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『電気自動車の急速な普及で日本の自動車メーカーは数年後に消滅する』という話をどう考えるべきか?

(トップ画像はウィキペディアよりテスラ本社)

先日、長らくトヨタのレクサスファンだった米国在住の日本人女性がテスラを試乗して、凄い「先進的!」だと感じてトヨタやばいんじゃないの?という話をしているツイートが話題でした。(その後乗り換えて購入したらしい)

こういうツイートはたまにあって、そのたびに激論が交わされているのを見ます。

もっと過激な、ある種の「シリコンバレー的先進性」が大好きで「日本的」なアレコレが大嫌いなタイプの人たちの間のSNS議論では、今後数年で日本の自動車メーカーは消滅するぐらいの打撃を受けるだろう的な主張が「定番」みたいになっていたりする。

で、

・全世界自動車市場における電気自動車が数年前に想像されていたよりも断然早いスピードで普及してきている
・ハイブリッドに強みを持つ日本メーカーがその流れに乗り遅れがちである

この二点はまあかなり事実と言っていいんですよね。

でもその「先」の程度問題は色んな次元がありえる。

冒頭の女性が「初めてMacを使った時の感動」って言ってたのが”まさに”ですが、僕もスマホからタブレットからPCまで全部Macユーザーみたいな感じですけど、結果としてそれに熱中してるのは結構限られた人だけで、世界的に見ればAndroidやWindowsのほうが圧倒的にシェアを持ってますよね。

一方で、今やガラケーを使っている人など世界中からほぼ消滅状態であるように、「スマホ」化の流れぐらいの大きな波としての電気自動車・・・みたいな現象が今後起きるのだとすれば、それはかなり今の日本の自動車メーカーにとってヤバい現象だと言えるでしょう。必死でキャッチアップしてもらうしかない。

ただ自動車に求めるものはあまりにも人それぞれで、過去20年のトヨタもハイブリッドだけで快進撃だったわけではなく、北米の稼ぎ頭は超燃費悪そうなピックアップトラックだったらしいので(笑)、「”先進的”なタイプの人が身の回りの出来事の単純な延長が”世界”だと思う事の誤差」はスマホの場合よりも大きい感じはします。

つまり、ここには2つの「両極端」があって、

全世界のEV化の流れに乗り遅れた日本の自動車メーカーはあと数年で壊滅するんだ!

”日本的”なアレコレが全部嫌いなタイプの進歩主義者の人

…みたいな意見と、

「日本のォォォ自動車産業はァァァ世界一ィィィできんことはなァい!」

ジョジョのシュトロハイムのセリフ

…みたいな意見ばかりが飛び交っていて、実際のところどの程度の事が起きていてどういうことが今後予想されるのか?について冷静に考える意見が埋没しがちだなと思います。

というわけで、そのあたりを簡単に整理したあと、自動車産業に限らずですが今後の日本の先行きの方向性について考える記事を書きます。

(いつものように体裁として有料記事になっていますが、「有料部分」は月三回の会員向けコンテンツ的な位置づけでほぼ別記事になっており、無料部分だけで成立するように書いてあるので、とりあえず無料部分だけでも読んでいってくれたらと思います。)

1●急激に伸びるEV市場は、「スマホ」レベルか「タブレット」レベルか?

急激に伸びるEV市場

The electric vehicle world sales database

上記グラフのように、特に2021年以後の世界自動車市場におけるEV化の流れは急速で、これはEV懐疑派の人たちは読みが外れた感じではあります。

グラフ内にはマーケットシェアも書き込まれていますが、トヨタも力を入れているプラグインハイブリッドを含めると13%、純粋なEVだけだと10%程度になっている。

「EV推進派」の中では、このグラフをそのままグイグイ延長していって、完全に「塗り替えて」しまうのはもう”目に見えている”という議論をする人が多いです。

確かに一度こうやって指数関数的な増加に入ると、これは「世界を完全に塗り替えるだろう」とついつい思ってしまいがちになるんですが、ただそれは歴史的にかなりのレアケースではあるんですね。

スマホの印象が強すぎるので、そこに起きた「奇跡」がどれだけレアな事かを私たちはつい忘れがちになる。

例えば10年以上前にiPadが発売された時、そして当時なりに急激に普及していた時期において、「もうそのうちパソコンなんて使う人はいなくなる」って言ってる人結構いましたよね?

