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心を亡くすと書いて、「忙しい」。

私は小さい頃から、なにかと気難しく考えるタイプだった。
そんな自分に、疲れるときもある。考えても仕方のないことを、延々と考えている。だからこそ、こうして文字を綴りながら、思考を整理している。私にとっての一種の瞑想になっている。


でも、やっぱり、「考えている」ことに変わりはない。
いっそのこと、何も考えずにいたい。
今思えば、私が陸上にハマった理由は、何も考えずに済むからかも知れない。


100m走の選手だった私は、ひたすらに走った。
呼吸することも忘れ、本能のままにゴールに向かって走る。
そこには考えを巡らす隙もなく、体が勝手に動く。
まさに、無我の境地だった。


情報をいかようにも入手できる世の中になって、心が無限の情報に埋もれて、いつしか無我になることを忘れていた。煩悩よ雑念、あらゆる妄念や誤った思いから生じる執念を取っ払い、夢中になれるものを持っている現代人は少なくなってきているように思う。


少し話が変わるが、心を亡くすと書いて、「忙しい」らしい。
現代を生きる我々は、忙しい日々を過ごし、いつしか心を亡くしていないだろうか。仕事や勉強で忙しいのはもちろんだが、忙しいの質は以前と変わってきているように思う。四六時中スマホと睨めっこして、気づけば心をコロコロ転がされている。心が忙しい状態になり、心を亡くしてしまっている。


言葉にすると少し安っぽくなるけれど、欲やしがらみと離れて、心と頭を休ませることも必要だ。私でいうと、瞑想やnote、スポーツを利用しているけれど、手段は何でもいい。読書していたら時間を忘れてしまったり、映画を観ていたら気づけば外が暗くなっていたり、そんな時間を確保していくことが必要かも知れない。


ネット時代は上手に活用すれば大きなメリットが得られるけれど、下手をすれば心を亡くす道具になりかねない。


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