ロシアで繰り返される、融和のあとの強権。中庸は難しい。
1週間後の3月17日にはロシアの大統領選挙が予定されており、プーチン大統領の5選が確実視されています。直近でも政敵ナワルヤナ氏が北極圏の監獄で亡くなるなど、その強権ぶり、専制ぶりは健在と言わざるえません。
ロシアは、プーチン大統領に限らず、 歴史上に強権的、専制的な君主、リーダーが多数いました。
ロシア帝国時代の皇帝であったピョートル大帝、エカチェリーナ女帝、またソ連時代のスターリンなどは有名なところです。
先日、講談社から出版されている「興亡の世界史」シリーズの「ロシア・ロマノフ王朝の大地」を読んでいて、この専制君主、リーダーが生まれる過程に共通することに気づきました。
それは、専制君主、リーダーが生まれる前には、対外的に融和的だったり、時には敗北している君主、リーダーが必ずいて、その前代の失敗を繰り返さないように強権になっているようにも感じるのです。
ピョートル大帝であれば、姉ソフィアが実権を握っていたのですが、オスマントルコ帝国と戦って敗北したことから失脚し、ピョートル大帝が実権を握りました。エカチェリーナ女帝であれば、夫のピョートル3世がプロイセン王国(現在のドイツ)と融和的であったことが国内の不満を高め、エカチェリーナが皇帝に即位したのです。それぞれ、即位後に外国に負けたり、融和的にできずに強権的になります。
スターリンにしても、ロシア帝国からソ連にまたぎますが、ロシア帝国の最後の皇帝ニコライ2世が第一次大戦の苦戦から革命に至り、滅亡したことは、スターリンが第二次大戦に直面するなかで強権になった一因のようにも感じます。
そして、プーチン。考えてみれば、プーチンが生まれた背景には、ソ連のゴルバチョフ時代に欧米諸国と融和的であったためにソ連、ロシアの影響力が低下し、また前代のエリツィン時代にかけて経済が崩壊していたことがありました。そんな影響力低下や経済崩壊のなかで、プーチンは大統領に就任したのです。
そんなことが、プーチンが欧米諸国に対して強硬的になり、また勢力を拡大しようとすることにつながっているのではないでしょうか。
まさに、歴史は繰り返しているのです。
それにしても、過度な融和でもなく、過度な強権でもない、その真ん中をゆく「中庸」というのはなかなか実現しないことを感じます。西洋哲学、東洋哲学のいずれも「中庸」があるべき姿として掲げられますが、それは実現が難しいからこそ、なおさら意識されたのかもしれません。
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