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2022年が暮れ行く中での反省
子いわく「人のおのれを知らざるをうれえず、人を知らざるをうれうるなり」(論語、学而第一)
(先生がいわれた。「自分をわかってもらえないと嘆くより、人を理解していないことを気にかけなさい」)
2022年も暮れ行く中で、自分を改めて振返る心境になるのですが、
つくづく自分にはまだまだ他の方から謙虚に、素直に学ぶ努力が足りないな、と反省しているところでした。
他の方が言われていること、取り組まれていることに実は素晴らしいものが沢山あるのに、それを謙虚、素直に取り込め切れていないのではないか、ということです。
それは他の人が、ということもあるかもしれませんし、他の会社さんが、ということもあるかもしれません。
そう思っている中で論語のこの一節を改めて目にすると、自分では意識していなくても、自分が認められたい、わかってもらいたいという欲求が、そうした他の方や会社さんが取り組まれていることを謙虚、素直に取り込めない原因の一つなのではないかと更に反省しました。
曹洞宗に「只管打座」という教えがありますが、ただただ無になることが大事ということです。悟りを目指すとか邪念もなく、ただただひたすら無になるというものです。
日常生活の中でも「只管打座」を大事にしているつもりですが、まだまだ無になりきれず、欲求にとらわれている自分がいるのだなと感じます。
こうした反省も踏まえ、2023年はもっと他の方や会社さんからも学び、取込め、実践できる1年としていきたいと思います。
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