仕事でもなんでも俺は全部タブレットかスマホでこなすぜ。それができないやつは自分の仕事をちゃんと整理できてないダメなヤツ

…みたいなことを言っている人が沢山いましたが、まああまりそうはならなかったですよね。PCはPCとして、タブレットはタブレットとして共存している。

ここから考えられるのは、

・「ガラケーからスマホ」はユーザー体験として全然違うレベルの事ができた
・「PCからタブレット」、「スマホからタブレット」は”好みの問題”程度でしかなかった

…ということなのかなと。

電気自動車が、「スマホの場合のシナリオ」になるのか「タブレットの場合のシナリオ」になるのか、混乱する議論を整理するためのアナロジーとして、この軸で考えるのがいいんじゃないかと個人的には思っています。

そして少なくともタブレットが急速に普及したレベルでは既に電気自動車も普及しており、数年前に見られていた「EVなどオモチャみたいなもの」というような印象は間違っていることが証明されたと言える。

北欧でもかなり普及してるので寒冷地じゃEVはダメって話でもない。(ただ、色々気を使う必要はあるのは確かで、その”誤差”レベルのことが案外巨大な産業の盛衰を決める上で重要になる可能性はあります)

つまり「タブレットシナリオ」は確定で、その先「スマホシナリオ」の変化になるかどうかは、今後数年が大きな分水嶺となるでしょう。

個人的に思うのは、

・「スマホ急速普及期(2010年代)」の人類社会は「輝けるグローバル意識高い系の内側の流行」が何の留保もなく世界を制覇していく例が多かった

ですが、

・最近は「グローバル意識高い系内の流行」があるレベルを超えると同じレベルの「反・意識高い系の流行」が生起して打ち消し合うような現象が増えている

…ように考えており、電気自動車もこれからそういう「壁」に直面するんではないかと想像しています。

とはいえ、欧米と中国の政府がジャブジャブの補助金攻勢をかけている点はタブレットの場合とは全然異なっており、これから「スマホ」シナリオになる可能性も否定できません。

また、「タブレットシナリオ」であったとしても日本メーカーの対応が遅れている事が問題になるのは明らかです。

次は日本メーカーの現状と今後について見てみましょう。

2●直近の日本メーカーの苦戦”に見えるもの”は半導体供給の別問題

コロナ禍以後、特に2022年ぐらいで日本の自動車メーカーの業績不振が明らかになっている例がちらほらあって(北米におけるホンダと日産など)、それとEV市場での出遅れを結びつけて「日本の自動車メーカーは滅びる」という例の証拠にしている議論を時々見かけます。

が、これは恐らく半導体の供給異常で全然納車できなくなっていた事が大きいです。さっきも書きましたがEVのシェアはプラグインハイブリッド含めて13%程度でしかないので、そこの内側の小さな争いが全自動車産業サイズの問題に大きく効いてくるのは考えづらい。(特に北米市場は欧州の一部や中国などほどまだEVシェアが高くないので)

「自動車産業の半導体供給問題」というのは、単純化して言うと

・コロナ禍の巣ごもり需要で、スマホ・PC・ゲーム機需要が全世界的に爆発的増加

・世界中の半導体供給がそちらに取られて自動車用が入らなくなる

…という事で世界中で自動車メーカーが新車を作れなくなっていた混乱があったんですね。最近少しずつマシになりましたが、去年など新車を買おうとしても納車一年半待ちとか言われた人も多かったと思います。

スマホやPCに比べて自動車は一台に使う半導体の数が多く、かつ同じ型番で月に数千万台と出る事も珍しくないスマホと違ってどうしても「多品種少量生産」になりがちなので、半導体メーカーから見て後回しにされてしまいがちだったんですね。

とはいえ、それは世界中の自動車メーカーが同じ条件なはずですが、一部日本メーカーだけが回復に手間取ったのは、それだけ「精密な生産方式」をやっていたっていうことなのかなと理解しています。

要はトヨタ生産方式的なジャストインタイム発注をする事で、あまり在庫を抱えない方式を極めすぎていて、こういう突発的な事態に対応するのが難しかったと。

今は世界中で半導体工場が作られていてむしろそのうち余っちゃうんじゃないかと言われていますし(ソニーのPS5もついに普通に電気屋さんで買えるようになりましたしね)、聞いたところでは日本勢はそもそもスマホ用のように最先端でなくていい車載半導体向けに、小ロット発注に対応できる新製造方式で対抗する戦略を取ろうとしているらしく、この問題は近々解決されていくでしょう。

こういう「ネットの空中戦的議論ではフォローされないような地道なこと」をちゃんと積み重ねてるというのはいわゆるJTC(伝統的大企業)の強みの分野なので、2024年以後にこの問題は解決されるというのは信頼していいのではと思っています。

こうやって「日本メーカーがやっていること」をポジティブに評価する議論をすると、「危機を否定してなんでもかんでも心配ないと決め込む人」みたいな感じで批判してくる人がいるんですが(笑)

