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東京に生まれることができなくて。

私は、東京生まれではなく福島県郡山市という東北で2、3番目くらいの都市で生まれた。
2、3番目といっても、東北一の都市・仙台よりもビルや商業施設は少なく、よく地方都市を語られるときにある大規模なイオンモールすらない。(小規模なイオンなどはある。)
実家があるのは、街の郊外で、家の周りは田んぼばかり。夏にはカエルの大合唱。秋にはイナゴやトンボが飛び回る。冬には数十センチの雪がときたま積もる。そんな場所で生まれ育った。

上京してきたのは、2011年4月末の震災後。高校卒業後、18歳で就職するために東京に出てきた。都内の上場企業のクリーニング工場での勤務だった。憧れて出てきた東京での生活は、毎日が発見と感動の連続で、夢の中にいるようなふわふわした気分。
テレビで見ていた渋谷のスクランブル交差点、名前しか聞いたことがなかった代官山、身の丈に合わない表参道、猥雑さと怖さ持ち合わせる新宿…。そんな街で目立たぬよう小さくなって、田舎者だとバレないよう、精一杯のおしゃれをして歩き回った。

東京のコスパ

東京は、生きていくのにコスパの悪い場所だ。
東京で生きていて、まず狂いはじめるのが金銭感覚。

自炊をするためにスーパーを覗けば、野菜が高い、肉も高い、魚も高い。安い日を狙って行かなければ特売日の50円くらい高い野菜を買うことになる。自炊をしなくても外食も高い。それなりの食事を取ろうと思うと1000円はかかるし、ワンコインで済ます食事は体に悪い。

また、東京で生きていくには、それなりの服装をしなければならない。
別に気を使わなくても死にはしないが、ちゃんとしたコミュティに属して、自分らしく生きようと思っていると、服もそれなりにお金がかかる。
また、服を好きになったら最後。東京にはハイブランド、セレクトショップ、古着屋が山ほどあり、沼に落ちていくだけ。
鎧のように、武装するように、服やスニーカーを買い、どうにか街に馴染むように、田舎者という皮膚を、肉を見られないように、憧れの東京に暮らしているのだから少しでもお洒落であろうと、自身が見てきた幻想の東京の一部であろうと必死になる。

車は必要はないが、電車、バスの細々とした出費も重なる。タクシーはある程度のお金を持ち始める20代半ばからしか乗ることはないし、終電を逃さない限り乗ることもないが、やはり高いなと思う。

東京で生きるには、滅茶苦茶お金がかかる。
隣の芝生は青く、iPhoneをタップ、スクロールする度に、理想的な東京の生活を送るシティボーイたちが、次から次へと現れて、ああいう風に服を着て、古着屋を巡り、町中華、喫茶店、居酒屋、サウナ、本屋に行かないと、東京で生きていけないのではないかという錯覚をしていく。
その錯覚に一度陥ってしまうと、もう金銭感覚が狂いはじめていく。東京という名の宗教に心酔してしまっている。


情報という名の水

東京は、メディア、情報の街だと思っている。
これだけインターネットやSNSが発達しようが、日本の情報の中心地は未だに東京だ。東京で雪が降れば全国のニュースで取り上げられ、ファッションショーは東京で開催され東京からファッションの流行が作られていく、大企業の本社も、その商品を宣伝する広告会社も、デザイン事務所も、映像制作会社も、みんな東京に本拠地を構えている。
もちろん、福岡や札幌、名古屋などの都市にも魅力的な会社や人がいるのは承知だが、東京に集中していう事実は揺るがない。

そんな都市・東京だからこそ、ハイカルチャー、サブカル、どちらのカルチャーも途轍もない量を摂取することができる。時に吐き気を催すくらいに過剰に。

地元、福島にいたころのメインの情報源は、テレビと雑誌、ラジオ、ネット、黎明期のTwitterだった。これらのマスメディアとSNSがなければ、東京にあるカルチャー、特に音楽や映画の情報なんて得ることもできなかったし、当時の自分の帯域の狭いアンテナにはファッションという情報は入ってこなかった。

そんな情報環境の中で東京に出てきたのだから、飢えに飢えていた。比較的、地元で早くからiPhoneやTwitterなどに触れていた自分でさえ、毎日が発見とはじめての連続。
干からびた土のように、情報という名の水を吸い込み、色んな音楽、映画を観て、色んな街に行き、展示に観てという今のライフスタイルの礎ができた。

東京生まれ、東京育ちの人がよく言う、「東京出身じゃないの人たちは、私たちより東京に詳しい。」というセリフ。
地方出身の自分から言わせれば、なんでこんなにも面白いものに囲まれて、こんなにも創作物に溢れているのに色んなところに行って詳しくならないのだ?
情報とカルチャーが満ち溢れ、器からもう零れんとしている生活のはずなのに、なぜ東京育ちの人たちはそんなにも自ら得ることをしないのかと疑問に思ってしまう。
「お前の土は、まだカラカラだろ?」って。


恋とか愛とか

地元にいた頃の自分は、本当に田舎者でモテとかそういうものがダサいと思っていた童貞だった。
どこの地域も、もしかしたら東京も同じだと思うが、クラスメイト、同学年、他校の先輩後輩などそういう狭いコミュニティの中での恋愛関係がメインの中高時代。そんな狭いコミュニティで繰り広げられる好いた腫れた、別れた振られたそんなものを馬鹿らしく見ていたので、恋愛なんか皆無の青春。また、工業高校という恋が生まれることがほぼない世界には、さらに無縁だ。
だから、地元でセックスをしたことがないし、地元の恋愛事情なんて知らない。とういうか、興味を持つ前に東京に出てしまった。

