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実際1日何してる?

森のようちえんの特徴その2。
自分のやることを自分で決めて活動すること。

森のようちえんでは先生から
「はい、今日は皆んなでこれしましょう」という縛りが基本ありません。
スタッフは基本危険がないか見守る係 or 一緒になって遊びます。

子供達は朝登園したら朝のミーテイングがあって、一人づつ今日やることを言います。
「今日は氷鬼する!」
「バッタ捕まえる!」
「のんびりする!」

一人で遠くに行くとか、安全性に関わることは別として本当になんでも良いのです。
そして言ったからといって、もちろん途中で変えて他の子に加わったっていいし全然気分でオーケー。
みんなで相談して、いつもと違う場所に行ったっていい。
暑い夏は川に行ってもいいし、逆に参加しない、一人になりたいという選択肢だって同じようにあります。

お昼もお腹が空いたらちょっと早弁したっていいし、逆に遊びに集中してお昼に食べなくたっていい。腹具合の塩梅も本人に任せられていいます。
でも、やっぱりみんなでする食事が美味しい!のかなんとなく始まったら次々集まって来ることが多いようですけどね。
食事って一人だと味が全然ちがうから。

あとは週1回、月1回とかある程度きまったターンで作家さんやミュージシャンに来てもらって一緒に絵を描いたり、歌を歌ったりなど本物に触れるチャンス多々もあります。
恐らく共感してくれるアーティストさんなんかが、格安かボランティアみたいな感じで来てくれる場合が多いのではないでしょうか?
(勝手な想像だけど、多分そう。NPOの金銭事情は結構厳しいから、、、)

それももちろん参加したくない気分だったら、無理に絵を書く必要もなし。
気分で音楽にのって踊り狂ったってよし、「きちんと座って良い子に」なんて求められていません。

そして帰りのミーティングでは、今日したことや気分や体調なんかも話します。
朝ミーティングでもそうだけど、子供達は自分の気持ちを話すことを覚えていきます。
楽しかった!もあるけどそれだけじゃない。

「トンボ捕まえられなくて悲しかった」
「友達と何か取り合いになっていやだった」
友達の話も聞いて、プラスもマイナスも素直に気づく訓練を自然としています。

大人もこれって意外とできてないんです。
自分の感情に向き合えなかったり、吐き出せず、どんどん溜まってしまってどうしようもなくなってしまう。

書店に行くと、鬱や楽に生きることの本がびっくりするほど沢山あります。
世の中病んでるなー。
なんかもうそういう商売に見えてきちゃう。

私も含め日本の義務教育では個人の意見なんて求められなかったし、集団行動の横並びでいることを教わって育ってるので、大きくなって急に「じゃあどうしたい?」って言われても困っちゃいますよね。
将来何になるか決められない、どうしたいか自分のことが解らない。っていうのは、幼い頃から自分で決める訓練をしてこなかったんだから当然といえば当然でしょう。
だってやり方が解らないんですから。教わってないんだもの。

親が元気に生きてるうちは良いですよ。きっとあれこれ面倒みてくれる。
でも親がいなくなったら?介護が必要になったら?
何も判断できない大きな子供だけが残されたらどうなる?
考えるとちょっと怖くなりますね。


森のようちえんでは幼いころからその方法を少しずつ学んで、身につけていきます。
朝と帰りのミーティングは実は大事な時間です。

自由で楽だねー。と言われる事があるんですが実は自由ってすごく難しいと思います。
だって自分で決めたことは人のせいにできないから覚悟がいります。
「これこれやって」と決められた方が楽なことって無いですか。

それに屋外での生活は実は自然の制約だらけ。
蜂がいたら近寄ってはいけないし、川を横切りたいなら渡れるような細い河幅の所をを場所を探さなくてはいけません。
木の実も食べて大丈夫か判断を迫られるし、一生懸命とった栗も動物に先を越されているかもしれません。

大きな牛蛙を捕獲したかったら、友達を巻き込んで協力を頼まないといけないし
氷鬼だって一人ではできません。
成功しても失敗しても自分で決めた事には自分で折り合いをつけなければいけません。
幼いこども達には大変な作業です。
大人だって自分の機嫌をとれない人たくさんいるんだから。

そうやって彼らは100%は思い通りにならない自然と世の中の摂理、
社会性、頼り頼られる事の大切さ。
人として大事な核の部分を毎日身をもって学んでいます。
すごいなー、こどもたち。


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