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Trapped in Japan ―コロナ禍の日本に閉じこめられて…

このテキストはベネズエラから京都の大学に留学していたElisa Ovalles(エリサ・オヴァイエス)さんが、“Medium”に8月6日に投稿し、特に在日外国人のコミュニティーで大きな話題となった体験談の日本語訳です。日本政府の厳しい入国制限により、どんな理由があろうとも永住権を持っていようとも一度国外に出たら日本に再入国できないという異常事態がつづき、多くの在日外国人が苦境に立たされていることは日本語のメディアでも少しずつ報道されるようになりました。未知の感染症によって世界が一変し、経済的・政治的に比較的弱い立場の国のひとたちが特に突発的なルールの設定や変更に翻弄されて、人生がままならなくなってしまっています。
今回Elisaがシェアしてくれた体験は、それとはまた違う原因で起きたトラブルですが、彼女も本文中で触れているように、「日本にいると人道的な支援がほとんど受けられない」ため、たまたま旅行で日本に遊びに来ていてコロナの蔓延で国に帰れなくなってしまい、そのままずっと京都や東京にとじこめられているという外国人観光客もたくさんいました。家族や友達と会うことも普段通りの生活もできず、所持金にも限りがあり、言葉も慣習もなにもわからないというひとたちが、もしかしたらあなたのすぐ近くで息を潜めて生活しているかもしれません。

今回の和訳にあたっては、なるべくご本人の意図を外さないようにしつつも、読みやすくまた日本語としてのリズムがあるように、変えるべきところは結構アレンジしています。元は英語のテキストですが、比較的平易に書かれていますので、もし興味のある方は彼女のMediumのページでご覧ください。また、なるべく早く公開できるように急いで作業した部分もあるので、間違いや修正すべき点があったら教えてもらえれば、できるだけ対応します。Elisa本人にも確認してもらって、「特にダイアローグ部分が気に入った。自分がもし日本語で喋るとしたらこういう感じだろうと思えた」と言ってくれたので、基本的には大丈夫だと思いますが。


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京都の立命館大学での勉学のために日本に来てから、4年の歳月が流れた。卒業式は衣笠キャンパスで3月21日に行われ、それがわたしの日本滞在の最後を飾るイベントになる予定だった。そんな特別な日を祝うためにわたしの家族を日本に呼んで、そして家族みんなでもう一度日本中を旅する計画もあった。わたしがよりよい自分に成長することのできた場所、自分がホームだと思える場所にきちんとさよならを言うためにも。

当然、住んでいた部屋は解約を決めていて、身の回りのものはすべて郵便で送られたか、空港に持っていくための3つのチェックイン用荷物に詰め込まれていた。このときはまずベネズエラの故郷に帰って1年を過ごし、その後研究を続けるために次の国、イタリアへと旅立つという計画を立てていた。でも、すでにみなさんがご想像の通り、これらの予定はひとつも実現しなかった。

わたしの家族は日本への飛行機に乗るどころか、家を出ることすらできなかった。予定を何ヶ月か過ぎてしまうとわたしの在留カードは期限切れになってしまい、かわりに発行されたのは短期のビザ(観光ビザ)だったので、わたしはこの国で働くこともできなくなってしまった。仕方なく最初はホテルに住んで、その後は友達の親戚を頼って大阪に移ったものの、そこでの暮らしはうまくいかず、結局京都に戻ることになった。すでに親しい友達はみんな京都を去って、海外にいるか、仕事の都合で日本各地に散らばっていた。これらすべてのことが、まだ立ち直れていない恋人とのほろ苦い別れのショックに加わって、わたしの中は孤独と心配でいっぱいになってしまった。

ある日、フライト情報を追っていると、この国を去る機会が画面に表示されるのが目に入った。カナリア諸島行きのエコノミーの便に空きがあった。どの国が観光のための入国を許可し始めているかニュースを追っている人なら知っているだろうが、スペインは7月1日以降海外からの訪問者に検疫のための14日間の隔離期間を設けずに入国を許可している。それに、叔父と叔母がテネリフェ島(訳注:カナリア諸島最大の島)に住んでいるから、そこにしばらく居させてもらうことは何の問題もない。わたしはそのチケットを買って、出発の準備をはじめた。

