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アダルトチルドレンとして生きる決断を、自分でしていた…

こんにちは!

ケミオです。


今日になって、自分でもすぐには整理できない記憶がよみがえってきました。


私は、アダルトチルドレンとして生きる決断を、自分でしていました…。


高校を卒業したら、大学に行こうと決めた時です。

私はそれを機に、過去を忘れ去ろうとしました。

辛かったそれまでの人生をすべて忘れて、全く新しい人間として再出発しようとしていたんです。


さらには。

実際に、うまくできてしまいました。

自分の高校の偏差値や、それまでの学習履歴からは考えられないような大学に、行くことができたことで。


何度か書いていますが、そこは早稲田です。

私は辛かった過去を忘れて、ゼロから新しい人間になるために、早稲田を目ざしたのでした。


私は、それまでまるで考えられなかった世界に入りました。

過去は関係のない世界に行くことが、現実にできてしまったのです。

またそこには、自分の過去を知る人もいません(唯一の例外は、昨日書いた中学までの同級生だったK君)。

意識の上では完全に、過去を切り離した新しい人間として生きることが、できてしまったのです(それは実際には「つもり」でしたが、後ほど)。


この学生時代を境に、私は過去を記憶から消してしまった上に。

この決断自体も、忘却の彼方に追いやってしまいました。

それが諸々、今朝になってフッと蘇っては。

そういうことだったなぁ、というところまで、自分で理解できたところです。


学生時代そのものを、悪く思うことはありません。

とはいえ、「新しい人間になる」という当初の目的は達成されても。

記憶を消したことで、重大なものを私は犠牲にしてもいました。


自分が存在するという、確かな感覚です。

それがなくなったことで、今度はかつてとはまた違った苦しさを、抱えることになってしまいました。


「アイデンティティの問題」と言えばそれで済むのかもしれませんが、とにかく。

今の私がしていることは、この時に切り離してしまった記憶と意識を、つなげることに他ならないと思います。


結局人は、過去を忘れて生きられない。

単に生命維持的な観点ではそれも可能かもしれませんが、一方で。

記憶なり意識なり精神なり心なりの方ではうまくできないんだと、今、強く思うところです。


私はできたつもりでいましたが、それこそ本当に「つもり」でした。

また、それを疑うことすらしないまま、ずっと生きてしまったことにもなります。

なにせ、過去を忘れ去ろうとした決断も、それ以前の過去の記憶もごっそり取り出せなくなっていたので、疑いようもなかったはずです。


今、サラリと書いてしまいましたが、実際には記憶を「取り出せなくなっていた」だけです。

記憶は、徐々に取り出せるようになったことからも明らかなように、完全に消えてしまったわけではありません。


ただ、なかなか取り出せないように奥にしまい込んだのは、間違いなく自分でした。

結果として、アダルトチルドレンとして生きる決断と共に…。


もちろん、当時は当時で苦しくて仕方がなくて、私はそうしたんです。

なので、そのこと自体の反省はありません。


むしろ、それによって救われたと思うことも多くありますが。

私のこの場合、たらればを考えることほど、意味のないことはありません。

辛い子ども時代を過ごして、それを捨てて生きようと決断して…という、一連のつながった自分という確かな存在を確認できて初めて、自分が完成するはずだからです。


とはいえそんなことも、今書きながら考えたことにすぎないのですが…。

私は名前や時系列的な記憶がまるでないわけではないので、医学的な記憶喪失とは違うのだと思いますが、それでも。

記憶がまるで取り出せないというのは、恐ろしいと思うところでもあります。


読んでいただいてありがとうございました。

今日も良い一日をお過ごしください!


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