東京に出てからは人並みに恋愛をしていたと思う。
人並みに付き合い、人並みに振られ、どうでもいい駆け引きに巻き込まれ、勝手に落ち込み、騙され、こちらも嘘をついたり…。

恋愛に興味のない思春期、青春を過ごしていたからか、人並みの恋愛をしていたとしても、執着がないし、他人の恋バナにもまったく興味がない。誰がどんなセックスをしていようが、誰と誰が不倫していようが、どうでもいい。と思ってしまう冷めた自分がいる。
なんなら、その恋バナ聞いている時間に「早く帰って本読みてぇ。」、「この最後の一個の唐揚げ食べようかな。」とすら思っている。だからか、真正面な恋愛小説も好きではない。

30歳になったいまでも、他人よりも自分が大好きだし、恋愛よりも映画や本などのカルチャーに優先順を高くもってしまっているせいで、そこまで恋愛に積極的に時間を使おうと思えなくなっている悲しい自分がいる。
だからといって、怠惰な性欲のはけ口に風俗に行って数万円を使う気もない。

東京に夢はあるのか

上京する者にはすべからく何かしら夢があるものと思われているが、実際にはそんなことない。
地元の閉鎖空間、閉塞感、ヒエラルキー、親、兄弟など、何かしらから逃げたくて出てくるケースが多い。

私自身も地元の閉塞感やヒエラルキーから逃げ出したく東京に出たいと思っていた人間だ。
亡くなってしまったが祖母が口やかましいタイプで、その祖母や噂話が好きで、過干渉、そしてヤンキーを頂点とするあのダサいカルチャーから逃げてきた。

東京は、持たざる者には夢を与えてくれない街だと思う。
才能、努力、財力、人脈、センス、体力など、そんなものを持った人々に夢を与え、そして叶えさせてくれる街だ。
持っていない者、努力を怠った者から徹底的に精神、体力、お金を搾取して、生きる屍となった者たちへキラキラした東京の幻覚を見せ続け、その土地で生き続けさせる。または、その幻覚から辛うじて目覚めた者たちは地元へ戻っていくのである。

一方の見方をすると、努力をして何かしら持つ者になった人たちには、夢や輝かしい現実を与えてもらえる。

自分自身も、夢を与えてもらえた者だと思っている。
尊敬するクリエイターのもとでインターンという形で仕事を間近で見ることができたり、自分の学力では到底交わることのなかった人々と仕事をしたり、好きなクリエイター関われたり、少ないながら親友と呼べる人ができるなど、与えてもらえた。
そんな私でも、努力を怠った瞬間に転落していくのが東京だ。一瞬でも気を抜けば、夢から覚め、体を壊し、仕事を失い、友達と思っていた人たちも離れていく。そんな夢を見させるのが東京なのかなと思っている。


東京に生まれることができなくて

東京に生まれ育っていたらどんな生活を、どんな人生を送っていたのだろうかと考えることがある。

もしかしたら、有名私立大や国公立の大学に通い、とても充実して、そこそこ有名な大会社に勤めて、大学から付き合っていた恋人と幸せな家庭を築いていたかもしれない。
もしかしたら、大学すら行かず、引きこもり、趣味もなく、ネットでクソリプや罵倒を書き散らかして、社会や親のせいにして、自分では何もしない奴になっていたかもしれない。

どちらかというと、後者の方に近くなっていたと思う。
文化的なことにも触れることもなく、趣味もない人間になっていたはずだ。

福島の田舎に生まれたからこそ、東京から発信されるカルチャーに興味を持ち、休みの日は映画を観て、ギャラリーや美術館をはしごをして、喫茶店で本を読み、様々な街を行き来するような人間になったと思う。
干からびた土に、カルチャーの水を行き渡らせるために。潤いすぎた土は、根を腐らせ、花を枯らしてしまう。

今年で、上京して12年が経った。13年目に突入し、あと5年したら地元で過ごした期間と東京で過ごした期間が同じになっていく。
今年の2月、メンタルを病み休職し、地元に数日間帰った際に、東京という幻覚から一瞬だけ目覚めて、地元に帰ろうか迷ったが、あと5年間は東京にいようと思う。
もう少しだけ幻想を東京には見させて欲しい。もう少しだけ。



このnoteは雨宮まみの『東京を生きる』を読み、触発されて書いた衝動的なnoteです。そうだよなと共感し、一部、借りた単語や一節もあります。
このnoteでなにかしら琴線に触れるものがあったひとは、ぜひ読んでほしいです。



東京の本

雨宮まみ『東京を生きる』


山内マリコ『ここは退屈迎えに来て』


吉田篤弘『おやすみ、東京』


岡本仁『東京ひとり歩き ぼくの東京地図。』


平野太呂『東京の仕事場 WORKSPACE IN TOKYO』


森山大道『Tokyo』


奥山由之『君の住む街』


POPEYE No. 794 『東京タウンガイド』(2013年4月号)


東京の音楽

Spotifyプレイリスト『東京』


AppleMusicプレイリスト『東京』


東京の映画

Lost in Translation


東京ゴッドファーザーズ


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窮鼠はチーズの夢を見る


夜空はいつでも最高密度の青色だ


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