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SNSで紛糾する川口市のクルド人問題を、日本における「外国人との共生」のモデルケースにするために

私が先月末に書いた川口市のクルド人問題に関する記事が、要約版のxポストが290万ビューを超えるほどバズっていたので、川口市議とその支援者の皆さんの集まりみたいなのにお呼ばれしてお話を聞いてきたんですが…(トップ写真はその時のもの)

実際にお話した川口市民の皆さんの声として、

『やっとちゃんと話を聞いてもらえる状況をあの記事が作ってくれた。今までは実際に自分が受けた迷惑行為を知らせるだけで差別主義者扱いされていた』

…といった話があったのが非常に印象的でした。

こういう「自分たちの話を聞いてもらえていない」という感覚を放置しておくのはそれ自体大変まずいことだろう、という感じがしますよね。

なぜなら、その「気持ち」とキチンとリベラル側が向き合っていかないと、その「気持ち」は排外主義的言説によってしか吸い上げられない状況にどんどんなっていってしまうからです。

実際、SNSで話題になっている川口市のクルド人問題について

どうせ差別主義者どもが偏見で騒いでいるだけなんだろう。困ったことだねえ。

…と考えている人は結構いると思うんですね。かくいう自分も少し前まではそう思っていたので。

ただ、実際に川口市民のお話を聞いた上で見えてきた基本的な状況認識としては、2010年代から住み着き始めたオールドカマーのクルド人たちと、2023年のトルコの地震後急に1500人ほど移住してきたニューカマーのクルド人とではかなり「問題の深刻さ」が違っていて、そこに新しい対処が必要な課題が生まれているということでした。(厳密に言うとこの”オールドカマーとニューカマー”と明確に分離できるわけではなく緩やかに一つの集団を形成していますが、”馴染んでいる”度合いがあまりに違いすぎてコントロール不能になっている側面があるらしい)

つまり、「何らかの対処」が必要な状況である事は明らかなんですね。

そして「排外主義を許さない」ためにも、リベラル側の感性を持った人が明確に一歩踏み出した責任を持ってこの問題に関わっていく必要がある。

そして、「懸念を感じる川口市民の声」にまっすぐ向き合って、リベラル側にもOKな形での対策を一歩ずつ実現していくことは、「日本における外国人との共生問題」を考える上で大事なモデルケースになっていくだろうと考えています。

欧州もアメリカも、あまり工夫せずに今まで移民を入れまくった結果としてギョッとするような排外主義的言説に満ちてきてしまっている現状において、ただ単に「過去の欧米のようなモードで外国人を入れられないのは日本人が差別主義者だからだ」と非難していればいい問題ではない事は明らかになってきているはずですよね。

党派的な「右と左」の論争とは一切関係ないところで、リアルな「共生問題」についての具体的な手立てを次々と打っていく必要があることは明らかです。

ではどうしていけばいいのか?という問題について、川口市民のお話を元に考える記事を書きます。

(いつものように体裁として有料記事になっていますが、「有料部分」は月三回の会員向けコンテンツ的な位置づけでほぼ別記事になっており、無料部分だけで成立するように書いてあるので、とりあえず無料部分だけでも読んでいってくれたらと思います。)

1●「差別主義者が騒いでいるだけ」ではなく、実際に何らかの問題は存在する事を認めることが第一歩

今回の集まりに参加されていたのは川口市議の奥富精一氏と荻野梓氏、そして主にクルド人問題の解決を要望する市民の皆さんで、合計20人弱の集まりでした。

まず、川口市議の奥富氏と話していて思ったのは、彼はクルド人在住者のことを個人名レベルでよく知っていて、

「XX(クルド人の名前)はYY中学でウチのセガレの1個上だから、色々と話を聞いてみたんだけど…」
「AA地域のあのアパートのクルド人の集団はBB(クルド人の名前)の解体業で働いていて、そこのヤード(解体作業場)の騒音問題についてBBに発注しているCさん(日本人の名前)を通じて話をつけてもらおうとしたんだけど…」

…みたいな話が”際限なく”出てくるんですね。

ちゃんと「同じ地域を共有する人間」として対処していこうとする意志が感じられてとても良かったです。なんというかこういうのが「地域のお困りごとにちゃんと対処する地方議員」ってやつなんだな、というお手本を見ているような感じでした。

ただ、「色々困ったことだよね」という話はするものの、2010年代前半から長く住んでいるようなクルド人集団との間では、緊張感はありつつも相互理解を深めていこうとする流れにはあったようです。

ただ、前回の記事でも書いたように2023年2月のトルコ・シリア大地震後、1500人とかいうレベルの人々が緊急避難的に移住してきて(なぜ急に人数が増えたのかは諸説あって、地震の影響ではなくコロナ禍で止まっていた入国を2022年10月に急に再開させた影響ではないかと、前回記事で登場いただいた一橋大学の橋本先生はおっしゃっていました)、とにかく今までの「なんとなく一緒に生きているうちに徐々に共生できるようになっていくプロセス」がキャパオーバーになってしまっているらしい。

その「急に人数が増えた部分のクルド人」は日本語は当然わからないしクルド人経営の解体業で働いていて地域社会との接点が皆無に近く地域社会と馴染む気もない人が多い。

前回の記事で紹介したアベマの番組に出演されていたクルド人マヒルジャン氏も、「長くいるクルド人と違って地震後に来た多くの人はまだ日本社会のルールがわかっていない面も正直あると思う」というような事を言っていました。