「何は大した問題じゃなくて何が本当に重要な問題なのか」を冷静に腑分けできずに、この記事冒頭に書いた「数年後には滅ぶのだ」vs「シュトロハイムのセリフ」みたいなことを言っていても余計に必要な議論ができなくなるから良くないんですよね。

ざっくりですが、この記事のここまでのように現状を整理してくると、日本メーカーにとって「何が問題なのか」が解像度高く理解できるようになってくるのではないかと思います。

3●今後のEV化の流れの中での日本メーカーのリスク

さて、ここまで整理した上で、今後の日本メーカーにとってのリスクは、

・”短期”では、今後数年での高級車市場におけるプレゼンス(必死に追いつかないとヤバいかも?)
・”長期”では、電気自動車のコスト構造で日本の自動車メーカーの強みが発揮できなくなる可能性の検討

…の2つだと思います。

まず「短期」の話からします。

冒頭に貼った日本人女性のツイートもそうですが、こういうのは「印象」でしかないが「印象」が大事なのがビジネスでもある。

過去20年のトヨタが本当はピックアップトラックを売りまくって儲けていたとしても(笑)、パブリック・イメージとしてハリウッドスターがやたら大量にプリウス買ったり映画「ララランド」で好意的に評価されていたり…という「印象」の効果は大きかったはず。

特に自動車産業は、利幅の大きい高級車セグメントの収益で大衆車のコストが補填されている構造になっていることが多いらしいので、この「ショーケース市場」で世界中で出遅れていること自体は、AIにおけるGoogleじゃないですが「コードレッド(≒緊急事態宣言)」を発動して真剣に取り組んでもらうしかない。

別にめっちゃ優秀なイノベーションでテスラを圧倒する必要はない(そんな事は一朝一夕にはできない)が、とりあえず数年で「恥ずかしくないラインナップ」を作る必要はあると思います。

トヨタも方針転換して、若い社長さんに変えて2025年にフルラインナップの電動車を揃えるそうですが、そういうのは「ちゃんとやる」事が大事です。

これは今後の自動車産業が、「スマホシナリオ」になるにせよ「タブレットシナリオ」になるにせよ逃してはいけない大問題で、どんなタイプの論者もちゃんと日本メーカーにせっついて「ココはちゃんとやってください」とプレッシャーをかけるべきポイントだと思います。

その「おつきあい」としての市場にはちゃんと参戦すると同時に、その先で本当に「EVに全ツッパ」がいいのかどうかは、冷静に見極められるといいですね。

なぜなら「スマホシナリオ」でなく「タブレットシナリオ」になった場合、日本メーカーは”残存者利益戦略”でめっちゃ有利な立場になる可能性もまだ十分にあるからです。

例えて言えば野球の「盗塁」で日本企業は一塁ベースにいる感じなんですね。

今後どのタイミングで走り出すべきか、単に「EVの流行に乗らないのは時代遅れのクズ」みたいな議論とは別個に、「日本企業の利益追求」という視点で純粋に判断して行動するべきポイントがあるはずだと思います。

4●「長期のリスク」について家電の事例から考える

短期のリスク以外で、さっき書いた「長期」のリスクについては、今後かなり真剣な検討が必要になってくると思います。

というのは、

結局電気自動車のコストで差をつけられるのは「電池のコスト」が8割で、それをとにかく大量生産で安く作ることが全てを決定してしまうかもしれない

…ということを言っている人がチラホラいて、そうなったら結構日本メーカーは何か本質的な変化を起こす必要が出てくると思います。

さっきの半導体供給不安における対策が日本だけ遅れた理由…みたいな感じで、日本メーカーみたいに「精密な作り方」をする方式が余計にリスクになる可能性が生まれるからですね。

でもこれ、「絶対そうなる」かというとよくわからなくて、過去にも電気自動車は「すりあわせ」型じゃなく「組み合わせ」製品だから工業のレベルは関係ない…とか言われまくっていたけど、結局イーロン・マスクが超人的なリスクテイクで乗り切ったテスラと中国が国家の威信をかけて大量投資をしたいくつかの電動車メーカー以外はあまりパッとしない結果にはなっている(既存のメーカーの方がよほど強い)。

スマホや家電ほど「部品があれば誰でも作れる」わけではないが、エンジン車ほど参入障壁が高いわけでもない…というこういう「中間的現象」に対して、単純化した両極端の罵り合いにせずに丁寧な議論をしていくことが必要な課題ではあると思います。

単純に言えば「家電に近い」構造になればなるほど、日本の家電メーカーが中韓台のメーカーに負けた形に近くなってくるんですね。

この記事を書くために調べていて初めて知ったんですが、韓国の二大自動車メーカーの「現代(ヒュンダイ)」と「キア」は今はもう合併して同じ会社になっているらしい。

半導体産業において、日本の電機メーカーが何社もあってバラバラのまま投資に躊躇した状態で、韓国や台湾では一社か二社ぐらいだけに超集中化された巨大企業が兆円単位の投資をバンバンやりまくって追い抜いていったようなことが、自動車業界でも起きうる・・・ということは、真剣に考えておく必要はある。

日本においても、「トヨタマツダ」とか「ホンダ日産」とか合併して規模を上げる必要が出てくるかも?

