周りと話が合わないと感じた際に
周りと話が合わないことって、仕事に限らず、日常の中で頻繁に起こりませんか?
私がまさにそうなのですが、「ここ数年感じていた心のモヤモヤ」を一気に晴らしてくれるような本に出会えたので、アウトプットを兼ねて記事にまとめたいと思います。
前提として
前提として、この「話が合わない」という状況に関して、人間関係におけるいい悪いというものではないことは最初に記載しておきます。
人と話が合わないのは、人によって見ている世界が異なるためです。
例えば、仕事の会議の場で「1年後の組織の姿を考えよう」というお題目が出た際に、何から会話を始めれば良いのかパッと思い浮かぶ人と思い浮かばない人がいます。
この「思いつくかどうか」は、経験に左右されることが多いですが、よく考えると、思いつく人がその経験を積む際には、ぶつかった壁があるはずです。
なぜ思い浮かぶ人と思い浮かばない人がいるのか。それは、そのお題目の「抽象度が高い」からです。
例を変えて、「コピー機が壊れてしまったので、メーカーの担当者に連絡しよう」というお題目が出たとします。これについては、多くの人が同じようなイメージを持てているはずです。
なぜ同じイメージを持てたかというと、このお題目は「具体度が高いから」ですね。
具体と抽象というのは、反義語であり、抽象度が高い = 具体度が低い、逆に具体度が高い = 抽象度が低いということになります。
ここまではイメージがつきやすいと思います。ただ、これがなんで「周りと話が合わない理由」になるのでしょうか?もう少し深掘りしていきましょう。
抽象度が高い自分ごと
日々の具体的な事象のみを考えていると、「抽象度が高い世界が見えない」と言われています。先ほどの例に挙げた「1年後の組織の姿」については、そんなこと考えたこともないしどうでも良いと考える人が多いと思いますが、身近な事象でも、抽象度が高いお題目はあります。
各個人の人生において、自分ごとであり抽象度が高いお題目というのは、「自分がどんな人生を歩みたいか」ではないでしょうか。
これって、大人になっても尚、意外と語れない人が多いと思うんですよね。なぜかというと、数十年後の未来のことはまさに"抽象度が高くてイメージが難しい"ためです。
「なんでも良いから想像してみて」というと、例えば「田舎で悠々自適に暮らす」とか「年に2回は海外を旅行する」といった言葉は出てきますが、それは自分がそうなることを想像できているというよりは、「誰かが今すでにその生活を送っていて、世間的に良さげと思われている将来の姿」であることが多いです。
結局は、自分自身がどんな生活を送りたいのか、いつの間にか想像できなくなっていくし、そのために何ができるのかを考えることができないという状況になります。
幼少期に聞かれた将来の夢
自分の幼少期に学校などで問われた「将来なりたい職業はなんですか」に近いのではないでしょうか。ただ、これは自分がどんな人生を歩みたいかと異なる点があります。
ひとまず職業を答えることで具体性が生まれ、その問いを投げかけた大人側も、子供である本人も、なんとなく納得感を得て話が終わることです。
「警察官になりたい。〇〇の時に格好よく見えたから。」これ以上の議論には発展しません。
よって、「自分がどんな人生を歩みたいか」という抽象度の高い問いに答える胆力を直接的に磨く機会ではなく、きっかけに過ぎないということです。
大人になった今でも、具体的な事象しか取り扱わない(取り扱えない)人がいるのは、抽象的な事象を取り扱う機会が少なかったからなのではないかと考えます。
具体思考と抽象思考
やはり事例としては「どんな人生を歩みたいか」がわかりやすそうなので、具体例を出す際には、このお題目をベースとします。
論理的な思考とは別に、「理想の人生を歩むために、自分は今何をしたら良いんだろうか?」を考えるにあたって、それまでのプロセスが想像できない人は多数いると思います。
想像できないことは、実行できません。結果として、わかりやすい具体的な事象の実行に走ります。
世の中に、「人間関係が良くなる10の方法」や「1日30分で副業収入毎月5万円」などの本が流行るのは、その内容に具体性があるからだと私は考えています。
