『呪術廻戦』完結記念!宿儺と鬼舞辻無惨の違いについて思うこと。
呪術廻戦完結しちゃいましたね。
なんか「宿儺vs五条先生」の頂上決戦が始まってから、ほんと小学生以来ぶりぐらいに毎週ジャンプ買って楽しみに読んでいました。(とはいえ電子書籍ですが)
たった6年半ぐらいの連載だったらしいけど、日本社会に与えた影響は絶大な漫画だったと思います。
最初の頃は「ジェネリック・ハンターハンター」とか言われてたのに(笑)
僕が一番好きな漫画は「ジョジョの奇妙な冒険」ですが、それと勝るとも劣らないぐらいめっちゃ熱中して読んでいました。
というわけで、何か流れのままに思ったことを書き残しておきたいと思っています。
僕はあまり漫画の設定の細部に対して「緻密な考察」とかをできるタイプの人間じゃないので、「そうか!あの術式がこうなってこうなってこうだったから乙骨くんはあの時こうしたのか!」みたいな話は全然できませんがw、でも「宿儺の最後」にはものすごく感じ入ることがありました。
特に、『鬼滅の刃』の鬼舞辻無惨の最後との違いは本当に「ぜんぜん違う」という感じで違っていて、そこに感じ入るものがあったんですよね。
いわゆる「ネタバレ」に関しては、細部は話さないつもりだけど当然話さないといけないことが沢山あるので、ネタバレ絶対ムリな人は読まないでください。
一緒に「呪術廻戦という作品が終わった興奮」を分かち合う雑談ができればいい、という人はぜひ読んでいただければと。
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1●『鬼滅の刃』と『呪術廻戦』
鬼滅の刃と呪術廻戦は、昨今のジャンプが読んだ世界的大人気マンガになりましたが…
両方ともめっちゃ「日本」みたいなモチーフなのに、特に呪術廻戦の方の海外人気はかなりすごいらしいですね。
五条先生が亡くなった時にバングラデシュでデモがあったとか、チリの地下鉄で追悼式が盛大に行われてメッセージが溢れたとか聞いて「???」ってなりました。
でもなんか、呪術廻戦と鬼滅の刃はかなり対照的な世界観というか、個人の感覚としては呪術廻戦の方が圧倒的に「馴染む!馴染むぞ!」って感じで熱中してました。
なんとなく、作者が女性だからか、鬼滅の刃のほうが女性ファンが多い印象はありましたが、どうでしょうかね。
僕は経営コンサル業のかたわら文通しながら色んな個人と人生を考える仕事もしていて(ご興味あればこちら)、クライアントには老若男女にいるので、漫画好きな人とは漫画の話しますけど…
ある三人のお子さん(女二人男一人)を育ててるワーママさんいわく、「我が家では女の子二人と私が鬼滅の刃に夢中で、長男はそうでもない」みたいなことを言ってました。
まあ全く人によると思いますが僕個人的には、鬼滅の方は「今すごい流行ってるから見ておこう」という感じで見てて、部分部分ではすごく心動かされましたけど、呪術廻戦のように「すごい馴染む」という感じにはならなかったんですよね。
これは「鬼滅にあまり熱中できなかった」というより、「呪術廻戦にはめっちゃ心にクルものがあった」という意味だと捉えてほしいんですが。
むしろ鬼滅とは、「自分の世界観とはすごく違う作品がここまで評価されている衝撃」のようなものを体感していたところがありますね。
その「対照的な世界観」の違いが、すごく明確に現れてたなあ、と思うのが、宿儺と鬼舞辻無惨の「最後」の違いで・・・
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2●宿儺の最後にはほんと泣いたw
鬼舞辻無惨の最後は、なんかもう最後まで徹底的に徹底的に生存本能だけであがき続けるのが当然の存在に対して、鬼狩りたちがとにかく全力を尽くして太陽の中に引きずり出して消滅させる流れだったですよね。
一方で宿儺の方は…
冒頭のトップ画像に引用させてもらいましたけど、虎杖くんから「憐れみ」を受けることに関して、今まで余裕綽々だったのに突然全身で激怒する宿儺とか、その後の必死なバトル的展開とか、なんか個人的に深々と心に刺さってしまって、何のことはないシーンなのにウルウルきてました。
