ヘルマンヘッセ シッダールタを読んで(前半)

実家に戻ったのは良いけれど、何もすることがない。そんな私は本屋へと足を運んだ。そして表題の本を手に取った。

ヘルマンヘッセとの出会いは国語の教科書で読んだ「少年の日の思い出」だ。少年の小さな罪とそれに対する罰。握りつぶされる蝶。「そうかそうか、君はそういう人間なんだな」という教科書に載せて良いのかと思うほどのセリフ。エーミールという名前が仲間内での共通言語となるほどの衝撃的な作品だった。

次に読んだのは車輪の下だ。当時受験に悩んでいた私は、エリートコースから転げ落ち、ひどい生活を味わった後に酔っ払い、川で溺れて亡くなってしまう主人公に戦慄した。そしてヘルマンヘッセの本は私の中で読むとダメージを受けるため、避けるようになった。

それなのに私はこの本を手に取った。その理由は、シッダールタというタイトルだ。ゴータマシッダールタ。別名ブッダ。仏教の開祖である。(聖おにいさんで得た知識である)私は都合の良い時にだけ神に祈るような身勝手無神論者だが、この名前には強く惹かれた。「反応しない技術」という本を読んだ際に私はシッダールタの心の反応に対する考え方に感動したためだ。(反応しない技術を読んで感動してどうするのだろう)そのため、タイトルと裏表紙をちらりと見ただけで衝動買いしてしまった。そして家に帰って買い物袋から取り出した際に、作者ヘルマンヘッセの文字を見た。その時点で少しダメージを受けたが、せっかく購入したのだし、あまりにもやることがないので本を開いた。そして、開始数行で衝撃を受けた。

「シッダールタ」というタイトルからブッダの伝記だろうと思っていたが、主人公シッダールダはブッダそのものではなかったのだ。(以下主人公をシッダールタ、仏教の開祖をブッダと表現する)

ブッダは王宮の生まれだが、(聖おにいさんの知識)、シッダールタはバラモン(宗教の指導者)の息子として生まれた。シッダールダは常に不満を抱いていた。どれだけ学びを深めたとしてもどこか空虚に感じていた。そして彼は父の制止を振り切り、友人ゴーヴィンダと共に修行の旅へと出た。シッダールタは沙門としてのあらゆる修行を得たが、それでもどこか満たされないままだった。そして少しずつ友人のゴーヴィンダともすれ違って行った。そんな時、シッダールタとゴーヴィンダはある噂を耳にする。それは、沙門として悟りを開いたブッダ「ゴータマ」が近くに滞在しているというのだ。(ここで私は驚かされた!ブッダ本人が出てきたのだ)シッダールタとゴーヴィンダはゴータマの話を聞き、その所作を見て深く感動した。そしてゴーヴィンダはゴータマの弟子となることを決心した。しかし、シッダールタはゴータマに強く惹かれながらも、彼の弟子となることを拒み、更には教えに対して反論した。そしてシッダールタは一人となり、沙門であることもやめて再び放浪の旅へと出た。

以上が第一部の内容である。(間違えていたら申し訳ありません)そして以下、第二部へと続く。シッダールタの人生は予想外の展開を迎える。

シッダールタは友と別れ、夢の中で女性を見ることによって愛を知りたいと願うようになった。そして美しい女性カマーラと出会う。彼女に好かれることを願うシッダールダだったが、拒絶されてしまう。身なりを整え、贈り物を渡すことが必要だったのだ。そしてシッダールダは商売を始める。彼は類い稀な才覚で財を築き、無事カマーラとも結ばれた。だが、彼は次第に財に取り憑かれる。そしてカマーラからゴータマの話をねだられたことをきっかけに財を捨て、カマーラの元を離れて再び旅へと出た。

さて、彼の人生はここからどうなってしまうのか。続きは後半で!(書くことがあれば)


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