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「愛の不時着」に見る韓流コンテンツの「雰囲気の変化」と日韓関係の今後について。および韓流ドラマの男の「モテテクニック」的な振る舞いとフェミニズム。(前編)

(トップ画像はネットフリックスより”愛の不時着”)

今日は読者によってはいきなり何の話?って感じかもしれませんけど日本でもかなりヒットしている韓流ドラマ「愛の不時着」の話をします。

ちなみにこれは前後編の記事で、この前編では結構政治的な日韓関係の話とかも含めて語るので。もしホストのモテテクニックと韓流ドラマの男の振る舞いとかいうネタの方を読みたければ後編↓をどうぞ。

「愛の不時着」は昨年(2019年末)から今年の2月ぐらいまで韓国で放映されてヒットして、その後ネットフリックスを通じて日本でも大ヒット(ネットフリックスは視聴数を公開しないので大きさはよくわかりませんが、ネットフリックスの日本でこの半年ほぼ常に1位近辺か、最低でも5位以内ぐらいには入り続けているので相当なヒットだと思います)

個人的に韓流ドラマを凄いしょっちゅう見る人間ではないんですが(そもそも日本のものでもアメリカのものでも連続ドラマをほとんど見てない)、韓国映画は好きで有名どころはだいたい見ている・・・ぐらいの感じで、過去2000年代と比較してどころか、ここ二年とかですら韓流コンテンツは凄い雰囲気変わったなあ、と思うところがあるんですよね。

たぶんこれは常時どっぷり韓流ドラマの世界に浸かっている人にはわからない「違い」かもしれず、「まあまあ好きだけどたまにしか見ない」視点だから気づく「変化」かもしれません。

そしてその「変化」は今後の日韓関係で新しい可能性に繋がっていくと私は考えているので、そういう視点から、愛の不時着だけでなくいろんな作品を読み解きつつ

・ここ数年の韓流コンテンツの大変化とは何か?とか、

・今後の日韓関係とか、

・フェミニズム的なものとの関係とか、

といった真面目な話をしつつ、あと、私は若い頃一瞬だけ日本のホストクラブで働いていたことがあるんですが、

・その店のナンバーワンホスト氏が「秘伝」として教えてくれたモテテクニック?的なものと「韓流ドラマ的な男の振る舞い方」の共通点

的な話もその流れの中で書いてみようと思います。


1●愛の不時着はどういうドラマか?

ご存知の方はいまさらですが、愛の不時着は韓国の財閥令嬢がパラグライダーの事故で北朝鮮に不時着してしまい、北朝鮮側の国境警備隊の中隊長と出会ってだんだん恋仲になっていく話です。

脱北者への丁寧な取材から、多少誇張込みながら北朝鮮の民衆の生活を克明に描いていて(北朝鮮の方言も、まあまあ再現しているらしい。日本の大河ドラマの薩摩弁ぐらい?)、前半はその「北朝鮮の前線のムラのめっちゃムラ社会的なドタバタ」が面白くて、一方で後半に舞台が韓国側に移ってからは「北育ちの人間が南の豊かさにびっくりして変なことを色々やる」的な韓流コンテンツでよくある鉄板ネタが満載で飽きさせません。

要するに普通に面白いエンタメコンテンツなんで、北朝鮮とか関係なくオススメはできます。

ネットフリックス契約してるし見てみようかな?と思った人は、まあ韓流ドラマに慣れてない人は、3話めぐらいまではちょっと我慢して「そこまで見てから続き見るか決めよう」ぐらいで見始めるといいと思います。

韓流ドラマってとにかく一話が長くて1クールの話数も多くて慣れていないと大変なんですが、ネットフリックスは飽きたら止めてまた続きから再開・・・が簡単なので、一気観!しようとしなくても細切れに見ているウチにどんどんハマっていけるでしょう。

私は経営コンサルティングのかたわら文通を通じていろんな個人の「人生の戦略」を考えるという仕事もしているんですが、そのクライアントの日本の「バブル期のお姉さん」だった人も、最初は「いやー、韓ドラねえ」って感じだったんですけど、そのうちどんどん「きゃー!恥ずかしい!でも面白い!」みたいな感じになってました(笑)

2●ここ数年の韓流コンテンツの大変化とは何か?

