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麦飯を食べ、風に飛ばされた紙を追いかけた徳川家康

君主たる者はなによりもまず人民の生活の安定を心掛けねばならない。人民を搾取(さくしゅ)してぜいたくな生活にふけるのは、あたかも自分の股の肉を切り取って食らうようなもの、満腹したときには体のほうがまいってしまう。
 
(中略)わたしはいつもこう考えている。身の破滅を招くのは、ほかでもない、その者自身の欲望が原因なのだ、と。いつも山海の珍味を食し、音楽や女色にふけるなら、欲望の対象は果てしなく広がり、それに要する費用も莫大なものになる。そんなことをしていたのでは、肝心な政治に身がはいらなくなり、人民を苦しみにおとしいれるだけだ。そのうえ、君主が道理に合わないことを一言でもいえば、人民の心はばらばらになり、怨嗟(えんさ)の声があがり、反乱を企ている者も現れてこよう。わたしはいつもそのことに思いをいたし、極力、おのれの欲望をおさえるようにしている。」(貞観政要 君道編)
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3月までは週に1回、論語の中から今に通じることを考えてきたのですが、4月からは「貞観政要(じょうがんせいよう)」という中国古典から今に通じることを考えたいと思っています。
 
「貞観政要」は、中国の数千年の歴史の中でも評価が高い、唐(618-907年)の太宗(598-649年)という皇帝を中心に書かれた本です。太宗とその部下たちとの会話を中心に書かれています。
 
そんな昔の本に意味があるのか、と思われる人もいるかもしれませんが、この本は現代の多くの経営者の方々の愛読書としてもよく紹介されます。
その理由は、現代にも通じるリーダーやリーダーシップのあり方が紹介されているためです。
 
余談ながら、「どうする家康」の徳川家康もこの「貞観政要」を愛読書としていたと言われます。
 
思えば、家康も大変、禁欲的な人でした。
例えば、食事などは白米などは食べず、いつも麦飯で、一汁一菜(みそ汁におかず一品ていど)という、とても殿様や天下人とは思えないような質素なものでした。
ある時、「いつも麦飯ばかりではつまらないだろう」と気をきかせたつもりの家臣が、こっそりと麦飯の中に白米を入れたところ、「余計なことをするな。麦飯で十分なのだ。」と注意したそうです。
 
また、できるだけお金を使わないように心がけていました。ある時、トイレから出てきたところ、洗った手をふく紙が風に吹かれて飛んでいったところ、家康はあわててその紙を追いかけていったそうです。すると、その様子をみて笑った家臣に対して、「おれはこれで(お金を節約することで)天下を取ったのだ」と言われたといいます。
 
このような、質素な食事や、お金を使わないという行いは、元々の徳川(松平)家の家風(家の文化、雰囲気)とか、家康の性格もあったのかもしれません。
もしそうだったとしても、家康がこの貞観政要を読み、リーダーとしてのあり方を学んでいたことも大きかったのではないでしょうか。
 
家康の前に天下人になった豊臣秀吉は、低い身分から成りあがってきた自己顕示欲もあった為か、お金の使い方などは大変華やかな人でした。欲望におおらかな姿勢が、朝鮮出兵等の無理な拡大につながり、豊臣家の滅亡につながったことは否定できません。
 
家康の質素な食事は、お寿司やてんぷらといった庶民食が現代の和食につながったのに比べて、将軍や殿様の料理が現代の和食につながらなかった大きな理由ではないでしょうか(世界三大美食と言われる、中国・フランス・トルコはいずれも宮廷料理から発展しています)。
しかし、こうした禁欲的な姿勢が、民衆の大きな負担を避け、徳川家が支配する江戸時代が260年も続いたことにつながったようにも感じます。
 

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