ただ、私の自身のコンサル経験や、過去20年の日本企業のあり方を考えると、むしろ電池メーカーまで含めて「個別の会社は残したまま機能連携をする戦略」をいかに作れるかが重要になってくる気はしています。

「電池の供給」「電動技術の開発」といった部分だけ横串で連携して「規模が重要な分野」で規模をちゃんと作り、実際の製造や販売のオペレーションは個社の身軽さを残したほうが生き残れる可能性は高いと思う。

こういう議論は、20年前に半導体の時にもあったんですが、当時はそういう発想自体が新しすぎて凄い紛糾して大変そうでした。

今「ルネサスエレクトロニクス」になっている会社は、三菱電機と日立とNECの下にバラバラにくっついてた部門を各個撃破されないようにまとめてちゃんと「必要な規模」を出せるように切り替えた例ですが、当時はそういう例が初めてだったので凄い紛糾したみたいですけど、結果としてちゃんと今でも半導体分野で世界的に活躍できている数少ない成功例になりましたからね。

その20年の蓄積があるので、今は日本の「経営について考えるクラスタ」の中で「そういう方式」の知見が溜まってる感じがあります。それを必要に応じて応用できるかどうか。

ネットじゃ大雑把に「日本とかほんとダメだよね」vs「うるせー黙ってろ」みたいな話しか飛び交っていませんが、「ちゃんと考えている人たちの集団」はそういう議論とは別のところにいるので、そういう議論を丁寧に共有していけるかが大事です。

日本の大企業って、はたから見てると何も考えてないアホっぽい感じがする時があって、SNSでもその「めっちゃアホっぽい取引先の日本の大企業のオッサンが馬鹿な発言をした件」とかがよく嘲笑されてバズるんですが(笑)、私みたいに普段は中小企業クライアントと仕事してる人間がたまに大企業クライアントに触れてその幹部の人の言ってる話を聞いたりすると、

なんだ案外ちゃんと考えて動いてるんじゃん!

って驚く時があるんですよ。

だからこの「電動車化での自動車のコスト構造変化」という大問題に対してどう対応していくべきか、考えてる人は考えていると思うので、それを両極端のアホな議論に流されずに、ちゃんと共有して実現していけるかどうかが大事ですね。

逆にこういう「日本的エコシステム」から遠い位置にいて、その「動きの遅さ」に苛立ちを持っている人は、単にバーカバーカって言うだけじゃなくて、さっきの「ルネサス型」の工夫みたいなのの蓄積を理解してメッセージを工夫すると、相互に伝わりやすくなると思います。

「なんで米国みたいにやれないの?」って言われると、そりゃ「米国みたいに社会の周縁部がスラムに飲み込まれたりしないようにするためだよ」みたいな話があるんで、「米国の一番良い部分」だけを見てそのまま日本に移植することはできないんですね。

ただし、20年前に「グローバル」と「日本」が真正面からぶつかって右往左往していた時と違って、あれから20年色んな成功例も失敗例も出てきているわけですよ。

その「両者の価値を溶け合わせる色んな工夫」は溜まっているところには溜まっているので、海外の知見や先端的技術動向に詳しい人の意見が、ネットのしょうもない議論で浪費されることなく、「ルネサスレベルの独自の工夫の議論」と噛み合うように持っていければ、日本を取り巻く環境は激変すると思います。

私はこういう発想を、『メタ正義感覚』と呼んでいます。

スマホが普及した時みたいに何の留保もなくスルスルと進んでいる時にはただ時代の流れに乗っていればいいが、だんだん「拮抗状態」になってきて「ぶつかりあう2つの正義」が押し合いへし合いになってくる。

その「ぶつかりあうベタな正義」にはそれぞれ必然性が同程度にあるので、単に全力で押し合っているだけでは解決できない。

この時に「相手側の議論の”存在意義”」を理解し、それを自分たち側が代理で解決するように動くことで、徹底的に「相手を押し切ってしまう完全勝利」が可能になる。

それが「メタ正義感覚」の発想です。

実際に、欧米のグローバル大企業のプロジェクトから、日本の中小企業の仕事まで参加した経験から、その「文化の違い」を乗り越えて物事を進めていく方法について書いた以下の本があるので、ご興味があればどうぞ。