その後の数話のバトルの後に「決着」がついたシーンでも、虎杖くんが「もう一度自分の一部になれば生き延びられるぞ」と申し出るのに対して、
…て言って消え去るシーンとか、多分この文章を読んでいる人の大半はこのどうということもないシーンでなんでオマエそんな泣いてんの?って感じだと思いますがw、なんかすごい涙腺に来てましたね。
なんなんでしょうかね。
でもいわゆる人工的な善悪観念を超える、人間社会に必要な「決着」のあり方がそこには詰まっているような感じがして、とにかくぐっときてました。
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3●「あらゆる人のあらゆる感情を全部ぶちまけた先の平和」
宿儺に最後の「黒閃」が叩き込まれた瞬間の宿儺の顔がなんか鬼舞辻無惨みたいだな、って思ったんですが、鬼舞辻無惨が先行する「圧倒的な悪役」性によって宿儺の造形にも影響を与えているところはあったように思うんですね。
まずは「圧倒的な生存本能の塊」としての鬼舞辻無惨の巨大さが描かれる必要はあったし、それがとりあえず鬼滅の刃の最後で「決着」する意味もあった。
でもなんだか、その「鬼滅の刃の決着」を受け止めてさらに推し進めたところに呪術廻戦の「決着」はある気がして、そこになんだか真実の迫力みたいなものを感じるところがあるのかな。
なんか、いっそ「石破茂総理の誕生」ぐらいの現象まですべてつながって、日本社会が全体としてなだれ込んでいく「次のモード」を形成しているというような、大げさに言えばそういう感じがしました。
呪術廻戦は、「あらゆる立場性」が、善悪抜きに並列的にぶちまけられて、その先で人々があがいていく先に新しい秩序が生まれていくような、そういう魅力がありますよね。
たとえば「巨乳派?微乳派?」みたいなフェミニストが激怒する小ネタがあったかと思えば、「禪院家を焼き尽くす真希さんの怒り」的ないわばド直球にフェミニズム的エネルギーもあれば、「人の心とかないんか」の禪院直哉くんが憎めないヤツすぎて人気投票でやたら高い位置にいたりもする。
「抽象的な善悪概念」ではなくて、「その概念」をとりまく「あらゆる立場の人々の思いのエネルギー」を全部ぶちまけた上で決着していくような展開がある。
果てしなく分断されゆく人類社会の中で、これからの日本という国が「果たすべき使命」が、そういう「あらゆる概念性を突き抜けたところにある運命的な思いの連鎖」のような部分に眠っているのではないかと思います。
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4●五条先生のような「隔絶性」の終わり。そして虎杖くんのような「全部飲み込んじゃうアティチュード」の時代へ
なんか、小耳に挟んだ話なんですが、呪術廻戦はまず「ゼロ」で乙骨くんを主人公にして読み切りではじまって、そして本誌連載される時に虎杖くんが主人公になったわけですが、最初作者は伏黒くんを主人公にしようとしてたとかいう話を聞いたんですよね。
でも、多分編集部とのやりとりの上で、「もっと少年漫画的」な形にするためにアレコレと押し合いした結果、最終的に虎杖の造形ができあがり、それがだんだん「世界中の人が熱中する中で連載が続く中で育っていった」ところがあるのかなと思うんですよね。
それぐらい、「少年漫画的フォーマット」が伝統芸能として保存されていたからこそ、その先で転がっていった新しいヒーロー像が虎杖くんにはある。
なんか、「五条先生的な隔絶性」では、社会全体を救えない時代になってきつつある中で、その先への「バトン」が受け渡される話なのかなと思ったんですよね。
古い話ですが「聖闘士星矢の乙女座のシャカ」を彷彿とさせる無量空処のイメージや、「無限」に関する蘊蓄など、個人的なイメージとしては日本社会の基礎を支えてきた「仏教的」な線引きのあり方が、ああいう形で結実していたところがあるんじゃないかと思うんですけど。
でも五条悟さん個人が悩んで悩んで生きたように、その「隔絶性」だけで社会全体を納得させられない時代になり、その「隔絶性の記憶」を線引きとして利用しながらも、その先の「虎杖くん的なアティチュード」が新しい時代の決着を生み出す話なんじゃないかなとか。
