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【持続可能な伴侶との暮らし。】

晩夏の昼過ぎ、太陽の日差しはまだまだ元気いっぱいだ。だが、午後からは雨予報が出ている。チャンスは今しかねー。

長野県伊那谷の標高700mの山の麓にある我が家はお盆が過ぎれば急に秋がやってくる。はずだが近年気候がおかしいのかまだまだ残暑が残っている。今日も背中から汗が噴き出る、「あちい あちい」と言いながら大きなビニール袋に乾草を詰める。隣では愛山羊のモモが知らぬ顔で草を食べている。

何をやってんの?って?「ホシ草」をビニールに入れてんのさ。
だからそれは何のため?って?そこまでこの愛山羊が理解できていればもうちょっとモチベーションが上がるのだが、愛山羊モモは素知らぬふりをして草をハムハムしている。

「モモ、お前の冬のご飯だぜ」と言ったところで、全く伝わらないが、それでいいと思っている。将来、モモの出すミルクを貰ってもモモは多分「今日も頑張ってミルクあげるよ!ほら絞って!どう?美味しいでしょ?」とは全然思わないだろうから。

だから、俺たちの関係はイーブンイーブンというやつだ。厳しい冬が来ても俺の汗と涙の乾草は感謝なんてされず、当たり前のようにハムハムされる。だが、俺も当たり前のようにミルクをいただく。それでいいじゃないか。お互いに因果は知らないけどお互いに支え合っている。そんな関係。

僕にとって家にいる山羊や烏骨鶏はペットではないが家畜とも言い切れない(烏骨鶏は世代交代が早すぎてもう名前は覚えきれないけど)。できる限り放し飼いで野生に近い日常を送ってもらっている。山羊も烏骨鶏も名前をつけて呼んでいる。そして世話をする代わりに卵やミルクをいただく。家畜よりはペットに近いのかと思うがなかなかいい呼び方がわからない。だから一応エッセイっぽく彼ら、彼女らを「伴侶」と呼ぶ。

グローバル化、金融、株価、物価、インフレ、消費・・・絶妙なバランスをとっている資本主義は、一つのウィルスや海の向こうの戦争でいとも簡単にバランスを崩して大きくブレる。僕もこのコロナで痛いほど実感した。僕らは本当に絶妙なバランスの上に暮らしている事を自覚した方がいい。そして、グローバル主義・資本主義の影響の外に軸足を移そう。最初は全部じゃない、軸足だけだ。そうすれば物価高・インフレなんて恐れやしない、いつでも来い!じゃ!!

軸足をどうやって移すかって?

自ら生産手段を持つこと。持続可能なね。

つまり、

「伴侶」と「畑」を持つことさ。

愛山羊「モモ」
ミヒャエル・エンデの名作から名付けた。
「資本主義・大量生産大量消費時代」に警鐘を鳴らすようなファンタジー。
僕は1年前まで「灰色の人間」だったんだ。


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