で、この記事全体のコアである「韓流コンテンツはここ数年で大きく変わったんじゃないか」という話をまずしたいんですが、それは、ちょっと言い方が上から目線っぽくて申し訳ないんですが、

大人になった・余裕ができた

これに尽きます。

そんなにありとあらゆる韓流コンテンツを見ている人間じゃないんですが、有名な映画はまあ見てるって感じで言うと、

「タクシー運転手」(アマプラで見れます)

とか、

「1987,ある戦いの真実」(アマゾンでネットレンタル可能)

とか、これらは両方2017年の映画なんですが、両方とも私はかなり好きな映画なんだけど、見ようによってはプロパガンダ感が凄いあるんですよね。

要するに「韓国という国のナショナリスティックな建国神話」的な感じなんですよ。

運命的に「ナショナリズム」と結びつくのは日本の場合右派のことが多く韓国の場合左派のことが多いというだけで、その国のナショナリズム的な結集性を何の留保もなく歌い上げている点が、(ちょっと人によってはこういう言い方されると怒るかもしれないけど)日本で言う「永遠のゼロ」とか「男たちのYAMATO」感があるんですよね。向いてる方向が逆なだけで。

「タクシー運転手」には、何の留保もなくとにかく学生を弾圧しまくって殺しまくる軍事独裁政権が出てくるんですが、まるで冷戦期のハリウッド映画で思う存分「敵」役を果たしてくれたロシア人とか、たまにネタにされる中国の抗日ドラマに出てくる日本人みたいな感じで。

そりゃそんだけ「とにかく悪すぎる」敵が出てきたら主人公の側のドラマも盛り上がりますよね!って感じなんですよね。

なんにせよ一つの価値観に必死になって生きている人たちの姿ってそれ自体美しいから、永遠のゼロだって、タクシー運転手だって、個人の小市民的な生活だけを生きていた人たちが「大義」的なものとぶつかり、悩みながらも自分で何かを選び取っていくドラマ・・・っていうのは、それなりの作品にはなるんですけど。

でも結局その「大義」にどこまで共感できるか、ていう「党派性」によって限界が来るじゃないですか。そういう意味で2017年の上記の映画2つって、個人的には結構好きなんですが、「いかにも韓国のローカルコンテンツ」って感じだったんですよね。

3●文在寅が実際に「政権」取ったし、日韓関係や北朝鮮問題も襲ってくるし・・・

で、2017年って、文在寅が政権取った年なんですよね。要するにその年までは、

・「俺たち光り輝く正義の民主主義の戦士」

が、

・「あの許されざる悪である保守派ども」

を、

・とにかく打倒しさえすれば、世界は良くなるんだというファンタジー

に賭けて生きることが可能だったところがあるってことなんだと思うんですよね。

で、個人的には「韓流コンテンツ」っていうのは、まあそういうプロパガンダ臭いところもあるけど、なにしろ「それ」を真似て作ったと思われる日本の映画「新聞記者」が”あの出来”だったことを考えると、左派であることを真剣に生きている点において日本の左派とはケタが違う真摯さがあることは伝わってくるので、話題になった映画があったら映画館に見に行こうって感じでいたんですけど。

その後、久しぶりに2019年に例の「パラサイト」を見たら全然違う世界になっていて、本当に驚いたんですよね。

この2017年と2019年の間に何があったのか?