「包摂的でありながら、しかし明確な意思を持って線引きを行っていく」、そういう新しい決着が、宿儺の最後にはあるように思って、なんかほんと言葉にできないけどとにかくウルウルと涙腺に来てしまいましたね。
これからの日本社会が進みつつある方向をすごく暗示しているように思います。
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ってなんか、「完結しちゃったあ!」という興奮のままに書き散らしたような文章をここまで読んでくれてありがとうございました。
個人的には本当にすごい作品だと思ったので、まだ未読の方はぜひ読んでみてくださいね。
なんだかんだ、僕は「普段めっちゃ漫画読む」ってタイプじゃないけど、たまに「一部ですごい話題」っていうレベルになったものに手を出してみればやっぱり超すごい作品がゴロゴロあるなと感じていて、それを母国語で読めるのは感謝するしかないなと思ってます。
『ダンジョン飯』も文通してる人に勧められて読んでみたけどすごい作品だったと思ったし、『違国日記』もめっちゃ良かったし、ある程度溜まってから読もうと思ってた「The JOJOLands」も4巻ぐらいから急激に名作感が出てきたし、今後も楽しみですね。
やはりどうしてもドグマ的になりがちな欧米作品に対して、「概念的善悪を信頼せず、リアルに生きている人間側からの積み重ねの視点のみを重視する」という「日本という土壌」がゆえに、生まれている価値というのは明らかにあると思います。
新しい時代の要請はどうせ自然に受け入れられていくので、しょうもないSNSバトルからは距離を置き続けられるかが大事ですね。
ダンジョン飯にポリコレ的問題とか皆無なはずですし、呪術廻戦もほぼ問題ないどころか直球にポリコレ的な志向性すら内包しているはずだし、そういう感じで「自然に溶け込む」形で、新しい時代に対応していくとき、分断の時代に新しい着地点を模索する強力な土台がそこには生まれてくるでしょう。
とりあえず、芥見下々先生にはおつかれさまと言いたいです。「伝説」をリアルタイムに目撃できて幸せでした。
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ここ以後は、購読者向けの最近の私の近況報告とか、高度3000メートル弱の山行って「呼吸」の大切さを知ったという話(笑)などが続きます。
ここ二ヶ月ぐらいネットでの発信がほぼゼロになっててご心配いただいた方もいらっしゃると思いますが、新刊の原稿仕事はとりあえず10月7日で一段落しますので、そこからはYouTubeもSNSもnoteも饒舌に再参加していこうと思っていますのでよろしくお願いします!
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普段なかなか掘り起こす機会はありませんが、数年前のものも含めて今でも面白い記事は多いので、ぜひ遡って読んでいってみていただければと。
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また、この連載の趣旨に興味を持たれた方は、コロナ以前に書いた本ではありますが、単なる極論同士の罵り合いに陥らず、「みんなで豊かになる」という大目標に向かって適切な社会運営・経済運営を行っていくにはどういうことを考える必要があるのか?という視点から書いた、「みんなで豊かになる社会はどうすれば実現するのか?」をお読みいただければと思います(Kindleアンリミテッド登録者は無料で読めます)。「経営コンサルタント」的な視点と、「思想家」的な大きな捉え返しを往復することで、無内容な「日本ダメ」VS「日本スゴイ」論的な罵り合いを超えるあたらしい視点を提示する本となっています。
また、上記著書に加えて「幻の新刊」も公開されました。こっちは結構「ハウツー」的にリアルな話が多い構成になっています。まずは概要的説明のページだけでも読んでいってください。
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