

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