長年クルド人支援に関わってこられた団体(いわゆる”左翼”寄りの人ということですね)の声としても、その地震後のニューカマーの人たちには正直手を焼いていて帰って欲しいと言っている人は結構いると聞きました。

ただし、多くの「普通の川口市民」からすると、そのオールドカマーだろうとニューカマーだろうと、どっちにしろ「クルド人が起こした問題」は「同じクルド人集団」のものという理解で不満が溜まるし、逆にクルド人集団側から見ても彼らはどうしても「身内をかばって対抗していこうとする気持ち」が強い性質があるので余計に相互憎悪が募っていってしまうわけですね。

実際にお会いした市民の方の体験談を聞いていると、(「あまり具体的に言うと身バレして復讐が怖い」という話なので具体的にはここで書きませんが)、「同じアパート」レベルで近所に住んでいる上での迷惑行為の印象は、たまに日本人でもいる「迷惑ゴミ屋敷の人」みたいなレベルの事がかなり高確率で発生しているような感じでした。

川口市内にクルド人は「中華街」などのイメージのように一箇所に集住しているというよりは「散在」していて、ただ「ピンポイントで一つのアパート」などに集まる性質を持っているので、その「ピンポイント」の近くに行かない場合、フラッと東京から様子を見に来て一日見て回った程度では気づかないんですね。僕も一日見て回った印象としてはそんな感じを受けてしまっていたんですね。(まあこれは多くの現代の都市圏に移民した場合の普通の話で、中華街みたいな形になる方が異例だったと言えるかもしれませんが)

ただ、その「ピンポイントで集住している場所」の近所では大きな問題になっているし、彼らは例えば運転する自動車が日本人のクルマに追突してしまった後逃げてしまって、問題化すると徒党を組んで集まってきて威嚇するような行動を取ったりとか、子供が通る通学路をありえないスピードで暴走運転する例が目立つとか、そういう形で「対象地域の近くに住んでいれば気づく」課題が多くあるということでした。

また、実数として「もっと外国人が多い地域」というのは日本中に沢山あって、私も自分のクライアントが多い中京地区などを歩いた経験として「もっと外国人らしき人を見かける」地域が沢山あるのになぜ川口は問題になっているのか?というのは疑問でした。

それについては、多くの工場地帯などにおける外国人は基本的に工場などの会社で働いていて日本社会と接点を持っているが、川口市の(特に最近来た)クルド人はクルド人経営の解体業の内側で働いていて、日本社会と接点を一切持たないまま集団が孤立しがちである問題がトラブルの原因になっているようです。

何より、前回記事で書いたようにクルド人特有の「制度の狭間」問題(”特有”といってもクルド人以外でも他に難民審査制度の狭間で同じ状況にあるグループもいますが)があって、正規の在留資格ではないから就労許可がない人もかなりいるし、健康保険への加入も不可になってしまっている人も多く、住民票登録もできないから人数もわからないし住民税も払ってない状態で放置されてしまっている事が大きい。

というわけで、「何らかの対処」が必要なことは明らかなのだという事は、SNSで溢れる「排外主義」的な言説とは距離を取りたい人もある程度「事実」として認めていくことが大事だと思います。

もちろんその「対処」のやり方は、保守派側とリベラル側のそれぞれでかなり違った考えを持つ事になるでしょうが、「何らか対処しないといけないのは事実らしい」という部分は共有した上で話していかないと、この問題はどんどん排外主義に引っ張られていくことになるでしょう。

2●いくつかの改善するべき「リベラル側にありがちな発想」について

ちょっとこの問題について、(保守派側からするとちょっと迂遠なことを言ってるように聞こえるかもしれませんが)、リベラル寄り、あるいは中道派の人間が今後気をつけるべき課題について考察したいんですね。

前回記事で私も書いたように、犯罪統計という意味では日本という国は過去20年程度の期間を通じてものすごく安全になっているので(これはアメリカとかでも同じの世界的傾向みたいです)、実際に「20年前の川口市」よりも「今の川口市」の方がかなり安全というのは揺るぎない事実だと思います。

ただ一方で、その「統計」を持って、「今の川口市民の声」を圧殺するのは注意が必要なんですね。これは、私自身が、この問題について詳しく知る前には同じ態度だったので反省も込めて言っているのですが…

例えば、これは非難している意味ではなく「保守派以外のネットの平均的な感覚」の良い例だと思うのであげるのですが、以下のxポストの"Spica"さんの発言のような発想で、川口市の犯罪統計の20年単位のグラフを持って「今の懸念は妄想だ」と断じる事には注意が必要なんですよ。

前回記事で詳しく分析したので簡単に述べますが、ずっと減り続けてきたこの刑法犯認知件数の推移は令和3年以後全国で増加傾向にありますし、「全国の増加率より川口市の増加率の方がまあまあ高い」事も考慮されるべき事と思います(これが外国人ファクターであるという証明はできませんが)。

ただもっと大きな問題はその細かい統計数字の部分ではなくて、「平均値的な統計数字」と「生の実例」とのギャップにはもう少しセンシティブに向かうべき点があるってことなんですね。

というのは、川口市民は60万人もいてクルド人はその1%もいないので、「市全体の犯罪統計」を見てクルド人の問題を云々するのはそもそもかなり無理があるんですよ。(むしろその数字で影響が出てくるレベルになっていたらクルド人はケタ違いの無法者集団という事になる)

