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イギリスに来て視野の狭さに気がついたこと

今朝、コーヒーを入れながらふと思いついたので書いてみます。これは殴り書きというのかな?短いのでサブタイトルなしで進めます。

イギリスに来て約1年。修論を提出して来週には去る予定だ。コロナで4カ月ほど日本に一時帰国をしていたので、1年間フルで滞在していたわけではないけれど、いい国だった気がする。

この国への第一印象は、「ヨーロッパの中でもいまだ王者に君臨している調子乗っている国」と認識していて、イギリス人の友人との会話の中でもなんとなく他国や異文化への尊重する意識が低いような気がしていた(日本という超排他的な国に生まれ育っているのですが)。アジア人、東アジア人、日本人としてのアイデンティティを持つ自分としては、それがなんだか居心地が悪くて、友達に「イギリスどう?」と聞かれた時には、同じような悲観的なことを答えていた気がする。

ちなみにイギリスのご飯は美味しくないと聞くことが多いけれど、体感としてはコスパは悪いけれど、お金を出せばおいしいご飯を食べることができる、気がする(日本の物価が低くて、ご飯が美味しいだけかも)。そして冬場は日が短いことに加えて、曇りや雨ばかりで日光を浴びる機会が著しく少なく、悲観的になりやすい。けれど、その分夏のカラッとした天気は最高である。

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4カ月間の一時帰国を終え、イギリスへ戻ってきた時に一冊のを読んだ。この本を読んで、この国には階級社会がいまだ根強く残っていて、大学で会った友人はどんな階級に属するのか全く知らないけれど、彼らの英語はいわゆる上品な英語を話していて、自分が出会った人はすごく限られたものであることを知った。そんな制限された環境で生まれてくる自分の感情やそれを踏まえた視野は、もちろん狭いものであることにようやく気がついた。

文字にしてみるとすごく当然のことで、これをまとめて残そうとしていて恥ずかしいんだけれども、モザンビークにいた時も理解していたはずなのに、イギリスにいる時の多くの時間でこれを忘れてしまっていた。

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