リーダーは自己本位な思いに左右されず、社会で求められる役割を果たす

「顔淵、仁を問う。子いわく、「己にかちて礼にかえるを仁となす。一日己にかちて礼にかえれば、天下仁に帰す。仁をなすは己による、しこうして人によらんや。」」(論語 顔淵第十二)
(顔回が人の道である仁のことをおたずねすると、先生はこういわれた。
「自分の欲にかち、礼という規範にかえるのが仁ということだ。一日でもそれができれば、世の中の人もこれを見習い、仁に目覚めるであろう。仁を行うのは自分しだいだ。人に頼ってできるものではない。」)
 
この論語の一節は、論語がリーダーとなる人に向けて書かれた本であることを前提として読まないといけないと思います。
 
最近よく思うのですが、人を引っ張っていくべきリーダーたるものは、「自分のモチベーションが上がらない」、「自分が楽をできない、つらい」などといった、自己本位な思いで仕事ぶりが左右されてはいけないと思うのです。少々厳しいかもしれませんが、そういう自己本位な思いも私利私欲だと感じるのです。
 
リーダーがそういう自己本位な思いで仕事が左右されていては、そのリーダーについていく人達も自己本位となり、よい仕事はできません。
 
そういう自己本位な思いに左右されるのではなく(「己にかちて」)、ちゃんと社会で求められる役割を果たす(「礼にかえる」)ことが、リーダーとして果たすべき道だと、この論語の一節は言っているのではないでしょうか。
 
そして、そんなリーダーとしての道を実践していれば(「一日己にかちて礼にかえれば」)、リーダーの実践を見習い、ついていく人も模倣しようとするのです(「天下仁に帰す」)。
 
ついていく人達はリーダーを模倣すればよいかもしれませんが、リーダーたるものは、誰かを見習うことなく、自己本位な思いに左右されず、自分自身で私利私欲にかち、求められる役割を果たさなければなりません(「仁をなすは己による、しこうして人によらんや。」)
 
このように読み下していくと、論語というのは2,500年以上前に作られながら、現代に通じるリーダー像の提示をしているのに気づきます。
 

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