日本人のための議論と対話の教科書

5●「みんな」から切れないイノベーション、新時代のビジョンを作れるか

最後に、もっと大きな意味で今後の日本企業が提示すべきビジョンという話をしたいんですが、さっき書いた以下の違いについて真剣に考えるべきだと思っています。

「スマホ急速普及期(2010年代)」の人類社会は「輝けるグローバル意識高い系の内側の流行」が何の留保もなく世界を制覇していく例が多かったが、最近は「グローバル意識高い系内の流行」があるレベルを超えると同じレベルの「反・意識高い系の流行」が生起して打ち消し合うような現象が増えている

特に自動車産業は、「人類社会全体の人口で2割しかいない先進国市場」ではなく「10割の人類全体市場」を見て「グローバル中間層」に対してどうアピールしていくか…みたいな発想も大事で、中東やアフリカのテロリストが凄い自慢げにトヨタのトラックを改造して乗ってるみたいな話が、案外重要なんですよ。

日本の「後進性」をあげつらって「世界じゃ絶対そんなこと考えられないよ」と言いがちな人の見ている「世界」って、人類2割の欧米という特権階級のさらに上澄みの話題でしかない事が多くて、その「上澄みの中で流行ってること」が本当に「人類社会の未来」になるのか・・・というのが年々怪しくなってきているわけですよね。

特に、直近の株式市場などでは、いわゆる「GAFAショック」とか言われてシリコンバレー型のIT企業が全てを飲み込む的な議論が後退し、かわりに東欧や東南アジア、インドやアフリカの一部などの「新興国市場」に目を向けるべきでは?みたいな議論もチラホラある。

その時に大事なのは、「変に他人の後進性を断罪しないタイプの新しいビジョン」だと私は考えています。

「俺たちは先進的で(お前たちと違って)未来のことを真剣に考えているんだブランディング」って、一部の物好き人間に買ってもらう市場の最初期にはいいんですが、その先で結構面倒な問題を抱えがちだなと思うんですよね。

特に自動車市場は今は「環境にセンシティブ」な特殊な客層部分を取っていっているのでEVシフトは当然のように見えますが、そのうち「EVが市場を制覇する」ためには「ピックアップトラックを愛してる層」とかまで売らないといけなくなってくるわけですよね。(テスラがお世辞にもカッコいいと思えない変なトラックを開発してるのは彼らなりにそこをちゃんとわかっているからだと思います)

テスラ公式サイトより

上記の「サイバートラック」の”字体”が、

「俺たちはお行儀がいいインテリの趣味じゃなく、右腕の二の腕に巨大なドクロの入れ墨してるあんたらの価値観もわかってるぜ」

…的な(笑)方向性を、なんとか実現しなくては…ということを切実に理解している感じがあって、その点は結構好感しています。

「電気自動車革命を成し遂げる」事に本当に真剣なら、単に恵まれたインテリのお遊びで終わることがないように当然こういうことまで考えなくてはならない…とテスラの首脳部が考えている事の現れだと思いますし、その点は凄い尊敬できる。

ただ多少テスラがこれで「無理してる」感じがあるのも確かで、『ストレートアウトオブ三河のヤンキー精神』でそういう層と直接繋がっているかのようなトヨタのアドバンテージがある分野ではありますね(笑)

スマホが世界中に売れていく時って、別に「ガラケーの人をやたら断罪する」ようなことは不要だったと思うんですよ。単に「スマホってめっちゃ便利だし使ってみ?」って言うだけで済んだ。あるいはそんなこと言う必要もなかった。

今みたいに「まだエンジンにこだわってるヤツとかもう人類社会の未来の敵だろ」みたいな事を過剰に言いまくる人たちの存在が、むしろいずれEVの普及において重要な障害になってくる可能性は非常に高いと私は考えています。

トヨタが今では北米で一位か二位(年によって違うがGMと競っている)を維持している理由として「サッカーママの支持」が…って話を聞いたことがあるんですが、

「サッカーしてる子供の送り迎えをする普通のママにとって使いやすい」みたいな「普通の人の日常に寄り添う」+「ちょっとしたエコ的印象」

…みたいなレベルを取れるブランディングを作っていけるか。

そのためには、あまりにも「後進的で環境センシティブじゃなさすぎる」印象になったら良くない。さっき「ショーケース的市場で恥ずかしくないEVラインナップが必要」といったのはそのあたりのことです。

一方で「やたら他人を断罪しまくるマーケティング」じゃない…ということが、今後の日本企業のブランドとして重要になってくるようにも私は考えています。

人工的な価値観を振り回して他者を断罪しまくるのが得意な国と苦手な国がありますが、日本は明らかに後者なんで、むしろ世界中で愛されるニンテンドーのゲームのように「誰も人工的な観念論で断罪されずにワイワイ楽しめる世界観」っていうのがやはり今後も大事になってくるはず。