一方で「実例」ベースで見ると、「クルド人が集住している地域」に住む川口市民からしたら「その一件」が重要になってくるんで、「60万人規模の統計」とか関係ないんですよね。

これは自動車会社が年間数百万台売っていようと、「自分のクルマ」において不具合があって事故になったりしたら「その人にとっては大問題(そして社会にとっても容認はできない問題になる)」である事と同じです。

で、例えば以下のxポストはさっきたまたま見かけたものですが、

こんな感じで↑「なんか違和感」レベルの話というのは結構大事なセンサーになっていて、そこから伝わってくる情報はちゃんと向き合っておく必要があるんですよね。

実際、「ある移民グループと日本社会との共生がうまく行ってない」みたいな話は、「市全体規模の犯罪統計」に出るレベルになってからだとはっきり言って手遅れなので、「その前」の段階で問題を一個ずつ丁寧に対処していくことが必要という事なのだと思います。

で、例えば「通学路をすごいスピードで運転しているトラックがいる」とか言われたらちゃんと取り締まりをする(だけじゃなく取り締まりをしているという事を市民に知らせる)」とか、「住宅地にあるヤード(解体業の物置き場)で大宴会をやっていて騒音問題が」とか言われたらクルド人たちにただ「やめろ」って言うだけじゃなく「日本人の場合騒ぎたい時はどこでやるのかな?」みたいな基準で代替案を要請していくとかね。

「リベラル的にOKな原則」を通しつつも、「一件一件のトラブルに毎回しっかり対応していく」という基本

…がちゃんと行われていく「信頼感」を維持していく事が、過剰に排外主義的なムードに席巻されてしまわないために大変重要なことだと思います。

そしてもう一つ重要なのは、リベラル側には「守るべき原則」というものがあって、保守派側の一部の過激派が求めるような、例えば「中東系の顔つきと見れば端から警察が職務質問させるべき」みたいな話は当然容認できないわけですよね。

国境管理が今後どういう方針になっていくべきかもリベラル寄りから保守派寄りまでいろんな決着がありえるはずですが、この問題を重視する川口市民からすれば、保守派側の強硬策の方が「頼りがい」があるように見える状況にどうしてもなりがちになります。

だからこそ、「リベラル側から川口市民へのメッセージの出し方」は真剣に考える必要がある。

「全員即刻叩き出せ!」みたいなメッセージに比べれば、リベラル側の価値観に照らしてOKで実際に実行可能な案というのはどうしても時間がかかるものばかりですから、それを一歩ずつ丁寧にやっていきつつ、

自分たちはあなたがたの懸念を軽視しているわけではないし、リベラル的にOKな対処によっても、川口市民の懸念はちゃんとケアできるのだ、という「実感」を持って貰うメッセージの出し方

…については真剣に考えていくべきだと言えるでしょう。

それを考える上でちょっと参考にしたい話があるんですが、私は経営コンサル業のかたわら、「文通」をしながらいろんな個人の人生を考えるという仕事もしていて(ご興味があればこちらから)、その顧客には老若男女、いろんな職業の人がいて、その中にある有名なアメリカの多国籍企業で働く女性がいるんですね。

その人が「中国人と一緒に働く時に気をつけるべきこと」は、「一つの決定の背後にある背景情報までキチンと伝えること」だという話をしていて、すごいナルホドと思ったんですね。

それをやらないと中国人は「それわからないとこちらも動きようがないじゃないか!さては何か隠してるんだろう!」と果てしなく攻撃してくるが、「全体的な事情」まで共有するとすぐ納得してくれるのだ、という話でした。

「自分は今どういう方針でどういう順番で行動しようとしていて、この部分は今はこういう理由があってできていないが会社としてはそちらに進む方針ではいて、それが決定されるのは今度のこの会議の場で…」

…という、相手の仕事の周りにある「色々な背景情報」まで全部説明した上で、「一個の仕事」をお願いするようにすると中国人は急激に納得するらしい。

中国人に比べると日本人は「自分の責任範囲外の事までちゃんと話してくれないと納得しないぞ!」みたいな事を言う人自体は少ないですが、でも「そういう気持ち」自体は皆持ってるわけですよね。

別の言い方をすると「蚊帳の外」感を感じさせないことが大事ってことですね。

だから、「リベラル的な原則を通した上での対処」を目指しているとしても、それをキチンと「クルド人問題への対処を求める市民」へ明確なメッセージとして発していくことは必要なことだと思います。

保守派側がいうような「即刻叩き出せ」はできないけど、「あなたの懸念に対処するための行動」はキチンとやっていってますよ、というメッセージをしつこいくらい常に発し続けることが、「排外主義」に席巻されないために大事なことだということですね。

3●「国境管理を厳格化せよ!」という意見について

より具体的な話としては、実際に「今のクルド人問題」は、直近で急に人数が増えすぎて、受け入れ側が積み重ねてきた共生能力のキャパシティを一時的に超えてしまった事にありそうなので、まずは「とりあえず入ってくる人数をスローダウンさせてくれ」というのは、現実的な対処として何らか行われる事が望ましいと思います。

長年クルド人支援を行ってきた活動家の中でもそう言っている人がいるというお話でしたし、アベマの番組に出ていたクルド人のマヒルジャンさんも「新しく来た人は馴染めてなくて問題を起こす人もいる」というように言っていたので、この問題に関するリベラル寄りの立場からしても、これは容認できる話なのではないかと。(説明のしかたによってはクルド人コミュニティ側も納得できる話ではないかと思います)

