厄介な真面目とストレスと私
こんにちは!
ケミオです。
今日は「アダルトチルドレンの私と仕事」をテーマに書いておりましたが、やめにしました。
まだそれを考える段階に到達していませんし、また、書いていて私のあまりよろしくないところが出てしまっている気がしたためです。
その「よろしくない」とは、長所と裏表であることもまた真なりと思います。
しかし今回気になったそれは、私にとって厄介極まりありません。
モロにアダルトチルドレンのうつ的原因と言える、「真面目」です。
とはいえ、子どもの頃より私がありのままの姿で真面目であったとは、どうも思えません。
親が恥をかかないよう、気持ちや言動を封印して、真面目ぶったまま大人になってしまったように思います。
真面目で、一人でなんでも抱え込むことが、いつの間にか習性になってしまいました。
この世に頼れる人など、誰もいない感覚です。
自分が関わることで何か問題が発生すれば、その全責任は自分にあり、容赦のない批判を受ける。
私は誰からも見放され、生きることすらままならなくなる。
決して大げさでなく、そんな思考でずっと過ごしていました。
このように書いてみると、常にストレス過多で精神に異常をきたしやすいのは、当たり前に思います。
何もしていない時でさえ、何かに追われていて、ストレスを抱えているような状態です。
しかし、そんな状態にある自分に気づいたのはつい最近であり、気づいたら気づいたで、その過酷さに恐ろしさを感じてしまいました。
一方で、そうなった理由が「親が恥をかかないため」であったことには、愕然としたのも確かです。
そんな馬鹿なことをしていた自分に対して、にはなりますが。
ただ、それは子どもの頃の私の話ですから、私自身を批判しようとは思いません。
とはいえ、親を非難したい気持ちもないのは、アダルトチルドレンの克服に取り組んでからの進歩だと思います。
正確には、非難したい気持ちがちょっとはありますが、それよりも呆れる気持ちがはるかに大きい感じです。
世の中に、そんなに恥ずかしいことって、あるんでしょうか?
まして子どもなんて、分別の育った大人よりはるかに、本能で動いていると思います。
悪いことはダメと言わなければいけませんが、親は私に何を言うにもそんなことより、恥さらし防止にただ躍起になっていたのが見え見えでした。
べつに、恥ずかしくもなんともないことでも。
授業参観で先生の質問に手を挙げなかっただけで、帰宅後こっぴどく叱られたことを、今でもよく覚えています。
それで言うことを聞いて、私は手を挙げるようになったわけではないですが、代わりに意思も主張も持たない、大人しくて真面目ぶった人間になりました。
書いていて正直、不愉快になってしまいました。
不愉快になるのは仕方がないと思いますが、この真面目の厄介なところを正しい軌道に乗せていくには、まだ3合目くらいかもしれません。
今日もお疲れさまでした!
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