トヨタは世界中で、プラグインハイブリッドも燃料電池も全部「電動車」であり、「多様な選択肢を用意する」ことが大事なんだっていうキャンペーンをやってるみたいで、これが「ザ意識高い系の論調の外側」ではそれなりに効力を発揮している部分もあるようです。(純粋な電動車原理主義の欧米人が、そのキャンペーンがそこそこ成功してるのがマジでムカつく!って言ってるツイートを見かけたことがあります 笑)

そのトヨタのキャンペーンが全世界レベルでどの程度成功するかわかりませんが、できる限りそうやって「日本勢に有利なタブレットシナリオ」に誘導する努力は一応やる事は意味があると思いますし、その場合は、「いけ好かない原理主義的な意識高い系と違って普通の人に寄り添ってくれるトヨタ」みたいなイメージが勝ち筋として大事かもしれません。

ちょっと露悪的な言い方しましたけど、でもこれは単なる「印象」「ブランディング」の問題だけじゃなくて、技術選定の方向性としても重要な意味を持っているんですね。

6●「開かれた技術」と「閉じた技術」の違い

私は、本当の気候変動対策のためには、「水素エコシステム」が必要だと考えているんですよ。

でも、イーロン・マスクが「燃料電池(Fuel Cell)は愚か者の電池(Fool's Cell)」とかダジャレを言ってバカにしてたように、「シリコンバレー型に一部の天才だけがリードする世界観」だと、水素エコシステムは凄く迂遠で無駄が多いように思えるんですよね。

でも、個人的には、トヨタが延々と水素にこだわって来て、最近は欧州も巨額投資しはじめた水素エコシステムのほうが「参加可能性が広く開かれている」点において人類社会にとって必要な次のビジョンだと強く思っていて、そういう意味で「トヨタ的世界観」の本来的な価値については凄い敬意を持っている。

というのは、欧米人が限られた知的人物の中だけで計算して発想すると、「限られた人間しか参加できないエコシステム」が出来上がるんですね。

その「一部の人に閉じた技術体系」のビジョンが、例えば

できるだけエコ系発電+蓄電池だけで需給制御+電気自動車

…というビジョンで、結構「当然これこそが完全なビジョンであり、これに反対するやつは人類の未来に責任感を持たないクズ」みたいな先鋭化している人たちが結構いるんですよね。

でもね、これって「参加できる人」がかなり限られる技術セットなんですよね。

そりゃカリフォルニアにはすぐ近くに大量に太陽電池がおける砂漠があるかもしれないけど!

そりゃ欧州の北海にはずっと安定して風が吹き続ける遠浅の海があるかもしれないけど!

…みたいなところで、非常に特権的な「幸運」を持っているタイプの人しか参加できないビジョンが「最適解」として押し込まれると、当然抵抗する人が出てくるわけですが、その「抵抗者たち」をまとめて「How dare you!(グレタさん)」とか言って断罪しまくってたら協力してくれる人がどんどん減っていくじゃないですか。

一方で「水素エコシステム(別にコレに限らず他のビジョンでもいいんですが)」は、もっと「開かれた技術」になりえるんですよ。

「水素エコシステム」が人類社会全体で稼働すれば、長い海岸線を持ってる南米チリとかで大量の風車を動かしたり、巨大な砂漠がある国で太陽光発電したりして、それを全部「水素という通貨」に転換して世界中で使えるようになる。

あるいは技術がある国は夢の核融合発電をしてもいいし、このシステム全体が普及するまではとりあえず多少無駄が多くても天然ガスから作ったやつを使っておけばいい。

こうやって「誰でもどんな方式でも参加できるシステム」をコストをかけて整理していけば、今みたいに全力で抵抗して押し合いへし合いになることがなくなるのだと私は考えています。

要するに「実験室的環境」で限られたインテリだけで考えると「理論上100点取れるけど実は結局人類の一部しか参加できないプラン」を考えてしまいがちなんですが、実際にありとあらゆるシチュエーションで生きている80億人全体の事を考えると、「80点かもしれないが皆が参加可能なビジョン」をいかに作れるかが大事だってことですね。

それが「閉じた技術ビジョン」と「開かれた技術ビジョン」との違いと私が呼んでいる分水嶺です。

昔そういう事をウェブ記事に書いた時の絵がコレなんですが…↓

上段で徹底的に険悪になってた関係が、下段で「置いときますね〜」「いつもごくろうさまです〜」ってなってる(笑)構造が凄い大事なんですよ。

ここがちゃんと”切れている”かどうかで、そこに「参加できる人」の数が全然違ってくる。

限られた人だけが参加できる閉じたシステムをゴリ押しするんじゃなくて、「万人に開かれたゴール」を当然のように共有できる未来がやってくる。

でもこういうの、今の欧米の流行的価値観だとなかなかわかってもらいづらいんですよね。まず誰かを断罪しまくって自分の正当性とか倫理的優位性を確保するのが基本みたいになっちゃってるので。

