〈実行犯の手記の一部を公開〉発生24年・桶川ストーカー殺人事件の「実は冤罪」という真相
あの「桶川ストーカー殺人事件」が起きて、今日で24年になる。そこでこの機会に、私がこの事件の実行犯・久保田祥史の手記を書籍化した『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』(リミアンドテッド)から一部を引用し、紹介したいと思う。
その前にまず、この事件の事実関係、この書籍の発行経緯や内容を改めて説明しておく。
マスコミがほとんど報道せずに埋もれた「実行犯の新証言」
事件が起きたのは1999年10月26日。上尾市の女子大生・猪野詩織さん(当時21)が元交際相手の風俗店経営者・小松和人(同27。事件後、逃亡先の北海道で自殺)やその配下の男たちから凄絶な嫌がらせを受けた末、JR桶川駅前で刺殺されるという大変痛ましい事件だった。そんな事件の概要は、おそらく多くの人がご存じだろう。
だが一方で、この桶川ストーカー殺人事件が実は「冤罪事件」であることは意外に知られていない。
知らない人のためにどこがどう冤罪なのかを端的に説明すると、以下の通りだ。
裁判の認定では、この事件は和人と共に風俗店を営んでいた兄の小松武史(同33)が、配下の風俗店の店長・久保田祥史(同34)らに対し、猪野さんの殺害を依頼し、実行させた――とされている。武史は捜査段階から一貫して「そのような依頼はしていない」と無実を主張したのだが、「被害者の殺害は、武史に依頼された」という久保田の供述のほうが裁判で信用されたためだ。武史は無期懲役判決が確定し、現在も千葉刑務所で服役している。
しかし実際のところ、久保田は武史の裁判の途中で自分の証言が「嘘」だったとして撤回し、「被害者の殺害は、本当は自分が暴走してやったことだった」という内容の新証言を行っているのだ。今初めてこの話を聞いた人はにわかに信じがたいかもしれないが、これはまぎれもない事実だ。メディアがほとんど報じていないため、周知されていないだけなのだ。
首謀者とされた男は実行犯の手記を「無罪の証拠」として再審請求
私は、久保田が服役中から直接的な取材を重ね、彼に事件の真相を告白する手記を執筆してもらい、2014年に冤罪専門誌『冤罪File』の第21号(2014年7月号)で記事化した。さらにその後、2019年にはその手記を『桶川ストーカー殺人事件 実行犯の告白』というタイトルで電子書籍化もしている。この時は武史がこの電子書籍を「無罪の新証拠」として、さいたま地裁に再審請求を行う事態となった(武史は現在も再審請求中である)。
2020年、私がそういった事件の後日談と共に久保田の手記を改めて書籍化し、私自身が営むひとり出版社リミアンドテッドから発行したのが、冒頭で紹介した『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』である。
おかげさまで、これらの記事や書籍は関係者や読者の多くから相応の信ぴょう性がある内容だと受け止めてもらえた。だが残念ながら、久保田の手記により明らかになったこの事件の真相はまだ社会に広く知られたとは言い難いのが現実だ。それが今回、私がこの場で書籍『もう一つの重罪 桶川ストーカー殺人事件「実行犯」告白手記』に収録された久保田の手記のうち、一部を引用して紹介することにした事情である。要するに私はこの事件の真相をもっと多くの人に知ってもらいたいと思っている。
以下に公開するのは、同書に収録された久保田の手記のうち、事件を起こすきっかけになった出来事について綴られた部分だ。事件前、和人は配下の者たちを使い、猪野さんに対して嫌がらせを行いつつ、自分自身は猪野さんにふられたショックから立ち直れず、沖縄で一人落ち込んでいた。久保田によると、沖縄でそんな和人と会った際、2人の間で次のようなやりとりがあったという(引用部分のうち、太字は原文ママ)。
久保田の説明では、猪野さんを殺害する事件を起こしたきっかけは、沖縄で和人とこのようなやりとりをしたことだったという。つまり、久保田が事件を起こしたのは、「和人の無念を晴らすため」であり、武史から殺害の依頼をされたからではなかったことがここに示されているわけだ。
同書に収録された久保田の手記では、
「久保田と小松兄弟はそもそもどういう関係だったのか」
「久保田はなぜ、和人の無念を晴らすために猪野さんを殺害までしなければならなかったのか」
「久保田が小松武史を首謀者に仕立て上げたのはなぜか」
などといった事件の核心的なことも詳細に明かされている。また、同書には、小松武史が当時の久保田との関係などを綴った手記も掲載しているほか、久保田が犯行に及んだ際に現場に同行していた川上聡(同31)と伊藤嘉孝(同32)の2人の「その後」も私の独自取材に基づいて報告している。
関心のある方はぜひご一読頂き、この事件の真相を見つめ直して頂けたら幸いだ。小松武史は、猪野さんの殺害に関与していないにせよ、事件前の嫌がらせにもまったく関与していないわけではないので、「冤罪者」であるとはいっても同情は集まりにくいと思う。また、本書により私が世間から「冤罪を明らかにした取材者」として好意的に評価されることも無いだろう。
それでも私はこの事件について、事実を事実として伝えたいと思っている。
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