2017年に文在寅が政権取った直後は凄い支持率高かったですし、2018年は北朝鮮との宥和の可能性が色々出てきて、トランプ大統領も交えていろんな「外交的大イベント」が満載だったわけですけど。

この時期、例えば板門店の国境で文在寅と金正恩が、とか、トランプ大統領と金正恩が・・とかそういう見た感じ凄い感動的なイベントをやってるときに、私は個人的に、南北分断を超える可能性を信じて色々と頑張っている人たちをクサす気持ちは全然ないし応援したいと思ってるんだけど、いちいちそれを見ている日本語できる人が、二言目には

「安倍みたいなクズと違ってちゃんと民主主義の可能性を信じている文在寅と韓国民衆がいかに素晴らしいか」

みたいなプロパガンダを唱えまくっていて、あんたらはそういうのナシに純粋に南北問題を扱えないのかね?とちょっと呆れたりしていたんですが。

でも結局その後、そう簡単に北朝鮮の問題は解決できないことがわかってきて、経済の問題もあって徐々に文在寅の支持率も落ちてきて・・・みたいな2019年になって、久しぶりに韓国映画見たら全然雰囲気が違ってたんですよね。

4●大人になって”普遍性”を獲得したパラサイト

日本の保守派で韓国嫌いの人は、「パラサイト」を見ても、たとえば「独島は我が領土」っていう愛国歌を全然関係ない語呂合わせで突然挿入するところとかで、「ほらあいつらは反日だ!」とか吹き上がってたんですけど。

ちょっとネットで検索しても著作権的にOKなものかどうかわからないのしかなかったので貼りませんけど(”ジェシカソング”とか検索すると出てきます)、ジェシカっていうキャラクターが金持ち屋敷に忍び込むときに口裏合わせの設定を覚える語呂合わせに、無理やり「独島は我が領土」っていう韓国の愛国歌のメロディが使われてるそうなんですけど。

でもなんか、見てて思ったのは、「そんな隙間も使って反日してやる!」みたいな感じというよりは、「こんなとこでそれかよwwww」的なユーモア感を感じる使い方になっているというか、そのあたりが凄い大人になったなあ・・・って思うんですよね。(言い方がちょっと上から目線ですいませんが、そういう言い方しかできない”違い”があるってこと、たぶん多くの人に伝わると思うんですよね)

「愛の不時着」でも、北朝鮮出身の隊員たちが南に馴染めない感じでいたときに、たまたまチキン屋のテレビでサッカーの日韓戦やってて、うおおおおお!って店にいる韓国人たちと盛り上がって最後みんないっしょに「大韓民国!!」って叫んじゃうっていうシーンあったんですけど、別に「そういう扱い」なら日本側も笑って許せると思うんですよ。

関西人の定番ネタとして、神戸の人とかが「そら京都とかとは仲良くした方がええかなと思ってるけど、大阪と一緒にされたら困るわ」とか言って大阪の人が「なんで大阪は別やねん!」って怒るっていうのがありますけど、そういうレベルで使うのはむしろ友好の印というか、そういうのを気兼ねなく言い合えるのが東アジア的な「仲の良さ」って感じがするじゃないですか。

他にもそういうシーンはたくさんあって、パーティのテーブルをどう配置するかみたいな何気ない会話の中で突然「李舜臣将軍が日本軍を叩きのめしたときのような鶴翼の陣型にするのだ!」って恍惚とした顔で言う人がいたりするんですよ(笑)

李舜臣は豊臣秀吉が朝鮮に攻め入ったときの朝鮮側の英雄なんですけど、たかがパーティのテーブルをどう並べるかっていう話で突然恍惚としてそんな話をする人がいたりすると明らかにギャグじゃないですか。

日本でいうと、織田信長が出陣の前に「人間五十年・・」っていう有名な歌詞の敦盛という幸若舞を舞う有名な話がありますけど、中小企業のオッサン社長とかが会社の朝礼で突然そういうことしはじめちゃうというシーンがドラマの中で出てきたとして、それって現代日本の文脈で言うと明らかに「ギャグ」ですよね。

北朝鮮の例のアナウンサーの口調を真似するシーンとかも結構出てきてて、とにかく2017年にあったプロパガンダ感が消えて、「大人になったなあ!」って凄い思ったんですよね。