ただ、実際どうなのか、という話でいうと、前回記事で紹介した一橋大学の橋本先生にお聞きしたところでは、

現時点でも日本は国境管理において世界一といっても過言ではないほど厳格な管理に成功している国で、これ以上「絞る」というのは現実的ではないのではないか

…という話でした。

例えばクルド人にしても、トルコ国籍者はビザ免除で入国できるとはいえ、既に「上陸審査」は極めて厳しく審査されていて、実際に入国拒否されている例が結構あるそうです。

さらに”締める”となると「トルコ国籍者の事前ビザ申請義務付け」ぐらいしかないわけですが、勿論そうするべきだという意見を主張していく事は可能ではあるにしろ、そもそも既に相当厳しく入国を絞っている現状からすると”乾いた雑巾を絞る”効果しかない上に、トルコ国籍者全体に対する”とばっちり”の影響が大きくて、日本=トルコ関係の外交問題になったりその他経済界の反発も大きいだろうということでした。

その上、今年6月までに施行される改正入管法において、少なくとも難民申請が既に二回却下され違法滞在状態になったクルド人に関しては、強制送還の手続きに載せられることに『既になっている』状態です。

つまりまとめると、ここの部分の制度問題はものすごく複雑で、しかもリベラル側、保守派側の綱引きの結果として細部の着地の仕方は変わってきますが、

どちらにしろ「今後も対処不能なレベルで際限なくクルド人が増えていく」というような状況では既にない(もともと入国は世界一レベルで厳しかったし、今後は送還側も厳しくなっていくので)

…ということは、懸念する川口市民の方や保守派側の人は安心して良いポイントかと思います。

上記のような「だいたいの状況」の上で、さらに細部について実態として今後が「どの程度の厳しさ」になるのかは、リベラル派と保守派が今後も綱引きをし続ける結果として決まっていく事になるでしょう。

「入国」側は既に世界一レベルで厳しいので、保守派側はなんらか「送還」方向の「出口」面での主張をしていく事になるのだと思います。

単に「違法状態の在住者は送還」と決まっていたとしても予算面などでどの程度執行されるかは状況次第ですし、リベラル側が懸念する難民審査が適切に行われているかどうかという問題とか、日本生まれ育ちの児童の問題など、細かい条件で「綱引き」は今後も続いていくことになります。

そして保守派側の国境管理に関する「強硬策」の主張に対して、リベラル側は単に「レイシストどもめ!」と切って捨てるだけではなく、「ちゃんと具体的な共生策を一件一件積み重ねていくこと」によって、排外主義的なムーブメントが燃え上がる「感情的源泉」の方に対処していく事が大事でしょう。

逆にもしその「一件一件の具体的な不満に適切に対処し続ける」ことを怠って、「アメリカ型のリベラルの公式見解」で断罪しまくる事しかしなければ、実際に「今そこにあるトラブル」は放置され続け、相互憎悪は募っていく事になります。

そうすれば、10年後にはアメリカの都市でよくあるような

「何丁目から何丁目までは行っちゃだめだよ(心の声=クルド人が住んでるからね)」と自分の子供には口酸っぱく言いながらSNSでは「クルド人差別はんたーい!レイシストを許すな!」と叫ぶような欺瞞

…が溢れかえる社会になり、

ほーらやっぱり、他民族との共生なんて無理だったんだよバーカ。完全に国境を閉じて純血の日本人のみの国家とすべきなのは欧米の現状を見れば明らかに決まってるだろ?

…というご意見の方々の高笑いに膝を屈することになるでしょう。

欧州で極右政党が伸張してない国などほとんどなく、アメリカではトランプムーブメントが止められない大問題になっている時代には、「そのレベルで受けて立つリベラル」こそが必要なのだ、ということですね。

4●「差別しない」形での「法治」をいかに実現できるか?に責任持って踏み込むべき

「受けてたつリベラル」の大原則を確認した上で、ここからは少しだけ具体策に入っていきたいのですが、物凄く言葉が悪いですが共生策には「アメとムチ」みたいな両面が必要なところがありますよね。

そして、むしろ「ムチ」側の部分こそリベラル側が自分たちの原則を通していかないと「どう考えても差別」になったり、逆に腰が引けて適切な取り締まりができなくなったりしてしまう問題があります。

その点、橋本先生は「日本人も同じ秤で測られる」という大原則を絶対条件としてであるならば、警察力の行使を粛々と行う事は大事だし、あるいはゴミの不法投棄とか騒音問題については「少額の過料(罰金)つきの条例」を制定する事も有効だろう…というご意見で、そこはすごいナルホドと思いました。

この「差別にならないようにしながら」という部分が大変重要で、実際、日本の警察の一部は「レイシャル・プロファイリング」といって、肌の色が白くない外国人だけを狙い撃ちにした「身元証明書の確認」を行っているという実例が数多く報告されているので、それはど真ん中のレイシズム、特定の外国人だけを狙った人種差別、との極めて妥当な批判を免れないでしょう。

もし暴走運転とか若年者の無免許運転とか過積載トラックとか、または若年層の就労問題とか言った問題があるなら、SNS上で騒ぎ立てるのではなく、単に地元の警察に証拠と共に淡々と通報するべきで、そしてそれを警察側も「キチンと処理しています」という事が周知されていく事が重要だという事です。

