『贈る言葉』の世界は変わっちゃうけど
おはようございます!
ケミオです。
悪夢も見ないで、そこそこ眠れて目覚めた朝でした。
昨夜は過覚醒気味になっていて、寝付くのにちょっと時間がかかったために、安心したところです。
ありがとうございます。
今回は歌について書きたいわけではないのですが、『贈る言葉』という歌があります。
古い。
アラフォーの私も生まれる前のリリースです。
当然ながら、リアルタイムで「懐かしい」というカテゴリーに入るものではありません。
個人的な思い出としては、高校生の頃にそんな昔の歌をたくさん借りていました。
今は見なくなったMDに入れては、移動中などに聞いていた(昔の歌だけではないですが)。
その中の一曲なので、同曲には比較的最近のリメイクもありますが、私はやはり原曲に馴染みがあります。
引っかかったのは、最初のBメロの歌詞です。
この歌特有の世界というわけでもなく、他にもどこかで聞くようなフレーズだと思います。
しかしこれを例にして思うのは、「悲しみ」や「涙」「泣く」という感情を表す言葉のところ。
原曲の世界観からは大きく外れてしまって恐縮なのですが、今の私にとっては、こう言い換えてもしっくりくるんです。
怒りこらえて 微笑むよりも
怒りかれるまで 憎むほうがいい
原曲は、「悲しむだけ悲しんだら前に進めるよ」と言っているんだと思います(もちろん、それを否定するつもりでこれは書いていません)。
でもそれは、きっと「怒り」も同じこと。
結局のところ、「感情と思いっきり付き合う」に尽きると思うんです。
悲しみも怒りも嬉しいことでないことは、共通します。
でもそれらと思いっきり付き合えば、いつかは枯れてくる。
それから前に進めるよ、みたいな。
これで例えた怒りというのは、あくまで私のケースだと思います。
同じアダルトチルドレンでも、そこに至った状況や起きる感情は、人によっておそらく違う。
ただ、自然発生的に湧く感情を、かつての私がしていたように「こうあるべきだ」と頭で無理に書き換えようとしても、そううまくはできない。
うまくできないだけでなく、その状態で膠着してしまったのが私であるとも思います(何十年も!)。
そうではなく、思いっきり付き合って、枯れるのを待つというのが正しかったのかもしれないと思うところでした。
多くの人にとって、こんなことは当たり前なのかもしれませんが…。
また、余談になります。
健忘からの回復傾向にある私は、こういう歌を例とする「お題」的なものがあると、関連する記憶がどんどん溢れてきます。
なんの気はなしに、一昨日から歌を取り上げては書いたりしていましたが、これは実にいい取り組みかもしれません。
些細かもしれませんが、自分でも意外な記憶が出てきたりもします。
今回については、毎日手にしていたMDウォークマンや、イヤホン選びにこだわっていたことや、曲を聞いていた電車内の風景などがふと思い出されました。
それが単に結構、楽しかったり。
今日も良い一日をお過ごしください!
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