ただそのフライトはなんだか問題だらけのようで、航空会社は何度も予定を変更しつづけた。出発空港が関西国際空港から羽田空港に変わってしまったのは特に痛かった。京都から羽田に行くのは遠くて大変だし、旅費も余計にかかる。でも、最終的にフライトの日付が7月21日で確定し、わたしには他に選択肢もないのだから、この便にすべてを賭けることにした。

窓の外を見つめ、自分たちの飛行機が雲に近づいていくのを目にすると、胸がいっぱいになってしまった。下の方に目を向けると大阪や京都が見え、すぐにわたしの愛する関西地方全体がどんどんと小さくなっていく。やっと出発できるんだ、夢じゃない、そう思った。信じられない気持ちだった。飛行機に乗るという行為自体がレアで危険を伴うものになってしまった今では、自分がフライトすることができたことも信じられなかった。でも、わたしはひとりではなかった。羽田へ向かうその飛行機はほぼ満員、見たところ大阪での仕事を終えて帰るひとたちで一杯だった。

羽田に着陸したのは19時30分。なんのトラブルもないフライトだった。国内線ターミナルは異様なほど活気があったのに、2つ下の階の国際線ターミナルは、まるでホラー映画の舞台のようだ。ターミナル全体を見渡しても、ほんの少ししか照明がついていないし、チェックイン・カウンターは1つ、レストランは2つしか開いてなくて、しかもその時間になると食べ物はすべて売り切れていた。世界の直面している問題を改めて眼前に突きつけられたようで、背筋の寒くなるような感覚を覚えた。
でも、わたしは落ち着いて、前向きな気持ちを保つよう自分に言い聞かせる。「4回のフライトのうち、最初の便は何事もなかったじゃない。すぐにテナリフェ島の家族の元に到着するよ。一歩一歩進むんだ。あと3つこなせば、すべて終わる……」そう頭の中で繰り返した。

「申し訳ありませんが、あなたをこの便にお乗せすることはできません」男の声は青色のマスクを通ったときに少し小さくなったようだった。
「え、なんて?」自分自身にこれは何かの間違いだと言い聞かせるように返事をした。その係員はカウンターを離れるとスマホを手に持って近づいてきて、前日届いたというメールをわたしに指し示した。
「昨日スペインからリストがメールで届いたんです。スペイン政府が入国を許可する国のリストです。残念ながらベネズエラはそのリストに入っていません…」
「でも日本は入ってるじゃないですか」と遮るように言う。「わたしはこの国に4年半も住んでるんですよ。ベネズエラに最後に足を踏み入れたのは1年も前です。それに、わたしはスペインの家族からの招待状を持っています。スペインの役人が確認して捺印した正式な書類で、わたしにはスペインに身元保証人がいて90日間滞在先と援助を受けられるということが書いてあります。最終目的地のイタリアの大学からの入学許可証も持っています」

「何年この国に住んでいようと、あなたは日本人ではないので関係ありません。これは国籍に関わるルールなんです。特例的な入国を許可するビザ、もしくはスペインのパスポートをお持ちでなければこの飛行機に乗ることはできません。ビザはお持ちでしょうか?」
「いえ…だって、ベネズエラ人がスペインに入国するのにビザは必要ないんです。でも、さっき言った他の書類があって……」
「では、すみませんがあなたをこの便にお乗せするわけにはいきません」係員はわたしを遮ると、別の係員が持っていたわたしのボーディングパスを掴んで片付けてしまった。

感覚をどんどん失って、わたしの心はぼんやりしていた。わたしのなかでパニックが急激に広がって、頭の中では熱い血がたぎり暴れ回っているように感じた。とめどなくあらゆる思考の波が浮かんでわたしの中を駆け巡った。“リストを昨日受け取ったって言った?”、“じゃあなんで昨日それを教えてくれなかったの?”、“どうしてこの変更に気づけなかった?”、“2日前に確認の電話をして、このフライトは大丈夫なのか乗れるのか聞いたら彼らは「大丈夫です」って言ったよね?”、“え、これマジ、現実なの??”