また、「ゴミの不法投棄」や「騒音問題」などで、「少額の過料を課す条例を制定する」ということも、「日本人住民も同じ基準で計られる」事を絶対条件として行われるのであれば、クルド人を狙い撃ちにして過剰な規制をかけるような事にはならずに済むため、合理性と納得性を兼ね備えた案になるはずだそうです。

SNSでの保守派側の要求は、この「差別にならないようにしながら」という大原則をすっ飛ばしたような要求(に見えるもの)が多くて損をしているところがあり、むしろ「差別にならない法の運用」をいかに「クルド人コミュニティ」にも平等に作用するように持っていけるのか?という発想で両側から知恵を集めていくことが重要だと言えるでしょう。

また、この問題の延長では、「クルド人解体業者」が違法に若年者を働かせているとか、労働基準法的に問題がある働かせ方をしているとか、必要な環境対策をしていないと言われている問題も、(キチンと真偽を精査した上で)同じような「正式な法規制の輪」の中に取り込んでいくことが重要でしょう。

そこは日本人経営の解体業者との競争条件の平等性という問題からも、放置しておけない問題としてあるはずです。

むしろその意味でも、非正規滞在状態をなあなあに長期化させるよりは、一定の条件の下で非正規滞在者を合法化していって、日本の法制度の枠組み内に取り込む、という手法は現実的で有効でもあります。

5●「文化的共生策」にちゃんと予算をつける流れは進行中

そうやって「法的なルール」を公正かつ平等かつ現実的かつ厳密に適用していくと同時に、いかに「日本語力を身に着け、日本社会に馴染んでもらうか」というのは別立てで真剣に取り組んでいく必要がありますよね。

前回記事で書きましたが、今までの日本社会は自民党の保守派主導の下で「外国人の定住者など存在しない」かのような『建前』を維持するために、実際に色々な形で在住している外国人子弟に対する統合策を”見てみぬフリ”したまま無策状態で放置して来てしまったところがあります。

結果として、そこを手弁当のNPOや地域の小中学校が担い続けてきたところがあり、それの限界が明らかになり、日本語教育にもちゃんと正式な予算を付ける流れになっています。

例えば、公立小中学校やNPOやボランティアが頑張って手弁当で対応するだけでは手が回らなくなり、一緒にいる日本人子弟の教育にも差し支える状態になってきた結果、2019年に施行された「日本語教育推進法」によってちゃんと「プロの日本語教員」に予算をつけてサポートする仕組みができたんですね。

こういう話について、保守派の人の一部が「日本人の血税が外国人のために使われている!」というような意見を持っているのは理解できますが、ただ実態としては世界一の少子高齢化の日本においてこういう予算を付けるのは純粋に経済的に見ても「コストよりメリットが大きい」投資になると言えるでしょう。

若い労働者が納税したり健康保険の会員になってくれる事の意味は大きいです。なにより将来のゲットー化による治安悪化というような要員への対策の意味も大きい。

また、橋本先生が推奨しているのは、例えば外国人住民が最も多い自治体である東京都新宿区で行われている「共生まちづくり会議」みたいな会合も重要だろうということでした。

上記の新宿区の会議の議事録を見ると、構成員は商店街の代表や自治会の委員さんと、あと学識経験者以外は多種多様な外国人団体の顔役が一同に会して「良い意味で井戸端会議」的な場を共有していている様子が伝わってきてなかなか良かったです。

そもそもこうやって「定期的に集まって話す場」がある事自体が、果てしなくエスカレートしがちな相互憎悪を鎮める上で非常に重要な意味を持っているはずです。

そうやって「井戸端会議」的な関係性を作った上で、「果てしなく具体的な話」を大量に積み重ねていけるかが重要。

例えば「ゴミ出しのルールを守らない人がいる」という「現象」が一個あったときに、

これだから外国人はけしからん
vs
このレイシストどもめ!

…みたいな論争をしてても何も解決しませんよね?

一方で新宿区の会議ではそのゴミ出し等のルールの重要性をいかに伝えるのかについて、

こういう資料が必要なのでは?単に多言語化した分厚い冊子を配るだけで周知されるわけがない。外国人住民の登録数が100を超えている新宿区で全員分の母語の資料を用意するわけにもいかないから、イラストや写真や動画などの効果的活用とか、”やさしい日本語”の導入を考えるべき。あとやっぱり、人員的に毎回職員がレクチャーするわけにもいかないし…じゃあ留学生の場合所属する学校のオリエンテーションの中で伝えるようにしてもらえばいいのでは?

…みたいな話を延々としていて、

「コレコレ!こういうのをいかに大量に積み重ねられるか」が21世紀のリベラルが戦うべき戦場なんだよ!という気持ちになりました。

また、この記事前半で書いた「中国人と働くにはちゃんと背景情報まで伝えないと納得しない」みたいな話と全く同じことで、

そもそも日本のルールは「ルールです」というだけで、なぜそのようなルールがあるのかという趣旨、そしてルールを守ることでどのようなメリットがあるのかを併せた丁寧な説明をしない傾向があってそこが良くない。

…という話もあって

そ・れ・な!』


…という気持ちになりました。

これはほんと、「対日本人」についても本当は重要なことだけど、今まで「察しろ」型カルチャーで押し付けて来たツケを、外国人との共生をきっかけに見直す良い機会だと思います。