ポン・ジュノ氏っていう監督の個性かもしれないけど、この人の昔の映画を見てもここまで徹底した感じにはなってなかったと思うんですよ。意図的に「プロパガンダ的な構図」をユーモアで脱却していこうとする意思を感じたというか。

結果として、「プロパガンダ的な構造」を共有しない、立場が全然違う人でも普通に見られる作品に進化したっていうか。

「自分が絶対善・敵は絶対悪」的な世界観が、文在寅が実際に政権取って色々と苦労するうちに「大人になった」ところがあって、結果として「プロパガンダ性を脱却する普遍的なユーモアのセンス」になった感じがする。

結果としてのカンヌ・パルムドール&アカデミー作品賞のダブル受賞みたいな快挙になったと思うし、これに限らぬここ二年ぐらいの韓流コンテンツの世界席巻にも繋がっているように思います。

5●日本の左翼と韓国の左翼は質が随分違う

凄く若い世代以外で、韓流コンテンツにはやくからハマってる日本人って、原理的アベ嫌いのド左翼さんみたいな人がかなりいて、そういう人はずっと触れていてもこの2017年〜2019年の韓流コンテンツの大きな変化・・・に気づいていないか、薄々気づいていても無視していて、「2017年の作品的な延長だと思って見ている」ところがあるんじゃないか・・・というのは、いろんな人のコメントを見ていても思うところです。

パラサイトのユーモア的に対立を捨象している部分がそういう人のセンスには全然ひっかってこなくて、「格差問題を鋭く糾弾する社会派の重厚な映画だ!やはりこういう映画を作れる韓国の市民社会の成熟さを見よ!翻って我が国の安倍政権は・・・」みたいな感じになっている日本の左翼の人たちは、韓国の人たちに置いていかれてるんじゃないかという感じがする。

そのへんは、左翼さんは左翼さんでも、日本の左翼さんより韓国の左翼さんは一応ちゃんと真剣だというか、「反安倍ごっこ」じゃなくて「ちゃんと政権を担おう」という気概の差みたいなところはあるかもしれません。

なによりさっきも書いたけど、「1987,ある戦いの真実」と日本の「新聞記者」はほとんどパクリ映画的なストーリーなのに出来が天と地ほど違うというか(笑)

なんで「1987、ある戦いの真実」が凄いかっていうと、北朝鮮出身で学生運動を弾圧しまくる「敵のラスボス」的なパク所長ってのが出てくるんですが、この人が子供の頃北朝鮮が共産化したときに家族を目の前で「革命家たち」に殺された体験を語るシーンが出てくるんですよね。

単純に「革命を目指す正義の心の学生運動マンセー」の映画になっていなくて、その学生の無邪気なエネルギーがときに物凄く残酷で血なまぐさい結果を生んだという歴史の真実に「両方」ちゃんと向き合って作ってある感じが凄くあった。

日本語世界から見える韓国人の中で「声の大きい」ネットの声って日本の嫌韓ネット右翼さんの裏返しでしかない人も多いんで、韓国語できない私には韓国社会のいったいどこにそんな「良識」を持っている人が存在しているのかわからないんですが、でもそういうシーンがちゃんと入っているところに、

「単なる観念的な左翼主義じゃなくて、分断国家を半世紀生きてきたリアリティのある左翼性」

みたいなのがあって、そのへんが日本の「新聞記者」っていう映画の薄っぺらい陰謀論映画とは全然違うところだと思います。


6●日韓関係のこの後

出口の見えない日韓関係の悪化状況ですけど、とりあえずちゃんと一回日本側が言いたいことも全部言っちゃって、「そうか、そんなに嫌がってたのか」って韓国側が知ったというのは悪いことではないと思っています。

