「関わらない」と言う関わり方

人間、生きていれば何かしらの物事や人と関わりを持って生きていると思います。
それは老若男女問わず、四六時中と言っても過言ではないはず。
人は生まれた瞬間から死ぬ寸前まで、何かと関わって生きているのだと思います。

金八先生の「人と言う字は~」を思い出しますね。
人(と言う字は)は人と人とが支えあって出来ている、と言う有名な台詞です。
確かに、互いに関係し、どちらかがもう一方を支えていると言う風に考える事が出来ますね。

しかし、常に直接接している状態だけが「関わっている」と言うのでしょうか?

僕は個人的に、「関わらない」と言う関わり方もあると信じています。
(この場合、先頭に「あえて」と言う言葉を付け足しておくべきとも言えます)

これは具体的に言えば「今言わなくてもいいことは言わない」「今のこの行動はこの人にとって何か理由や考えがあるのだろうからあえて何もしない」などです。

一見すると間違えていると思えるような行動でも、何かそれをする理由がその人にはあったのではないか?そうせざるを得ない事態があったのではないか?と僕は常に考えます。これは僕自身が日頃から誤解されやすい人間だからと言う理由と、少しでもお互いの認識や個性の摩擦を減らしたいと思っているからです。

確かにその場で相手に修正させるのは簡単ですが、もしかしたらその日はたまたまその人が調子が悪かっただけかもしれないし、そもそもでその間違いが間違いだと言う概念が無いだけかもしれない等、事情は様々だし、自分と相手はまったく別の人間で知っている事も持っている情報量も違います。
だから、元々で(人としての道徳的な概念はお互いにあると仮定した上で)僕らは何も「間違っている」わけではないし、ただ「違う」と言う状態なだけなんです。

僕はできる限り他者を尊重したいと思う派の人間です。言ってしまえば、相手からもそうされたい派の人間でもあります。だから僕はあまり人が間違えた時に、それが死活問題またはそれに近い間違いではない限り、その間違いを僕からは指摘しません。(自分から指摘できないと言う欠点もありますが…)むしろ、その人が自分から自分の間違いに気づくまで待とうと思う人間です。まったく関わらないワケでもないし、指摘しないワケでもありません。心の中では気にかけてはいます。ただ、一番のベストなタイミングを見計らってはいます。その方がその人のためになるし、それが一番良いやり方なのではないかと信じています。


これが僕の思う「関わらないと言う関わり方」です。


皆さんは人と関わるとき、どう言う関わり方をされていますか?

他者との心の距離を、どうやって感じていますか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?