経営用語でいうところの「暗黙知の形式知化」ですね。

もちろんこれは、日本のように「深い部分の暗黙知」が文化の根幹にあるような社会では「現時点で即刻言語化できないものは全部無意味だ!」と押し切るのも良くないです。それは単にあなたの言語化能力が低すぎて社会の重要な紐帯のことを理解できてないだけの可能性が高いですからね。

むしろ「高い言語化能力」がある人が、日本社会が大事にしてきた何かを適切に読み出して「言語化してあげる」ような姿勢で、徐々に転換していくことが大事なのはいうまでもありません。

6●「リベラル寄りの素人の無為無策」→「専門家の知見を活かした具体的な共生策の大量の積み上げ」

今後もこういう「文化統合策」はやっと真正面から日本でも取り組まれる時代になっていくでしょう。

このあたりでも、橋本先生のように欧米の事例も深く知っている専門家は、「なんとなくリベラル寄りの感性を持った素人」から見れば「あ、そこまで求めちゃっていいんだ」という部分に踏み込んだ提唱をする印象が個人的にはあります。

例えば先程の「子供在特」の対象者に対しても、「在留特別許可に係る(新)ガイドライン」の対象者にしても、本来はその親には何らかの”日本語能力試験”を課すことも一案、というようなご意見を橋本先生は持っていて、そのあたりも「保守派側の考えと最終的には一致する部分もある」要素は沢山あると見受けられます。

前の記事でも書いたように「英語圏の移民政策」と「非英語圏の移民政策」は条件がかなり違っていて、だから「社会に馴染んで欲しい」という保守派側の言い分に対して、建国の歴史からしていわゆる植民・移民国家である「アメリカのリベラルの公式見解」をぶつけて否定するのは現実に合ってない無責任さを含んでしまっているんですね。

例えばスウェーデンなどは「スウェーデン語を無理強いしない」といった理想論を当初は採用していたのですが、そうするとどんどんその移民集団が社会と馴染めずゲットー化していって余計に後の排外主義の台頭につながってしまったらしい。

そのあたりで、

”リベラル寄り素人”のなんとなくの理想主義から来る無為無策
vs
保守派側の”ガチで差別”としか言いようがない強硬策

…という出口のない対立を放置せずに、

A・「リベラル寄り素人の理想主義からの無意無策」よりは「明確に踏み込んだ領域」で
B・世界中の移民問題の事例を知っている専門家の知見をベースに、「差別にならない公正さ」を維持しながら
C・「実際に川口に住む人々の具体的な困り事を一件一件丁寧に対策していく」
D・そのうえで「今こういう対策をやっていて、川口市民の懸念を切り捨てているわけではないですよ」という周知をキチンとやっていく

こういう↑「受けて立つ21世紀のリベラル」をやりきることで、排外主義に根底的に勝利を収める道を目指していきましょう。

でもなんか余談ですが、最近橋本先生はSNSでやたらと右翼さんの標的にされていて、正直ちょっと疲弊されておられるようなので、結構心配しています(笑)

確かに橋本先生は「SNSにおける保守派の主張」からは結構遠い事を言っていて直接的な相互理解は難しい感じではありますが、一方で「リベラル寄り素人の無為無策」からは明確に一線を画して、先行する欧米の事例の成功も失敗も熟知した視点で、明確な文化統合策の必要性を行政の高官にレクチャーしに行くような多忙な生活を送られています。

例えば保守派側から評判の悪い「子供在特」に関しての橋本先生のこの記事↓とか、「現実」を断罪せずに理想に一歩でも近づけていこうとする粘り強い意志を感じて、私は個人的にすごい「感動」すらしてしまいました。

だから保守派が橋本先生をSNSでイジメて得することは何もなくて、むしろ橋本先生がこの問題から撤退してしまったら、もっと非妥協的な、

現実に生きる生身の人々の生活ではなく自分の脳内イデオロギーの先鋭化にしか興味がなく、「日本国という根底的に邪悪な存在」の関与する制度など一切認めてはならない!というタイプの人たち

…の意見が跋扈するようになるでしょう。

要するにこの問題は、「イデオロギー対立」から分離して「一個一個現実的対策」を積み重ねられる情勢に持っていけさえすれば解決可能な問題だと僕は考えていて、橋本先生に限らず、埼玉県警も川口市の担当者も、こういう「日本的に実直な現実主義」で対処していこうという機運は、少しずつでも確実に形になってきていると私は感じています。

あとはその「着々と一個ずつ対処」していく流れをイデオロギーで邪魔しないことと、あと「ちゃんと一歩ずつ対処はなされていっているのだ」ということを丁寧に周知して納得を引き出していくことが大事ですね。

7●「自分たちのペースで、自分たちのやり方で」乗り越えていこう

そもそも移民問題で先行する欧米が入れている「移民の数」というのは、日本の現状から見て比べ物にならないぐらい大きい人数であり、しかも当初は「文化統合策が必要」という視点もないままどんどん労働力として取り入れてしまった過去があります。

例えばドイツは在住者の今や4分の1強が外国人であり、その外国人の半分はドイツ国籍を持っています。一方で日本の在留外国人は300万人強であり、これは総人口の2.5%程度にすぎません。

ドル建てのGDP総額がドイツに抜かれたと話題になりましたが、これだけ↑の経済的ハンデを抱えていればそれぐらいの事は起きるよねという気がしてきますね(めちゃテキトーな数字の比較ですいませんが)。

