見出し画像

民主主義は終わるのか―瀬戸際に立つ日本 山口次郎著

最近読書はもっぱら娯楽目的なので、硬い内容の本は読まないのだが、ここ数か月は少し政治的な内容の本を読んでいる。きっかけは何だったかと思いだそうとするが、かなりあいまいではあるが、このネットの記事に驚いたことだったと思う。

盲目的と、自らも思ってしまうところはあるのだが、民主主義国家で育ってきたものとして、ショックを覚え、そして、なぜこんなことが起きているのか?

興味の対象は現政権批判でもなければ、民主主義の退潮への嘆きでもなく、そもそも民主主義とは?という漠然とした興味によるところが大きかった。

戦後日本の民主主義の変遷や、安倍政権になって以降(2019年著書なので、菅政権の話はない)の問題点を著者の信条を混ぜながらの民主主義の本質の観点から論じられている。学者先生らしい高尚な言葉がところどころ使われているものの、非常に端的で、また過度な一方向の主張のみに基づいた議論ではなく読みやすい。

民主主義の技術的な仕組みや歴史的な背景などもともとの興味に沿った内容についてはもちろん意義深かったし、我々の年代のものにとっては、この20年つぶさに見てきた日本の政治の少し内層の部分を著者の信条を元に見直すことができ、その意味でも非常に面白かった。

さて、理解したことと疑問・仮説をこの本の中からキーワードを抜き取り、勝手に再構成してみたい。著者の主張と沿わない部分など、稚拙さはご容赦。

民主主義とは1)すべての人の尊厳を公平に尊重する(自由主義)という基本的人権の尊重、2)経済における自由な市場メカニズム、3)経済成長の果実の公平な配分を目指す社会システムの調整のための戦略である。両立させることが場合によっては困難なこれらの目標を調整する仕組みが話し合いと妥協による民主主義政治である。正義の定義(3つの目標のバランスの決定)を行うことと、ポピュリズム(民意)のエネルギーを調達することが一つの民主主義の課題である。つまり、組織がそうであるように、その組織の意思決定機関の正統性と有効性の重要性は政治にとっても非常に重要である。正統性と有効性を高める方法論の一つは間違いなく権力の集中、リーダーの権威付けでありるが、特に基本的人権の尊重を危うくし、公平な分配を妨げる。

従来民主主義をさらに加速させると考えているネットによる発言の機会の増大は、今のところその弊害が目立ってきている。民主主義を成り立たせる明文化はされていないものの重要な社会規範(やわらかいガードレール)として、相互的寛容(異なる意見を持つ人々を社会の構成員として認めること)、組織的自制(権力の魅力に自制をかけること)があるが、特に相互的寛容に対してネットを使ったコミュニケーションは大きなダメージを与えている。

経済発展が民主主義の発展にも役に立つという仮説も、見事に否定された。経済発展に伴い、ベースラインが上がることで発展の果実が公平ではなくとも、分配され、大多数にとっての日常的には我慢できる程度の人権が保障され、効率的に目標が達成されたためであろう。

民主主義が発展していくためには、短期的な果実が国民に配分され、そのうえで社会的な発展や社会的不経済を生じさせない、高度な手練れが必要なようである。



よろしければサポートをお願いします。