見出し画像

「オーケストラの演奏が好き」な後輩

こんばんは!

ケミオです。


今日も、頭は重いままでした。

結局、月曜日のEMDRから今日までのウィークデーの間、ずっとです。


しかしこれについて続けて書くと、最近毎日同じになってしまうので、今日は話を転じたいと思います。


特に活用していない、というかアプリを開いては情報を見ているだけですが、Facebookのアカウントを私は持っています。


いつもと同じように、特に何の気なしにそれを開いたその時です。

「知り合いかも?」に、懐かしい名前と顔が登場していました。


登場するアルゴリズムはよくわかりませんが、彼は確かに知り合いです。

学生時代の仲良しグループの後輩であり、知り合いよりは友達に近い知り合い、みたいな感じかもしれません。


その彼は学生の頃、管弦楽団のサークルに入っていました。

当時、それについてあれこれ聞いた私は、自分とはまるで縁のないオーケストラの演奏ができることに「すごい」と尊敬のまなざしで見つつ、一方では自分とは世界の違う環境で育ったお坊ちゃんなのかな?と、半分は奇異の目でも見ていました。


もちろん、とても素直で面白い後輩でしたので、全く悪い印象は持っていません。

でもちょっとふくよかで、話し方がとても柔らかかったことから、なおさらお坊ちゃんに見えてしまったきらいはありました。


話を今に戻しますと、Facebookで彼のページに入ります。

すると、社会人になった今でも立派に、オーケストラを続けていることが伝わってくる。

彼の職場を知らない人が見ると、まるでそれが本職であるように、パッと見て思ってしまうと思います。


私がそこに見たのは、彼のアイデンティティでした。

ずっと前から変わることのない、自他ともに認める彼のアイデンティティです。

「オーケストラの演奏が好き」という。


傍らにいる私から見て疑いようのない、軸のしっかりした彼の姿です。

彼も間違いなく、オーケストラを通して確固たる自分の姿を見ていることでしょう。


今思えば、学生の頃から彼はそうでした。

オーケストラをやっているのは彼しかいませんでしたが、さも自然にその世界を知らない大多数の人(私を含めて)にも、自然にその話ができる。

その姿を思い出すと、彼は自分の軸がしっかりありながら、オーケストラを知らない相手のことも尊重していて、無理に理解を求めようともしない。


つまるところ、今の私よりはるかに、20年近く前の彼の方が大人だったと言えます。


もちろん20年近い時間を経れば、好きなことが変わることも珍しくないでしょう。

それはそれでいいも悪いもないと思いますが、とにかく私は、彼のアイデンティティと大人なところが羨ましく、またそれが理想とするところだと思い、書き記した次第でした。


なお、オーケストラをお坊ちゃんとか奇異の目で見ていたというのは、完全に私の当時の偏見です。

社会に出てからオーケストラを趣味にする人にも出会いましたし、一方で私自身が演奏に足を運んだこともありました。

最近は夜にバッハ、ショパン、ベートーベン、モーツァルトなんかを流している私です。

気を悪くした方がいたら、申し訳ありませんでした。


今日もお疲れさまでした!

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?