これも具体例を出した方がわかりやすいので、記載しますね。
以下のような考えでアクションに移行する人は、ある程度限られると思います。
20年後、さまざまな選択肢のある人生を送りたい。特に自身の幸福の幸福における大切な要素である食事と旅行について、金銭的な不安を感じることなく生活できる状態にしたい。
よって、その選択肢の幅がわからない状況にて、時間軸を前倒し、ひとまず10年後に、日本では割と富裕層に近い年収3,000万円を得ていたい。
手段として、自身が強く興味を持っているwebマーケティング関連で独立したい。自分1人では年収3,000万円を目指すのは難しそうだから組織を持つ必要があるだろう。
webマーケティングの基礎的な考え方を知りたいが、転職という大きな選択肢を踏むほどの情報を今持っていないし、どの企業が目標達成に近いのかどうかも不明である。
行動しないまま時間が経つのは勿体無いと感じ、トライアルとしてSNS運用の仕事を実施するのが良いと考えた。
具体的な価値基準を知るために月に5万円の収入を目指す。
ここでは「論理的思考ができる方が良い」というのを伝えたいわけではなく、「抽象度の高いお題目に対して、何すれば良いんだろう」とさまざまな情報を分解したり組み合わせたりできるかどうか、ということに、個人差があるということを記載しています。
このプロセスを想像できないと、「ひとまず今の生活では買いたいものが買えないから、5万円稼げる方法ないのかな…」と極めて具体的な事象として捉え、書店でたまたま見つけた副業術を実践してみる、ということに流れがちな世の中である結果が、当該書籍のヒットにつながっていると考えます。
話が合わない理由
この記事のタイトルに戻って、話が合わない理由についてです。
既述の事象を考えると、抽象度の高い考えを行う人は、「そもそもどんな人生を送りたいの?」という問いを発し、具体的な思考をする人は、「とりあえず今お金が欲しいんだ」という返答になります。話が合うわけがないですね。
この状況で、会話を前に進めるためにできることは、「抽象思考の人が具体思考の人に寄せる」これしかありません。
つまり、「そうか、ひとまず5万円稼ぐ必要があるんだな。いいじゃん」というよう話の流れ。
このような文章を書くと、なんだか抽象思考の人が上の立場にいるような言い方になっているかもしれませんが、これは「人としての特徴」でしかないというのが私の意見です。
私個人の話で言うと、学生の頃、宗教学に全く興味がありませんでした。
「こうすれば幸せになれる」というなんとも胡散臭いその思想に、なんだか嫌悪感を覚えていたんです。ただ、今となっては、もっぱら組織を作ったり、幸せな人生を送ったりすることに関して、宗教というのは、人類史になくてはならないものであり、私自身すごく興味が湧く対象です。
学生当時は、「具体思考しかできないが故に、抽象度が高くて見えない世界」だったからこそ、嫌悪感を覚えていたものだと、今になっては理解ができます。
逆にいうと、人と話が合うということは、「抽象と具体の思考の一致度合いが高いという状態」なのではないでしょうか。
「妻と喧嘩をしてばかりで困っている」
「仕事選びで親に反対されている」
こういった相談で共感し合える友人がいるのは、その友人も同じような具体度で困っていた経験が最近あったからです。
このように人間関係を紐解いていくと、「話が合わないのは仕方ないんだな」といい意味で諦めがついて、人間関係が円滑になることが多い気がします。
そして、この文章は、抽象思考の人に響く内容なのではないかと考えています。
最後に
抽象度の高い考えは、人類に大きな影響を与えてきました。
聖書が綴る「こうすれば幸せになれる」という思想。
資本論が綴る「こうすれば人類が平等になれる」という思想。
自分も割と具体的な思考をしてしまうため、経営者として非常に未熟者ですが、より多くの人に影響を与えることができるような、抽象思考と具体思考の上手いコントロールができるようになりたいと感じています。
アウトプットと言いながら、全くまとまっていませんが、このくらいで。
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