2つの大きなスーツケースと重いバックパックに目をやって、それから小さな財布を胸にギュッと押しつけた。そう、ほんの数時間前にわたしは日本の銀行口座をすべて閉めてしまい、その財布に入っているのはユーロに換金した全財産だった。

考えろ、考えろ、考えるんだ。すべてのことに解決策はある。ちがう角度からそれを見つければいいんだ。

愕然としていた。眼は涙でいっぱいになり、心臓は尋常でない速度で鼓動する。それ自体に意志があり胸を突き破って出てきたがっているようだった。

「すみません、状況はわかりますが、わたしにも理由があります。他のひとたちは全員搭乗許可されたじゃないですか。わたしは自国にいるわけでもないし、銀行口座も電話番号もありません。ビザももうすぐ失効してしまいます。日本では誰にも頼れないし、この国からの人道的帰国便は一切ないんです。スペインに行かないと、どうしょうもないんです。お願い、この飛行機に乗せて」わたしは懇願した。
「普段でしたら違う対応もできたと思いますが、今回に関しては私共は何もできないのです。すみません。わたしにできることは、今日の顛末を記した報告書を書くことくらいです。それでは失礼します」係員はカウンターを去り、ゲートは閉じられた。わたしはその場に残された。たったひとり。

完全に空腹なのに2000円しか手持ちはなく、ネット接続もない状態でよく知らない東京に取り残され、わたしは粉々になった。悲しみと恐怖が完全に自分を覆い尽くすに任せ、ブルブルと震えていた。

空虚

時間の感覚をようやく取り戻すと、すでに時計の針は深夜零時近くを指していて、わたしは誰もいない国際線ターミナルのゲートに座って泣いていた。怒りのあまり泣いていた。侮辱され、弄ばれ、今にも砕け散りそうだった。この瞬間のために捧げてきた時間の無駄、精神的な消耗のために泣き叫んだ。
誰もわたしをこの状況から助け出せないことがわかっていたから涙を流した。

わたしの23年の人生において、完全に孤独な状況に陥ったことを自覚するのは初めてだったと思う。旅客も、空港スタッフも、家族も友達も、ひとっこひとり周囲にいない。
たぶん、生存本能がわたしを突き動かしてくれて、移動を始めた。ターミナル内にホテルを見つけ、自動両替機で一晩泊まれるだけのお金を換金した。ホテルでWiFiに接続して家族や友人に連絡を取った。それからシャワーを浴びてベッドに横になり、その日起きたことについて考えた。
その日起きたことによってそんな精神状況に陥ったわけじゃなく、起きたことの背後にある理由がわたしの感情の発端になったんだ。

自国で直面した数々の困難によって多くのベネズエラ人は国を去った。実際、移民のかなり早い段階で、息苦しく抑圧された感覚は消え、代わりに無限の可能性や完全な自由といった感覚が芽生えた。にもかかわらず、わたしたちは“国際社会”に住んでいるなどと言っても、現実にはそれは人の価値を測り、生まれた場所によって制限を設定する。

わたしの個人的な思いをあえて口にするなら、世界的なパンデミックのさなかに、特定のひとたちは旅行のためだとか単なる遊びのために飛行機に乗ることができて、一方でわたしのように、必要に駆られて別の国に行くことすらできないひとがいることは、とても理解に苦しむ。

スペインが自らの責によらない極端な状況により入国しなければならないひとに対して「特例的ビザ」を発給していることに気付き、それを申請することにした。スペイン大使館では、ベネズエラのパスポート所持者であるわたしは元来いかなるビザも免除されているので、特例的ビザを求めるのはおかしいと言われてしまった。

でも、コロナ禍そのものが極端な状況に該当しないのだろうか? わたしのスペイン滞在は許可された90日を超えることはないとあらゆる条件が明示していないだろうか? そもそも、わたしは家族と再会し、この超不確実な状況でわたしが必要としている感情的そして経済的なサポートを彼らから受ける権利を有しないとでも言うのだろうか?

わたしは仕事もない学生未満の存在で、閉じ込められた国のビザは失効寸前、働くことも、保険に入ることも、銀行口座を再度開設することもできない。EUへ移動することに十分すぎるほどの妥当な理由があるのに、それでも彼らはわたしがベネズエラ人だから「なにもできることはない」と言うのか。

わたしの国籍がいったいCOVID-19となんの関係があるの?

