深海紺『恋より青く』 書評

 「好き」という感情を通じて見えてくる、少女たちの心の機微を純度高く描いた物語である。女子高校生の高峰司は、高校一年生のうちにバレーボール部を退部したため、退屈な放課後を過ごしていた。だが、電車で、別の高校の生徒である咲倉と、互いに持っていた本を取り違えて別れてしまう。その本は奇遇にも同じ書籍だった。ここから、読書を通じて高峰と咲倉の交流が始まっていく。

 本書では、高峰を中心人物として二つの「好き」が交錯する。一つ目は、咲倉の、読書に対する「好き」だ。二つ目は、高峰の友人の廣瀬が持つ、バレーボールに対する「好き」である。

 高峰は、「好き」が分からない。何かに熱中した経験がないのである。彼女は、一年生の時、廣瀬から誘われてバレーボール部に入部した。廣瀬は小学生の時からバレーボールに取り組んでいるベテランで、高峰にはバレボールの適性があり、二人はすぐにレギュラーメンバーに選ばれた。だが、高峰は、二人の出来に気押された先輩の「好きって気持ちなら/負けてないと思うんだけどな…」[深海:147]という独白を意図せず聞いてしまう。高峰は、先輩の言葉に、その通りだと感じた。自分はバレーボールが好きでもなく、情熱的に努力する先輩に同情までして、かっこ悪いと感じた。そして、軽い怪我をした際、それを理由にしてそのまま退部してしまったのだ。

 しかし、高峰は、咲倉に出会って変化していく。咲倉は、高峰の前で、彼女のものと取り違えた本について語った。高峰は、その姿に心を動かされた。咲倉は、その本が「好き」だったのだ。そして、高峰は、放課後、咲倉と同じ時間の電車に乗り合わせるようになり、読書を始める。

 変化していく高峰に対して、心穏やかではないのが廣瀬だ。廣瀬は、高峰がバレーボール部を辞めた後も、彼女のことを気にかけている。いつも一緒に行動している友人グループの一員だからという理由もある。一方で、咲倉が通う高校との練習試合がある際に、高峰を誘ったら見に来てくれるだろうかと考えている。咲倉と廣瀬はよく似ているのだ。互いに、高峰に対して「好き」をプレゼンした者同士である。ただ、高峰は、バレーボールの方には距離を置いてしまっているのである。

 二人には「好き」と、「好きになってくれたら嬉しい」という気持ちがある。咲倉は、所属していた文芸部が廃部になった後、一人で読書活動をしていた。だから、高峰という読書仲間を得て舞い上がっている。廣瀬は、高峰をバレーボール部に誘った際、やっていくと好きになるかもしれないと述べた。「好き」というのは基本的な感情だ。それが、自分の外の物事と絡んで複雑化する。感情は共有したくなることもある。自分の「好き」を相手も好きになってくれたら嬉しい。しかし、高峰は勿論のこと、他人というのは、その気持ちに応えてくれるとは限らないのだ。高峰もそれを自覚している。だが、分からないなりに「好き」を探そうとしている。この葛藤にも注目である。

 加えて、本書は、描写がとっている間も印象的な作品だ。セリフのないコマが使われ、ふとした言葉に動かされた心をそのまま抽出しているかのような描写が多い。彼女たちからは、「好き」を通じて、前向きなだけではない、複雑で幼気な心の様相が読み取れる。余白を残した表現が、それらを鋭敏に感じさせてくれるだろう。


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