アメリカなんか”毎年”合法移民約70万人と不法移民(で把握できたもの)だけで約250万人!も入れていて、日本で言えば毎年大阪市とか横浜市とかの大都市の人口分も増えていっている事になります。(しつこいようですが”毎年”の数字ですよ)

さすがにそんな事ができるのはアメリカだけだし、社会的な問題も大きいので今後方針転換がなされるかもしれませんが、どちらにしろ「数の暴力」という感じで「世界最強の経済」になる理由が単純明快にわかる気がしますね。

どんどん「地球が狭くなる」人類社会の今後においては、北朝鮮みたいになりたくなければ多様なルーツの在住者が増えること自体は避けられない事です。かといって今の欧米のような社会の分断に直面する事は当然避けたい事ではありますよね。

欧米と比べて周回遅れの日本では、

・まずは「ちゃんと馴染んで貰えるペース」を維持しながら取り入れ、
・警察力を”差別せず遠慮もせず”通用させながら、
・地元住民側の懸念点を「断罪して切り捨て」ずに一個ずつ「差別にならない具体策」を積んでいく

…ことを粛々とやっていく事が大事ですね。

それに、ドイツやアメリカのようなレベルで末端に溢れるほど大量に外国人労働者が入ってくるのは単純労働の賃金が安いまま放置されるということで、同時に今後AIの普及とともに自動化投資が重要になってくる日本ではそのイノベーションの種を潰してしまう事になって望ましいことではありません。

「バスの運転手がいない」→「行政とベンチャーと大企業が取り組む自動運転の実証実験が進む」みたいな話はやっと日本でサクサク動くような情勢になっており、アメリカで自動運転タクシーが民衆に放火されたりしたような恨みを買わずにイノベーションを進めていける環境がせっかくできつつあるんですから、それを重視していくことは大事です。

それでも、今の日本の人口ピラミッドの不均衡は本当に深刻なので、「馴染んで貰えるペース」を保ったままの新しい仲間を迎えていくことはやはり必要なことだと思います。

保守派の人もぜひその部分についてはもう一度考えてみて欲しいですし、保守派側も納得できるような「具体的な共生策の積み上げ」を我々はちゃんとやりきっていかねばなりません。

今回会合に参加された川口市民の方は、濃淡は色々あれど端的にイメージされるような「排外主義」っぽい感じの人は全然いませんでした。

むしろ、自分の子供が「あの子は◯◯人だから嫌い」みたいな差別っぽい事を言うようになるのは見たくないし、外国出身の子と仲良くなっている事自体は良いことだと感じている(からこそトラブルを超えてちゃんと共生できている状態を作ってほしい)というような話も結構聞きました。

「彼らの気持ち」を切り捨てながら、

「レイシストどもが騒いでいてほんと困りますわねえーオホホホ」
「ほんと、私達みたいな高潔な地球市民たちと違ってジャップどもは本当に下劣ですことねえーオホホホ」

…的にSNSで嘲笑するような態度をいかに超えていけるかが大事だってことですね。

彼らの思いにちゃんと応えられる、「受けて立つリベラル」のムーブメントを地に足つけて動かしていきましょう。

おみやげに貰った西川口の千奈利さんのどら焼き。見たこと無いぐらい巨大でしかも美味しかったです(笑)

長い記事をここまで読んでいただいてありがとうございます。

ここ以後は、ちょっと「専門家」と「社会」との関わり・・・みたいなことをちょっと考えてみたいと思っています。

今回記事を書くにあたって、橋本先生にかなり無理をお願いして色々と助言をいただいたんですが、「ほんと専門家しかわからんこといっぱいあるな!」って思ったんですよね。

そもそも情報ソースが違いすぎるというか、実際に難民審査を担当していたり入管の実際の判断事例を大量に知っていたりと、その多くは勿論守秘義務があって僕もボンヤリとしか教えてもらわなかったですけど、でも「専門家にしかわからないこと」ってたくさんあるなとすごい思いました。

まあ僕も、経済・経営分野のうち得意な範囲限定だったら、他人から見るとそういう感じになってるんだろうとは思うんですけどね。

今回記事も、橋本先生に事前に見てもらったらあちこちに「そこは実際は違っていて」みたいな、指導してる学生の答案を採点するかのようにアレコレ赤入れされて恐縮してしまったんですが。(超お忙しいところほんとすいません)

一方で僕から見ると、SNSでの橋本先生の振る舞いに対して、「こういう点が全然相手に伝わってないよな」「そういう表現をするから誤解が生まれているのでは」みたいに歯がゆく思うこともあったりして、もし一件一件の「誤解」に対して、十二分に冷静に話せる場が用意されて、僕が間に入って適切な解きほぐしができれば、「実は同じようなゴールを目指していましたね」ってなることも多いなと感じました。

SNSでそんなことしててもキリがないのでやりませんが、実際、この記事で書いた川口市の奥富市議は、橋本先生が出てたNHKの番組を見て、橋本先生は「川口市民が悪い」って言ったんだと思いこんで”敵認定”してたんですが、僕の記事を読んでから「実は橋本先生は味方だったとわかりました!」と言ってて(笑)

これはある意味僕が移民難民問題が「素人」だから、できる関わり方だなと思うし、そもそも「経営コンサルタント」が価値を発揮できる時というのは、「専門家」だけが存在していて縦割りになっちゃって話が通ってないところをちゃんと通していくという瞬間でもあるよな、というように感じたりして。