上記の絵を使った記事を発表した時に、ある元エンジニアのご老人が水素利用は「発電後そのまま使用する」ケースに比べてエネルギー効率的にいかに無駄が多いかを延々と書いたメールを送ってきて、いやそんなことは当然わかってるんだけど問題はそこじゃなくて「通貨システムを整備する」ようなことが人類社会全体の協力関係を引き寄せるために大事だってことなんですよ・・・と言い返しても全然理解されずに何度も同じ内容のメールが送られてきて困ってしまったことがあったんですが(笑)

でもこれは単純に「議論」をしていてもなかなかラチがあかない問題で、まずは「閉じた技術」でやってみようとしてみて、それに一度挫折してもらう必要があるんだろうと私は考えています。

結局今の流行である「閉じた特権性の中の議論のゴリ押し」がいずれそこに内在する「罪」ゆえに潰えていく先にしか、「本当の希望」は見えてこない。

日本は本能的に「その先」を目指す習性を持っているので、その価値をなんとか人類社会にわかってもらえるように動いていければいいですね。

「通貨」って維持するの凄いコストかかってますけど、あるのとないのとで大違いじゃないですか。

これって例として非常にわかりやすいのでもう少し深堀りするけど、「通貨」って、物々交換でもなんとかやれてる社会の中心部にいる人は「別にいらないんじゃ?」って思っちゃうんですよね。

「電動車+エコ発電+蓄電池のみで需給制御」のビジョンって、そういう意味じゃ「物々交換レベル」のイノベーションなんですよね。

一方で水素エコシステムのような「通貨」を作ることは、まさに「カネに色はついてない」という世界なので、世界各国に生きる80億人それぞれの状況に応じた貢献の仕方ができる道が拓けるんですよ。

この「カネに色はついてない」が大事なんですよね。

義なるものの上にも、不義なるものの上にも、賢きものの上にも愚かしきものの上にも平等に与えられるものこそが人類社会の共有ビジョンであるべき。手前勝手な人工的な断罪を振り回し合うのではなくね。

ただ、この「通貨システムレベルの水素利用」はまだコスト的に課題が多くて、すぐには実現しそうにないみたいなんですよね。

でも5年前に比べたら欧州でも相当水素に投資する機運は高まっているみたいですし、日本政府もかなり水素とかアンモニアとか色んなビジョンを提示してますし、このあたりの方向でなんとか新しい流れが作っていけたらいいと思っています。

ぶっちゃけ「”通貨”としての人類サイズの水素エコシステム」さえ動けば、別に自動車は電動車でいいんじゃ?、と僕は思っているんですが、しかし色々な技術選択肢が残されていることは大事ですし、「閉じた技術のゴリ押し」でスタンダードが決まってしまわないために、トヨタの意地の張り方は絶対に人類の未来のためになっていると思います。

その「本当に次の人類社会の為になるビジョン」という方向性を本来的に今の日本が目指す方向性は持っているはずなので、今の欧米の流行である

「2割の特権階級が他を断罪しまくるマーケティング」

に対して

「”みんな”から切れていない新しい”先進性”」というブランディング

…を、日本のあらゆるコンテンツ産業や色んな消費財メーカーも含めた本能的連動関係の先でちゃんと提示していけるかどうか。

それは以前、韓流コンテンツと日本コンテンツの価値観の違い・・・みたいなことで書いて結構読まれた以下の記事のような形で、人類社会の「次」のビジョンとして日本が提示していくべき内容なんですね。

非常に本質的なレベルでここには「人類社会のためになる、日本ならではのビジョン」があると私は確信しているので、よほどアホな事をしない限り実現できると思いますが、油断せずに適切な手を打っていきましょう。

そういう「新しい流れ」が徐々に見えてきているからこそ、過去20年の日本で基本だった、

・米国みたいにできない日本てダメだよね
vs
・ここは日本だ黙ってろ

という幸薄い両極端の議論が”両方とも”説得力を失いつつある流れが起きているんじゃないか?という感覚が少しずつ出てきているように思います。

この記事とツイになっている一個後の記事

で、いわゆる「ひろゆき&成田」氏的な言論に厳しい目が注がれるようになっているのも、ひょっとするとそういう新しい流れの現れかもしれませんね。



長い記事をここまで読んでいただいてありがとうございました。

ここからは、ちょっと別の視点で昨今の爆発的進化を見せるAI(人工知能)について、日本社会がどうやって応用を実現していけばいいのか?という話をします。

先月末のこの記事で、

過去20年の「フレキシビリティの足りないIT」に無理やり社会を合わさせる事をかなり拒否してきた分、AI時代の「賢いIT」に寄り添ってもらうことで日本社会はうまくIT化を進めることができるんじゃないか?というような予想について書きました。