2017−2019年の間の韓流コンテンツの大変化は、一義的には韓国での文在寅政権の成功と挫折(まあ”挫折”って言うと言い過ぎかもしれないが、実際に政権取ったら色々難しいこともあるよねという程度の話)が大きな原因だと思いますが、それとある程度表裏一体の問題として日本との対立激化という点も影響はあったと思います。

要するに「国をまとめるために叩く便利なサンドバッグ」としての扱いだった日本が殴り返して来たので、「あ、人間だったんだ」と思ったところがあるんじゃないかというか。

結果として、最近日本語できる韓国人のツイッターアカウントと、その周囲で漂っているハングルツイートを自動翻訳で読んだりしている感じでは、日本との関係を冷静に見直せる人が増えているような気がします。(相変わらず日本の嫌韓ネット右翼さんの鏡の中の像みたいな人も多そうですが)

例の「安倍氏が少女像の前で土下座してる銅像」も、韓国人の間ではアレで「土下座させてやったぜ!痛快だな!」的に溜飲を下げているみたいな人はむしろ少なくて、「そりゃ5000万人もいて言論の自由があるんだからああいうことする人もいますよね」的な感じで困惑している人の方が多そうな感じがする。

今までの日韓関係というのは各国の右と左の代理戦争的な感じになっていたわけですよね。

日本の左翼はアベを叩きたいがために韓国に無条件に肩入れして日本叩きに使う。それが日本の保守派を対韓国で過激化させる。

韓国内でも、いわゆる「親日派」を攻撃することは文在寅派にとっては「国内問題」なのだ・・・という話はよく聞くけれども、そんなことは隣国から見ると知ったこっちゃないわけで、結果として余計に問題がコジレていくことになる。

どうすれば日韓関係が改善するのか?というときに、こういう「伝統的な党派性同士の争い」を超えたところの「大人な関係」が徐々に立ち上がって行く流れの延長で解決するしかないなと私は考えています。

要するに、韓国側に、「アベが土下座する銅像」みたいなものに対するオトナな忌避感が育ってきている流れが大事な一歩だというか。(これだけを取っても数年前までとは結構大きな変化だと思いますし)

要するにお互いの社会の「意地」があったときに、「相手を全否定」しないで、「立つ瀬がない」状態にまで追い込まないところで共有できるものを探せるようになってきているはず。

とはいえ、そこで最後まで立ちはだかるのが「歴史問題」に関する扱い方なんですが。

7●歴史問題について21世紀的に捉え直すことが必要

歴史問題についてどうしたら日韓が共有点を見つけられるのか・・・という話で言うと、これを言うと結構左派からアレルギー的な反応があることが多いんですが、

日本側の大義としての「vs欧米戦争」的な必然性があったこと

をちゃんとまずは少なくとも日本人自身が認めること、それと同時に、ある程度相互理解可能な形で「近隣アジア諸国」の人たちにも理解してもらおうと努力していくこと・・・が絶対的に必要なことなんですよ。

そこをゆるがせにしていると、結局「歪んだ」像をお互いに押し付け合うことになるので、結局日本側の保守派がどうしても譲れない一線を守りきれなくなって暴発するのを止められなくなる。

これは別に、東南アジアとか、台湾や韓国にわざわざ行って、「日本のおかげで欧米から独立できましたね、感謝してください」とか言ってまわるという話では全然ないんですよ。そんなことをしたら当然嫌がられますよね。

「大東亜共栄圏」的なスローガンに実質的な理想があったとか、そういう話をしたいわけでもない。たまに日本語できる韓国人で日本の保守派のアイドルになってる人がやってるような、「何もできない韓国人を賢い日本人が教え導いたのだ」的な話をしたいわけでもない。

ただ、「19世紀末から20世紀なかばからの日本の歴史」を考えたときに、今の人格者ぶった欧米社会とは全然違う抑圧力のある帝国主義に対して、特大ホームラン級の「打ち返し」が必要だったわけですけど、

