人生最後に伝えたい歌はありますか?
人生とは、生まれてから死ぬまでの暮らし方、時間の過ごし方です。
誰でも人生に最後はやってくるもので、儚いものです。
その時に、悔いを残すような人生は歩みたくないからこそ、漠然とした人生の答えを見つけ出そうとしています。
よく最後の晩餐は何がいい?という問いかけを見ますが、私は即答で、餃子の王将のイーガーコーテルイー、チャーハンイーと答えます(笑)
私には、人生を閉じるときに、人生を共にした大切な人たちに囲まれて、その大切な人たちに、布施明さんの「My Way」が伝えられるような人生が歩めれば、悔いのない人生であったと言えるのではないかと思っています。
My Wayという曲
原曲はアメリカのフランクシナトラさんが歌う「My Way」ですが、日本では、布施明さんがこの曲をカバーされており、世界各国で歌われている名曲です。
私は、布施明さんが歌う片桐和子さんの翻訳のマイウェイが大好きです。
このマイウェイの歌詞は、自分の人生の最後が近づいているときに、友に家族に縁ある人たちに、自分の歩んできた人生を語るんです。
失敗もし、成功もし、勝者にも敗者にもなった、恋愛もしたし、後悔も少しはあるというように、走馬灯のように自分の歩んできた人生を語ります。
そして、最後に自分人生は「信じたこの道を私は行くだけ、全ては心の決めたままに」と、締めくくるのです。
布施明さんマイウェイの歌詞です。
「it was my way」の翻訳
フランクシナトラが歌う英語では、「it was my way」と英文歌詞はなっています。
直訳すれば、「自分の道」、「自分のやり方」とかになるのでしょうか。
でも、私は、片桐和子さんの翻訳がとてもしっくりきます。
特に「信じたこの道を 私は行くだけ
すべては 心の決めたままに」
この部分の表現が、人生を歩んでいく上でとても大切なことだと、気付かされました。
個人的には、この曲が人生の最後に歌うのであれば、自分の良さを最大限に社会の役に立てて、悔いのない人生を歩んできたと後悔のないことを、縁のあった家族、仲間に感謝とともに伝えたいのです。
信じたこの道を 私は行くだけ 全ては心の決めたままに
人は、なぜ生まれてくるか(哲学のようですが)、一人残らず人間は、社会に役立つ持ち味を持って生まれてきています。
その持ち味を社会に役立てるために、生まれてきていると思います。
だからこそ、他人と比較して、うらやんだり、妬んだりする必要がないのです。
「信じたこの道を私は行くだけ」の部分は、誰もが必ず持っている自分の良さ、自分の持ち味を、人の役に立つ自分の能力を、信じて人生(この道を)を歩み、
「全て心の決めたままに」と自分自身が選んできた人生こそが我が人生、この人生の歩み方が本当の人生の歩み方であることが、50歳でわかることができました。
病気になる前は、この曲は、がむしゃらにフルスロットルで好きなように自分のやり方で生きれば、悔いがない人生になるという意味と思っておりました。お恥ずかしい。
もし、自分を花で例えれば、「さくら」であれば「さくら」としての人生、「タンポポ」は「タンポポ」として人生を全うするということです。
私であれば、難病を発症しても、それを受け入れて自分の持ち味を活かして、税理士として、お客さまのお役に立つということです。
体力のある同業者をみて、自分も成功したいと思えば、それは「過分な欲」となり、悩み、不平不満に繋がります。
これからの人生も全てうまくいくとは限りません。私はいつSLEが再発してもおかしくないですし、決して長生きできる体でもないでしょう。
だからと言って、落ち込んだり、僻んだりしても、ますます人生を悪くするだけです。
だから、マイウェイの歌詞のように生きていきます。
「信じたこの道を私は行くだけ、全て私が決めたままに」
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