「21世紀の薩長同盟を結べ」って本を大昔に出しましたが(笑)、超仲悪い薩長間に同盟を結ばせて事態を大きく転換させるような、坂本龍馬のような役割をなんとかこなしていきたいですね。

僕がそういうことをやりたいってだけでなく、これを読んでいるあなたも(この長い記事をここまで読めるセンスがある選ばれしあなたならw)そういう「坂本龍馬的なナニカ」を担える可能性があるはずだと思うんですね。

というのも、日本社会の色々な問題について、「専門家」としてキチンと問題解決策を考えている人は世の中にたくさん眠ってるんだろうな、と最近思うんですね。

でも、それが相互に横に繋がらなくて放置されてしまっている。

また、「問題解決」のためには複数の専門家が協業しなくちゃいけないような時に、「A分野の専門家」は「B分野の専門家」と協業したりするコミュニケーションがそれほど得意でない人も多くて、そこも結局問題を難しくしている。

その「それぞれの小さな世界のベタな正義」をつなぎ合わせて「メタ正義」に昇華するような”コーディネイター”的な存在こそが今の日本には全然足りてないんだと思うんですね。

僕自身がその役割を果たしていきたいと同時に、いろんな立場の・・・例えばジャーナリストやメディアの中の人とかドキュメンタリ作家とか、もちろんそういう特殊な職業の人だけでなく「普通に働いてる人」も当然そうだし、手弁当で休日に意識高い勉強会を組織してるビジネスパーソンの人とか、とにかくどんな立場だとしても余力がある人が

『メタ正義的解決のコーディネイター』

…になっていくことが、今の日本に必要なことではないか?みたいな話を以下では詳しく考察します。

小ネタとして、最近問題になってる「中国企業のロゴが日本の再エネタスクフォースの資料に映り込んでいて云々」みたいなあのスキャンダルの話もします。

以前、ウェブメディアの記事を書くために電力業界に取材に行ったときも、彼らはほんとうに「専門家の話を適切に聞いて世に広めてくれる素人」を切実に必要としてる感じがあったんですよね。

取材先に記事案を確認してもらうために送ったら、わざわざ巨大組織の「理事長さん」レベルの人が手づから電話してきて2時間とかお付き合いしてくれたりして、「話を聞いてくれる・その能力がある素人」を「孤立無援になっている日本中の専門家」は切実に必要としているんだな、という感じがすごいありました。

「再エネタスクフォース」については、僕はその大元の団体の「自然エネルギー財団」の出してる提言とかも時々読んでいるので、彼らが言っている事の「意義」も一応理解できるんですよね。

言ってる事は彼らなりに一貫してるし、別に「中国のスパイ」って感じでもないと思います。資料のことはただシンポジウムで一緒に登壇した他人の資料を流用した時にそうなった単純なミスと思う(政府の審議会委員がそんなレベルでいいのかという話はありますがw)

ただ、あまりにも「日本社会に自分たちの理想を接続する」にあたって工夫が足りなすぎるし、全部ちゃぶ台返ししてぶっ壊さないと自分たちのプランが実現しないと思ってる感じなのがかなり問題があるんじゃないかと思っています。

特に「理想論を語っている」時の一貫したビジョンや海外先進事例の紹介はなかなかナルホドと思う部分があるんですが、「そのプランだと現実問題としてこういう時はどうするの?」とかいう反応が帰ってきた時の反論はちょっとお世辞にも説得力があるとは言えないというか、「ちゃんと責任感を持って考えているとは言えない」感じになっちゃいがちなように思うんですよね。

そこで単に「もう一度理想論を述べる」だけで、「その特定の課題そのものに対してのきっちりした解答」にはなってない事が多くて「他の電力業界」からの理解が得られず、安定性が崩壊しないようにするために余計に保守的な方向に議論が引っ張られたりもするような感じで。

だから今回のような問題が起きて彼らの「強硬姿勢」が一度落ち着くことには意味があるし、その先でもうちょっと双方向的な工夫の持ち寄り方をした形で日本の自然エネルギー導入は進められるんじゃないかと思います。(そこに”あの”再エネタスクフォースや自然エネルギー財団が関わるのかどうかはこれからの彼ら次第ですが)

そのあたりの、「孤立無援な専門家たち」の力を解き放つための「メタ正義解決のコーディネイター」をいかに増やしていけるか?という話を以下ではしたいと思います。

一個前の映画「オッペンハイマー」の話に関して「ドイツも日本も研究してたけど原爆を本当に大戦中に実現できたのはアメリカだけだった」違いは国力以外の部分ではどういうところにあるのか、という話もします。

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また、この連載の趣旨に興味を持たれた方は、コロナ以前に書いた本ではありますが、単なる極論同士の罵り合いに陥らず、「みんなで豊かになる」という大目標に向かって適切な社会運営・経済運営を行っていくにはどういうことを考える必要があるのか?という視点から書いた、「みんなで豊かになる社会はどうすれば実現するのか?」をお読みいただければと思います(Kindleアンリミテッド登録者は無料で読めます)。「経営コンサルタント」的な視点と、「思想家」的な大きな捉え返しを往復することで、無内容な「日本ダメ」VS「日本スゴイ」論的な罵り合いを超えるあたらしい視点を提示する本となっています。

また、上記著書に加えて「幻の新刊」も公開されました。こっちは結構「ハウツー」的にリアルな話が多い構成になっています。まずは概要的説明のページだけでも読んでいってください。

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