特大ホームランを打ちながら同時にボールをバットで打った瞬間にそこで完全にピタッと止める

みたいなことをしろって言われても困るわけですよね。

少なくとも対内的には、「欧米文明の横暴を止めるために必死に色々やった」部分をちゃんと認めてやれるような仕切り方でないと収まるわけがない。

それと、「結果として近隣諸国に被害を与えてしまったことの反省」は両立可能だし、”両立しないで片方だけ”を唱導するような仕切り方はそこに含まれているアンフェアネスが大きすぎてちゃんと民衆レベルで共有できないわけです。

つまり、

「欧米列強の侵略に対して必死で対抗しようとしたのは良かったが、その”無理”の結果いろいろな惨禍を国内外に巻き起こすことになってしまった。私たちは、立ち上がった勇気を誇るべきだが、その力を自分たちでコントロールしきれなかったことを反省しなくてはならない」

↑こういう「光と影がちゃんとバランスする」言論が安定的に通用する状況に持っていけば、「光」の部分も「影」の部分もどんどんそこに肉付けしていっても崩壊しなくなるので、「影」の部分における国内外含めた色んな問題の追悼もスムーズに行えるようになっていくでしょう。

8●”ドイツの場合”が持っている欧米文明中心主義的な差別構造を超える

「ドイツの場合」っていうのがいつも金科玉条のように歴史問題では持ち出されるわけですが、あれほど欧米文明中心主義的な差別構造がある「仕切り方」もないんですよ。

ドイツの場合は、「自分たちの立脚点」が欧米の「内側」にあるので、イレギュラーだった「ナチス時代」だけをトカゲの尻尾切り的に排除して、「欧米文明の中心としての歴史を持つ自分たち」のゾーンに逃げ込むことができる。

でも日本人が生きてきた歴史は、「欧米文明の外側」にあるので、「ドイツのやり方」では解決できない。

この問題については、「ドイツのやり方」というのが金科玉条のように扱われているために、結局東アジアの実情に全然立脚していない人工的な基準でお互いを裁きあってしまうために余計に解決不能になってしまっているんですね。

ドイツがやっていることを単純化して言うと、以下のような問題があるんですね。

「欧米文明から周縁化された存在が、果てしなく糾弾され続け、その本来的な安定性をも崩壊させられてしまう」問題がある時に、ドイツ人は自分たちが持つ特権的な「欧米文明の輝かしい一員としてのアイデンティティ」を強調することで安全圏に避難し、その問題を「ドイツよりももっと辺境の、アジアとかアフリカとかそこらへんのわけわからん有色人種が住んでるわけわからん国々」に全部押し付けて終わりにしている

日本人の保守派が「世界の意識高い系」から断罪されまくりつつも最後までこだわってきた問題がここにはあるわけですが、この点は、人類の歴史の中心が、欧米からアジアにシフトしてくる中でどうしても否定できなくなってくるんですよね。

で、過去には、そんなのは日本だけの事情だし知ったこっちゃないよ、20世紀の歴史の必然とかそういう複雑な事情はおいておいて、「大日本帝国」ってのが全部悪いことにしておいた方が収まりがいいじゃん・・・ていう決着が安易に取られてきたわけですけど。

今、中国は欧米社会から名指しで敵扱いされつつあり、韓国も北朝鮮関係で自分たちのコアの願いを決して国際社会が理解してくれない中でやせ我慢的に必死に自分たちの正当性をなんとか主張しようともがいている状況になってきている。

文在寅氏が最近結構ナショナリスティックな物言いをするようになったことを「純粋志向の民主派」の人たちは嫌がってるのをよく見ますけど、そもそも社会をちゃんと運営するというときにはそういう「コア」的な価値をある程度は認めてやることが必要だったのだ・・・ということを、中国人も韓国人も徐々に思い知るようになってきている情勢だと言えると思います。

要するに、今までは「日本がなぜあんな右傾化的なことをするのかわからない」だったのが、「欧米文明に対するローカル文明のオリジナリティを保つために崩壊させてはいけない一線ってのがあるんだな」ということをお互い身を持って知ることになってきたというか。