日本社会の大部分を占める中小企業の実態や、中小でなくても「非常に日本的な価値の出し方をしている組織」の事情について疎い個人主義者的な人物からすると、日本におけるIT化が「過剰にカスタマイズしようとして余計に物事が進まなくなる病理」があるというのは定説みたいになってるんですね。

で、私も昔はそう思っていたんですが、ただいくつか「既存のパッケージシステムに無理やり合わせる」事でその会社の強みであった連携が崩壊して潰れかけた事例とかを見聞きすることがあって、事はそう簡単でもないんだなと思う体験を色々したんですよ。

だから、確かに「なんでも無意味にカスタマイズするのは良くない」が、「個別事例への対応を全部無意味と断じるタイプの言論」もまた間違っているんだろうと考えていて。

とはいえ、過去20年のIT技術は、というか時代が以前になればなるほどITの柔軟性は小さかったので「システムに無理やり人を合わさせる」形でのIT化が世界的には行われていったわけじゃないですか。

でもその結果として、非常に社会が分断化されていったというか、その「導入されたシステム」が「社会の末端の人間関係や効力感を破壊した」構造は明らかにあるなと感じていて。

過去20年の日本はそこでかなり抵抗してきたので、「ITに引き裂かれていない人間関係」が社会の末端に残っている。

「それ」と「これからの時代の柔軟性が高いITシステム」を組み合わせていくことで、過去20年出遅れたからこそできるリープフロッグ的な進化を実現できるんじゃないか?という風に私は考えています。

…という話はチラホラ色んなところで書いていたのですが、つい最近あるウェブメディアで今をときめくChatGPTを作ったOpenAI社の中の人が、似たようなことを言っていて、「AIのこれまでとこれからの違い」「そこで日本ができることがあるんではないか」みたいな話について、前回私が書いていた話とかなり似たことを言っていてナルホド!と思ったことがあったので。

その話をしながら、実際に

・「なぜ日本企業が過剰にカスタマイズしたがるのか」
・「それは確かに非合理だがそうなっている意味もある・・・とはどういうことか?」
・「ではその”隠れた合理性”を保存しつつこれから”AI時代”のIT化を進めるにはどうしたらいいか?」

…といった事について、私が体験した事例や色んな技術への考察などを書きます。



2022年7月から、記事単位の有料部分の「バラ売り」はできなくなりましたが、一方で入会していただくと、既に百個近くある過去記事の有料部分をすべて読めるようになりました。これを機会に購読を考えていただければと思います。(これはまだ確定ではありませんが、月3回の記事以外でも、もう少し別の企画を増やす計画もあります。)

普段なかなか掘り起こす機会はありませんが、数年前のものも含めて今でも面白い記事は多いので、ぜひ遡って読んでいってみていただければと。
ここまでの無料部分だけでも、感想などいただければと思います。私のツイッターに話しかけるか、こちらのメールフォームからどうぞ。不定期に色んな媒体に書いている私の文章の更新情報はツイッターをフォローいただければと思います。

「色んな個人と文通しながら人生について考える」サービスもやってます。あんまり数が増えても困るサービスなんで宣伝してなかったんですが、最近やっぱり今の時代を共有して生きている老若男女色んな人との「あたらしい出会い」が凄い楽しいなと思うようになったので、もうちょっと増やせればと思っています。私の文章にピンと来たあなた、友達になりましょう(笑)こちらからどうぞ。

また、この連載の趣旨に興味を持たれた方は、コロナ以前に書いた本ではありますが、単なる極論同士の罵り合いに陥らず、「みんなで豊かになる」という大目標に向かって適切な社会運営・経済運営を行っていくにはどういうことを考える必要があるのか?という視点から書いた、「みんなで豊かになる社会はどうすれば実現するのか?」をお読みいただければと思います(Kindleアンリミテッド登録者は無料で読めます)。「経営コンサルタント」的な視点と、「思想家」的な大きな捉え返しを往復することで、無内容な「日本ダメ」VS「日本スゴイ」論的な罵り合いを超えるあたらしい視点を提示する本となっています。

また、上記著書に加えて「幻の新刊」も公開されました。こっちは結構「ハウツー」的にリアルな話が多い構成になっています。まずは概要的説明のページだけでも読んでいってください。

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ウェブ連載や著作になる前の段階で、私(倉本圭造)は日々の生活や仕事の中で色んなことを考えて生きているわけですが、一握りの”文通”の中で形に…

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