スペイン政府はその国で見つかった感染者数に基づいて入国許可する国のリストを作った。
ベネズエラの感染者数は日本や中国より多いの?
わたしはベネズエラには1年半以上帰っていない。それなら、わたしがコロナに感染している可能性は、日本に住んでいる他のひとと同じじゃないの?
もし健康上の安全性が唯一この「許可国リスト」の作成に関係しているというのなら、そんなゴマカシには付き合っていられない。そうだとしたら、わたしは日本人の友達の誰よりもコロナに感染している可能性が高いという話になってしまう。

オーストラリア人や韓国人が遊びや楽しみのために国家間移動する権利を享受している一方で、わたしがあの飛行機に乗る権利も「特例的ビザ」を申請する権利も、同時にそして瞬時に否定されてしまった。

トルコ航空がフライトの前日にOK国(というよりOK国籍)リストをメールで受け取っていたにも関わらず、わたしに連絡して知らせてくれなかったのは、責任意識や配慮がとてつもなく欠けていると言わざるをえない。

加えて、スペイン政府(や既に国家間の商業フライトとすでに再開した国いずれも)が、許可リストのようなものを作りながら、それが直前14日以上その国に滞在したビジターも含むのかまったく考慮していなかったり、“移動性”という現在の“国際社会”では暗黙の特権となっていることをはっきりと強調しなかったりしたことに問題がある。国によっては元々そんな移動性は贅沢なことだったし、今となってはその特権もさらに縮小されてしまった。

この件に関してYouTubeに投稿したビデオで、国際研究(国際関係論)を専攻する者として、不法滞在者や難民という立場にある多くのひとたちにおいて、国籍が彼らを制限したり、ときには虐待や搾取にも及ぶ言い訳となっていることを承知していると話した。
それでもなお、同様の問題に直面している他の人の助けになるかもしれないし、彼らにひとりじゃないと伝えることができるかもしれないと思って、今回の自分の経験をシェアすることに決めた。もし助けやサポートが必要なひとがいたら、いつでもわたしのSNSアカウントから連絡してみてください。

最後に、この話の中にはわたしにとてもつらい経験をさせたひとたちが出てくる一方で、同情してくれサポートを申し出てくれ、助けの手を差し伸べてくれたたくさんの方々との貴重な出会いもあったこと、そしてそんな助けをとてもありがたく思っていることをしっかりと書き残しておきたい。

最新アップデート:

ビザに関して、2週間前に「特別活動ビザ」(6ヶ月間有効でパートタイムの就労が可能)というものを申請することができた。現在は入管の返事を待っているところです。

トルコ航空は、一切なんの補償もしてくれないらしい。でも彼らは航空券代に関しては返還に同意してくれ、日本にある友達の銀行口座に返金してくれるという段取りになった。返金されたらそれを友達がわたしに現金で渡してくれる予定。

日本出国ですが、これは東京在住のままイタリアの学生ビザ(9月以降に申請することができるようになる)を取得することで可能になりそう。この審査過程は通常一ヶ月はかかるということなので、上手くいけば10月か11月頃にはやっと日本を出発できる。ただし、まずスペインに立ち寄って家族と会うことができるのか、それとも直接イタリアに行かなければならないのかは、まだわからない。

現在の住まいと経済的な状況。これはまったく問題なくなったのでご心配には及びません。日本に年末くらいまで居続けることができる十分な援助を受けることができたので(その頃までには次の目的地に向けて出発できている、はず)。

最後に、この手記を読むことに貴重な時間を割いてくれたすべて方々に感謝を表明したい。
サポートや助けを提供しようと連絡してくれた皆さん、本当にありがとうございました。こういう行動によって変化が生じるのだと思います。わたしはそういった思いやりある人間性というものを信じたいですし、それによってより良い社会が育まれると考えます。

自分もまったく同じような境遇にいると感じて連絡をくれた皆さん、そして今もそのためにもがき苦しんでいる方、あなたのことを気遣ってつながろうとしてくれるコミュニティがあります。あなた自身の体験を公にすることを恐れないでください。そうしないと、誰もあなたを見つけられないからです。

あなたの気持ちは間違っていないし、あなたはひとりではないんです。
みんな、無事で心配なくいられるように…きっといつか出口は抜けられます。

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