もうしばらく、世界中の意識高い系から断罪されても日本の保守派が意地を張り続ける必要はあると思いますが、そういう「起点」がちゃんとあることで、世界中に吹き荒れる

「自分とは逆側の党派のやつにヒトラーだ!とか叫んでいれば相手側の事情とか理解しなくてもいい簡単なお仕事です」

みたいなムーブメントを、ちゃんと「相互の事情を理解できる」ものに転換していける時代はやってくると思います。

そういう点において、少なくとも現時点においては、いかに「今の欧米社会での良識」的に問題があろうとも、日本の保守派がちゃんと意地を張り続けることは、ポリコレ用語で言えば「権力勾配があるときにトーンポリシングをしてはいけない」的な問題ですので、その辺は妥協せずに押し返していきたいと思っているんですが。

そこで「欧米文明中心主義から脱却」することは、世界の敵になりつつある中国でも、北朝鮮問題などで自分たちの思いがどうしても国際社会に通用しないことを知りつつある韓国でも、「徐々に自分ごととして理解できる」状況になってくるなので。

その先に新しい日韓関係の改善の道は見えてくるはずだと私は考えています。

ちょっと長くなってきたので、

ナンバー1ホストの「秘伝」的なモテテクニックと韓流コンテンツの男の振る舞い

的な話は「後半」に分離することにします。

後半はこちらへどうぞ↓。

さて、「前編」の無料部分はここまでです。以下の有料部分では、以前「日中韓」の新しい関係性を見出していくには、

・「欧米文明のやり方」から脱却して新しい仕切り方を考える必要がある

という視点から書いた、以前の本の「まぼろしのあとがき」を転載します。

「みんなで豊かになる社会はどうすれば実現するのか?」を発売前にnoteで先行公開していたときの「まぼろしのあとがき」なんですが、このテーマについて色々と語りづらい部分も含めて1万5千字ぐらい語っています。

結構好評だったもののnote版を買った人以外読めなくなってしまっているので、ここで再利用しようかと思います。

無料で読める記事としてはいずれどこかでもっとまとまった記事を書こうと思いますが、有料部分ではザックリと

・「ドイツのやり方」というものに、欧米文明中心主義的な無理があること

・そういう「欧米型の断罪の仕方」が、現代社会におけるアメリカの混乱や米中冷戦などの解決不能な混乱に繋がってしまっていること

・「ドイツのやり方」を、東アジアの事情も含めてアップデートしていくことが、日韓関係・日中関係・および米中冷戦時代に世界戦争を避けて新しい国際秩序を形成していく方法、日本が自分たちのコアの価値を世界的にちゃんと提示できるようになっていくこと・・・といったすべての課題に繋がっていくのだ

・・・という話をしています。その他、日本語ができる韓国人や中国人、そして筋金入りの日本のナショナリストさんへのメッセージ部分などもあります。

2022年7月から、記事単位の有料部分の「バラ売り」はできなくなりましたが、一方で入会していただくと、既に百個近くある過去記事の有料部分をすべて読めるようになりました。結構人気がある「幻の原稿」一冊分もマガジン購読者は読めるようになりました。これを機会に購読を考えていただければと思います。

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また、この連載の趣旨に興味を持たれた方は、コロナ以前に書いた本ではありますが、単なる極論同士の罵り合いに陥らず、「みんなで豊かになる」という大目標に向かって適切な社会運営・経済運営を行っていくにはどういうことを考える必要があるのか?という視点から書いた、「みんなで豊かになる社会はどうすれば実現するのか?」をお読みいただければと思います(Kindleアンリミテッド登録者は無料で読めます)。「経営コンサルタント」的な視点と、「思想家」的な大きな捉え返しを往復することで、無内容な「日本ダメ」VS「日本スゴイ」論的な罵り合いを超えるあたらしい視点を提示する本となっています。

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