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デザインの理解を深めるために歴史から見てみると、これがまた面白い(No.2!)

待望の第二段!デザインの歴史について、私がざっくり話すのコーナーです!早く続きが読みたいよ!という声にお応えして早速第二段です。
ええ、本当に続きが気になりますというコメントがあったんです。期待には応えないとですよね。

今回は前書きみたいなものはこんなもので本題に行こうと思います。


ちょっとだけ前回のおさらい

詳しい内容をご覧になりたい場合は上記から飛んで、ハートマークを押していただけると幸いです。

ヘルマン・ムテジウス(上図)率いるドイツ工作連盟

ドイツを中心に機械生産に適したモノづくりが始まりいい感じになったんですが、「これ美しい?(笑)作ってて楽しい?(笑)」とヴァン・デ・ヴェルデが問いかけて、バウハウスが出来ました。

出来たんだけど、いろいろあって解散してバウハウス出身者(教員含む)はアメリカとか他の国に逃げちゃいました。

おさらいおわり。以下雑談。

前回伝えていなかったうんちくなのですが、モダニズムの話の下りでサヴォア邸が出てきました。これはル・コルビュジエという方が作ったのですが、このかた実は日本のあるところで活躍しています。どこでしょうー。

そうですね、上野にある国立西洋美術館ですね。これはル・コルビュジエが建築しています。

1959年に開館 国立西洋美術館

前回も言いましたがデザインの歴史はそこまで深いものではないです。美術的な話も取り入れるなら深く枝分かれしたりしますが、デザインでみるとこんなものです。歴史って自分にあまり関係ない感じがしますが、現存しているもので、さらに今も使われているとなるとぐっと身近に感じますよね。ちょっとだけ歴史に興味がわきませんか?私は沸きます。

アメリカ独立(軽く歴史の話)

アメリカにバウハウス出身者が流れていきました。アメリカのデザインの話をするのですが、まずアメリカの歴史を軽く知っておかなければなりません。「デザインの歴史じゃなくて、ガチ世界史かよ、だるいわ(笑)」と思った方はしょうがないです。回れ右していただいて結構です。

前回の記事も産業革命の話をしましたが文化の歴史を理解していくためには、社会の歴史を知る必要があります。

なぜならデザインは人のためのものだからです。その時、その人たちはどんな状況でどんな困りごとがあったのかとか、何をどうしようとしていたは、まさに社会の歴史で知ることができます。その歴史を背景として、文化の歴史、デザインの歴史が発展し世の中を変えていくこととなるのです。

とにかくアメリカの歴史の話しまーす。

アメリカってそもそも1492年にコロンブスが見つけたとか言われていますよね。(日本では何していたかというと、1493年に北条早雲が伊豆に進行したらしく、戦国時代の幕開けはこのあたりと言われています。近畿とかでは既にいっぱい戦っているんだけどね!)

ぼくがアメリカ大陸を発見しました
コロンブス

コロンブスが大陸を発見した後、ヨーロッパ諸国に侵略されます。きちんと話をしているとめっちゃ長いので割愛しまくって、、、1776年にアメリカは独立します!独立宣言というやつです。

我々は一つの国としてやっていく!侵略してきたらマジ許さんからな!

こうしてアメリカ合衆国の歴史が始まります。
以下の2点は非常に大切なポイントです。

  • アメリカは新大陸

  • ヨーロッパから独立した

新大陸である、未開の土地でヨーロッパの伝統に縛られずに自由に生きていきたい!という風潮が巻き起こっていました。それはデザインにも影響していきます。

西部開拓

当時のアメリカは東の方に少し町があるような大陸でした。皆さんご存知の通りアメリカめちゃくちゃでかいです。労働力とかいろんなものが不足していました。なのでめちゃくちゃ必死に発展させようとしていました。

同時期にヨーロッパでは産業革命が巻き起こります。これを受けて、アメリカでは使えるものはなんでもつかえ!の精神のもと、新技術をガンガン使っていきました。

機械でたくさんものを生産することに抵抗感が全くありませんでした。(ヨーロッパでは職人が~とか作ってて楽しいんか~とか言われていますが、アメリカはそれどころじゃない)

そんなこんなで、まだアメリカの東側しか発展していなかったのですが、自分たちの暮らしを豊かに楽にしていくために、頑張りに頑張って、西側を開拓しようとします。西部はガチ未開で、自分たちが頑張って開拓すればするほど住める土地が増える!という精神でめちゃくちゃ開拓頑張りました。

ウオオオオオオオオオオオ!ガチでやったるぜぇぇぇ!西部を開拓だぁぁ!
アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!

1850年ごろには大体アメリカの真ん中ぐらいまで開拓が進みました。さらに西側を開拓するために、中継地点としてまぁまぁでかい街をつくろう!となり待ちを作りました。

そこでできた街がシカゴです。

大体今のシカゴ すげー栄えてるっぽい

シカゴ派

当時のシカゴは、西部開拓の拠点として工業を中心に発展します。1860年あたりでは、シカゴで活動していたリンカンが大統領になったり、人口が30万人を超えるなど、竹もびっくりな成長速度を見せていました。

1971年に大事件が起こります。シカゴ大火という火事が起こります。どのくらいヤバいかというと、2日で市街地が消えるというヤバさです。人口の1/3が家を失ったと言われているくらいヤバいです。

激やば火災 シカゴ大火
マジヤバいけど、シカゴの人たちはバイタリティが違う

ただ数十年前まで未開の地だったところを急速に都市化させたので、復興もあっという間だった見たいです。ただ復興するのではなく、大火を反省として木造は極力避けようという方針になりました。

ヨーロッパで主流だった石造り、レンガ造りの建物は作るのが大変で積み上げるにも限界がありました。

当時のシカゴでは都市の成長に耐えられるように、「作りやすい!効率的に!大きな建物を!」といったものが必要とされていました。

ここで注目されたのが、開拓時に大量生産されていた鉄です。鉄を素材にすることで、今までにはない、作りやすく、高層で、機能的な建築が作られました。

このシカゴで起こったこの建築の動きをシカゴ派と言います。シンプルで背の高い建築でした。同じフロアを積み重ねてビルをつくるという、今では当たり前の高層ビルですが、実はシカゴでうまれました。

そんなシカゴ派ですが、指導者的な建築家がいました。

「形態は機能に従う」という名言で有名なルイス・サリヴァン

このルイス・サリヴァン「ヨーロッパの伝統なんて使えん!シカゴでいま必要なのは作りやすく、効率的で、多くの人の役に立つ、機能的な建物だ!建築の形は伝統や美ではなく、機能に従って決まる!」と考えました。

これは西部開拓の精神である、自分たちが頑張れば生活が豊かになる!頑張ろう!のハングリー精神に大きく影響されているんじゃないかと思います。

この形態は機能に従う!という考え方を機能主義といいます。

この機能主義はデザインの歴史に大きな影響を与えます。

まとめ

  1. ヨーロッパから独立したアメリカで「西部開拓」が始まる

  2. 西部開拓には蒸気機関などの新技術が多く用いられる

  3. 開拓が進み「シカゴ」が誕生する

  4. シカゴで鉄構造の高層ビルが作られる(シカゴ派

短いですし、歴史の話しかしていませんが、今回は一旦ここまでです。

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