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リーダーは人としての美しさを取るべきか、組織を守ろうとする諫言を取るべきか

「暇をみては前王朝の歴史をひもといているが、その中に、臣下がある事をいさめても、君主の方は、「いまさらやめるわけにもいかぬ」とか、「すでに許可を与えてしまった」と聞きながして、いっこうに改めない、そんな話がよく出てくる。君主がこんな態度をとっていたのでは、あっという間に国を滅亡させてしまうだろう」(貞観政要、求諫篇)
 
中国古典のリーダーの在り方について書かれた貞観政要の一節です。長文の為、現代語訳の一部抜粋になります。この一節は中国・唐の太宗が諫言(かんげん、上の人に対して耳が痛いことを忠告すること)を臣下に求めているものです。本当に貞観政要は諫言の重要さを繰り返し書かれています。
 
貞観政要は、日本では鎌倉時代の頃から多くのリーダーを務めてきた人の愛読書でした。それでは、読んだリーダー全てが諫言を受け入れたのか、というと私ははなはだ疑問です。
 
諫言の大事さを頭では分かっているリーダーは多いと思います。自分の誤りを認識し、正すには謙虚に諫言を受け止めないといけないと。しかし、いざ実際に諫言を受けると、自分の正当性が前面に出て、結果受け入れられない人が多いのではないでしょうか。「いまさらやめるわけにもいかぬ」、「すでに許可を与えてしまった」、そして「この行いには正当な理由があるのだ」と。
 
余談ですが、幕末に松平容保(かたもり)という福島・会津藩の殿様がいました。容保は幕末の混乱の中で幕府から京都守護職、つまり京都を守る役目を求められました。この役目は費用負担が莫大であるだけでなく、反幕府勢力から恨まれる恐れがありました。
 
その為、会津藩の筆頭家老であった西郷頼母(たのも)は京都守護職の就任に猛反対しました。まさに諫言したのです。しかし、容保は、祖先からの「何よりも幕府のことを第一に考えろ」という教えに従い、京都守護職に就任します。
 
容保は京都守護職に就任してからも、しばしば早めに京都守護職から退任するべきだと家臣から諫言を受けていました。しかし、幕府や天皇から絶大な信頼を受けていた容保はその諫言を受け入れることはできませんでした。
 
その結果、幕末の最終局面で会津藩は反幕府勢力の恨みを一身に受けてしまい、会津戦争という、多くの会津の方々が亡くなる悲劇をもたらしたのです。
 
一面、容保のひたむきな誠実さ、忠実さは、その悲劇の結末も相まって、今に至るまで心打たれる美しさがあります。先祖に対して、幕府に対して、天皇に対して、ひたすらに誠実に、忠実に尽くしました。人としての美しさを感じるとしか表現できません。
 
しかし、反面、西郷頼母や家臣の諫言を受け入れていたら、会津戦争での悲劇も免れたのでは、という気持ちも残ります。人としての美しさと組織を守る為の諫言。君主として、リーダーとして取るべき道はどちらのだろう、と考えてしまいます。

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