自分のご機嫌を取る
こんばんは!
ケミオです。
親戚との交流、ロングドライブ、草野球、テニス。
noteに書いてきた通り、GW中は思いっきり羽根を伸ばしてきました。
テニスの調子が今一つだったのを除けば、ほぼほぼ楽しかったことばかり。
楽しいことにも実感が持てなかったかつての私でしたが、今回のそれは自分の気持ちとして間違いなかろうと思ったところで、新たな気づきの「ガッテン!」が生まれました。
「自分のご機嫌を取る」です。
これまで全くこのようなことを考えたことはなかったのですが、心身を健全に保つには、極めて大切なことのように思いました。
とはいえ、noteに書いてきた他の物事と同様に、このことも健常な人は当たり前にできてしまうことだと思います。
普通、子どもの頃には親がご機嫌を取ってくれて、成長したら今度は自分で取れるようになるのではないでしょうか。
しかし機能不全家族で育った私には、機嫌を取ってくれる人はいませんでした。
むしろ私が、親の機嫌を取っている状態。
自分の機嫌などはまるで考えたこともないまま、図体は大人になっていったのです。
ただ、機嫌を取ると言っても、まず前提として自分の気持ちを確からしいと思えなければ、きっと不可能です。
気持ちよかったり楽しかったり、心地良いなどと感じることができて初めて、機嫌は良くなるものだと思います。
だとすれば、気持ちが自分のものでない感じだったかつての私は、そもそも自分のご機嫌を取れる前提条件すらなかったとも言えます。
そこまで書いてしまうと、自分のことをとても悲惨だと思ってしまいますが、とにかく私がGWにしていたことは、「自分の機嫌を取る」のと同じことだったと思っています。
最初から、そのつもりだったわけではありません。
ちょっといつもと違うことを入れてみて、かつ自分の気持ちに意識を常に向けていたら、まずは自分が楽しかったり、やってよかったと思っていることを、ちゃんと認識できました。
そこから、「こういう気持ちも大切にしなければならないな」と思い、また別の時に同じような気持ちを得ようとするならば、それを「自分のご機嫌を取る」と言うのだなと、考えた次第です。
また今日も、抽象的な理屈ばかりを書いてしまいましたので、最後だけ適当なネタを入れたいと思います。
冒頭の画像は、私の愛でる中華丼です。
昨日、家の近くの中華料理店で食べたものですが、美味しくかつボリュームもあり、コスパ最強。
また何度も食べに行くでしょうが、こうしたささやかな幸せについても、自分の気持ちとして大切にしたいものです。
特に、アダルトチルドレンの克服に取り組む身としては、です。
今日もお疲れさまでした!
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