見出し画像

【006】仏教学習note【仏教哲学の世界観1-6】

こんにちは。
このシリーズでは僕が仏教について学んだことを記しています。
なお、僕は仏教について何にも知りません。

仏教学者で花園大学の教授をなさっている佐々木閑先生のYouTubeでの講座を見て、その内容をまとめています。

もちろん僕の主観によるまとめなので色々と解釈の違いや間違った理解があるかと思います。
それはXなどでご指摘いただけると幸いです。

あくまでも大学生の受講ノートみたいなものだと考えていただけると幸いです。


前回は梵天ことブラフマン=バラモンを中心した主義の社会がどのようなものだったか。そこにある聖典ヴェーダと、ヴェーダから引用されて成立した差別制度カースト。
それらに疑問を持ち、脱却しようとする沙門=シュラマナが出現したというお話でした。
今回はそんな沙門のうち、仏教を創設した釈迦による「梵天」の再解釈について。


仏教哲学の世界観1-6

https://youtu.be/51lUIx4CDaI?si=TuzeeL1C5GSs8QSa

AIによる要約

  1. バラモン教と仏教の大きな違いについて

  2. 仏教とバラモン教の異なる宗教観

  3. 仏教の本とカースト制の否定

  4. 梵天の仏教への変容と否定

  5. 仏教における神々の実在と輪廻

  6. 梵天の輪廻と自己錯覚

  7. 梵天の仏教への変容と地位低下

  8. 言葉の概念変容と仏教の歴史的展開

学習したこと

バラモン教の三つの要素と仏教による否定

バラモン教における基本的な三つの要素

  1. 梵(ブラフマン・梵天)

  2. ヴェーダ(聖典)

  3. カースト

    1. バラモン

    2. クシャトリア

    3. ヴァイシャ

    4. シュードラ

    5. チャンダーラなど

仏教ではこれらを認めない。
つまり、
この宇宙はいかなる者にも司られていない
いかなる者にも支配されていない

という結論となる。

通常、ほとんどの宗教では絶対的な力で世界を司る神の存在があり、その神を敬い奉ることで成立する。
言い換えると、絶対的な支配者たる神と、それを信じる人間との関係で成り立つのが通常の宗教である。

しかし、釈迦の提唱する世界観はそれらとはまるで異なる。
その原理は

この宇宙には我々の人智を超えた絶対的な存在はない

ということになる。
当然、梵と関わりのある聖典ヴェーダも仏教では認めていない。

従って、

仏教では聖典も存在しない

ことになる。

お経は聖典ではないのか?

しかし、それではお経など釈迦の教えとして存在しているものは聖典ではないのか?という疑問がおこる。

これに関して、
あくまでも釈迦は特別優れた知恵を持つというだけの「人間」でしかなく、その釈迦がこの宇宙の本質を「発見し」、我々に伝えているだけである。
そこには釈迦の伝える言葉のさらに上に、
神のような別次元の存在を認めていない。

同様に、ヴェーダを認めない仏教は、あくまでも一人の人間である仏陀が伝える教えを信奉している、というスタンスをとっている。

従って、梵やヴェーダを基に作られたカーストについても原則として認めていない。
これは仏教の修行者となるときにどのようなカースト階級であっても平等に受け入れることからもわかる。

こうなると次のような疑問が生じる。
現在の仏教では帝釈天や梵天としてお寺にある仏像の周辺に祀られている。

仏教は梵(ブラフマン)を否定したはずなのに?

これは一体どういう理屈になっているのか?


仏教における梵(梵天)などの神の扱い

この疑問に対する回答としては

梵天という名前を使いながら、その意味を全く変えた形で受け入れている

ことになる。
「神など存在しない、梵(ブラフマン)などインチキである。」
といった言い方をしない。

佐々木先生としては、否定していると言いつつも、当時の常識だったブラフマンという神の存在をお釈迦さま自身信じていたのではないか?と考察している。

つまり、
「神は存在する、しかし我々の勝手な思い込みとは全く違う形で存在している」

という理屈になっている。
ではどういう形で存在しているのか?

これは、梵天をはじめとして、いずれ神は全て死ぬ。

そして死んだ後は輪廻しどこかの何かに生まれ変わる。
では、例えば梵天が死んだ後は梵天が消滅するのか?
というとそうではなく、代わりに新しい梵天が誕生する。
つまり

仏教における神の名前はあくまで役職名でしかなく、例外なく輪廻する。
輪廻の先も梵天であっても人間に生まれたり地獄に落ちたりする。
再び神として生まれかわる保証はない。

このように、仏教における神たる梵の否定とは
神の存在の否定ではなく、その再定義にある。

神であろうと逃れられない死、つまり諸行無常からは逃れられない。
そして輪廻して再び生まれ変わってしまう。
このことから輪廻からの脱却方法を教える仏陀(釈迦)に対して

梵天ならびに神々は仏陀に教えを乞う立場となる

このことからお寺に祀られている梵天や帝釈天が中心ではなく仏像の周りに配置される。

仏教理解のための最重要ポイント

本来バラモン教世界においては梵をはじめとする神々は絶対的な存在だったが、仏教においては人間と同じく老いて死ぬ運命から避けられない生き物であり、地位としては仏陀よりずっと低いものとして扱われている。

このように、仏教ではそれまでに存在していた用語や言葉をそのまま利用して使いつつ、その中身をすっかり入れ替える。

この考え方は仏教の理解には非常に重要となる。
これは釈迦が編み出した仏教も例外ではなく、仏教のあらゆる考え方や用語が新しく再解釈され別の意味として再定義される。

「空」「菩薩」「仏陀」
このような言葉さえも再定義され全く概念が変わる。

仏教の発達や発展においてこのようなケースは頻発する。その結果、長い歴史の中で様々に再定義された仏教が生まれ細分化されていくことになった。

つまり、仏教においては

同じ言葉だからといって、今も昔も同じ意味だとは限らない

ということになる。
ここを理解しておかないと仏教を完全に見誤ってしまう。

同じ言葉でもその概念は変容し、新しい教義や理念が生まれる。
言葉の表面だけでなく、その奥に潜む概念を理解することが仏教の歴史的展開を明らかにする鍵となっている。


感想

講義の内容はとてもわかりやすく理解できた。
しかし一方で疑問も生じた。

  1. 釈迦は本当にどこかで梵の存在を信じていたのだろうか?

  2. 神が死ぬならもう神様とは呼べないのでは?

  3. 仏教が深い洞察を行うものであれば神の寿命の存在をどうやって結論づけた?

  4. 結局検証しようのないものを無理やりこじつけただけで、実際には神の実在にも疑問があったのではないか?

  5. なぜわざわざ同じ言葉の「再解釈」という手法を使ったのか?

  6. 再解釈が仏教の手法で正当化されたことが、

    • 後の人々の好き勝手な解釈を許してしまった

    • 結果分化してしまった教団同士の無用な争いの元になってないか?

    • また、カルトなど反社会的な教団の出現を許してしまったのではないか?

いまのところ、バラモン教の否定は良いとしてもその手法には問題があったんじゃないかな?と思った。

梵の実在を信じているなら、
どうやってその寿命の存在を知った?

梵の実在を信じていないなら、
どうしてわざわざ再定義する必要があった?

梵の存在を信じていて、「我々が思っているような神ではない」と認識したのなら、正しい梵天の認識とお願いの仕方は追求しなかったのだろうか?
わざわざ難易度の高い「自分で自分を変革」なんて考えるより、よっぽど梵をハックする方が楽なのではなかったか?

つまり、

  • 梵天のことをいくら考えてもわけわからんからそっちは諦めよう

  • 梵天は実在するけど人間の都合よく動いてくれないダメ神だからほっとけ

  • 梵天なんているわけないだろ

これのうちどれかだったんじゃないかな。
梵天について考えるのを諦めたってエピソードがあるんなら、まだ梵天の存在を信じていた可能性はあるかな。
それがないのだとしたら、結局「梵天なんているわけないだろアホか」って考えていた可能性の方が高い気がする。

このあたりがモヤモヤする。
まあ、信じていようがいまいが
梵天の存在を表明しないと当時の社会では常識すぎて受け入れられずに消滅していただろうし、
手法として再定義・再解釈することによる概念の変容が許されてなければ長い歴史における社会の変化に対応できなかっただろうという理屈はわかる。

とはいえ、仮に絶対真理として諸行無常があるとしても

情報のほぼ永久保存ができる現代においてその心配はいらない気がする。
どれだけ時代が変わろうとも、劣化したり消えることのない情報をいつでも振り返り、再確認することができるからだ。

となれば、これまでの仏教の曲がりに曲がりまくった定義を一旦リセットして、初期仏教の本質部分を抽出し直すこともできるのではないかと思う。
だって葬式だったり偶像崇拝だったり戒名だったり阿弥陀如来なりは現代においては引き継ぐ理由もないと思うし、仏教のエッセンスとしては不要だと思う。

それこそ「再定義」が必要なんじゃないかな。


今回は仏教の本質に触れた非常に重要な回だと思いました。
おそらく今後、今回のエピソードを何度か振り返って引用することになる気がしています。

次回は「仏教哲学の世界観 1-7
地理的な側面から見た仏教の成り立ちについて。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?