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しみずのはなし 「清水」の由来

執筆者:すずき
訪問看護ステーション有度の里があります
静岡県静岡市清水区
「清水」の地名はどこから来たのか?
気になっていました
こんな話見つけました

町づくり推進委員会さまの説明板ありました
このように紹介してくださっていると
見つけやすいですね

チャンチャン井戸 昔話風
(かたりべクラブさんの記事です)
今から800年くらい前のお話です。
入江の荘の近くは海がすぐそばまできていて砂浜になっていました
ある夜、ひどい嵐にあって舟は沈み、人はみな溺れ、
その中に1人の旅のお坊さんが流れ着きました。
お坊さんは喉が渇き、水を探して入江の荘を
さまよっているうちに気を失ってしまいました。
気が付くと、お坊さんは
火のパチパチと燃えている暖かな囲炉裏のそばに寝かされていました。
村の人々がお坊さんを救ってくれたのです。
入江の荘は海に近いため井戸水が悪く、
飲み水にならないことを聞かされたお坊さんは、
恩返しのために水を探すことにしました。
毎日のように鉦をたたき、
お経を唱えながら井戸を掘る場所を探して歩きました。
そして、とうとう見つけたのです。
村人はお坊さんが教えてくれた場所を掘ってみました。
すると、突然水が噴き出したのです。
「あっ、水だ! きれいな水だ!」
「ああ、つめたい、すごくきれい!」
「ああ、これはうまい。 いい水だ」
「清水だ、 清水だ」
 と村人は大変喜びました。
このことがあってから、
この辺りを 「清水」というようになり、
桜ヶ丘より北を 「上清水」 南を「下清水」と呼ぶようになりました。
お坊さんはお経を唱えながら何処へともなく旅立って行きました。
村の人々がお坊さんを救ってくれたのです。
人々は井戸を掘る時、
お坊さんが鉦をチャン チャンと叩いてくれたことを記念して、
この井戸を 「チャンチャン井戸」 と呼びました。
この井戸は今も上清水の八幡様の東、
浜田小学校のグラウンドのすぐ西に、土や小石埋まって残されています。
そこには説明のプレートが立っていますので、
今度 通ったらご覧になって下さい。
 

井戸は確かにありました
塞がれてもいました

史跡として紹介されていたもの
がこちら
チャンチャン井戸(僧の恩返し)
今から800年程前にこの地に流れ着いた
一人の僧が疲労で倒れていたのを
村人が助けました
僧は恩返しにとチャンチャン鐘を
叩き経を唱えながら
当時村人の探していた良質の
わく井戸の場所を指しました
村人がそこを掘ると突然穴の中から
水がわきでました。
喜んだ村人はこれをチャンチャン井戸と
呼ぶようになりました
この井戸の水は清く飲み水に良いため
遠くからも水汲みに来ました
「清水」の地名も
これから起こったということです
チャンチャン井戸跡は
現在浜田小学校の西側にある
今はまったく使用されることもなく
蓋をされています
浜田まちづくりの標示板が立っています
なお千歳橋の北側
巴川沿いに同名の井戸があり
昭和12、3年頃は千歳町の人たちが
スイカを冷やしたといいます。

巴川沿いの同名井戸もいつか見つけられるかな

他の資料では
「清水」の地名の起こりも
この井戸に由来すると言われている
禅叢寺を中心としたこの辺り一帯は
岡清水の浜堤に位置し
砂や礫で濾過された清水が湧き出した
そこで木樋や竹樋で水質の悪い水しか出ない
上一丁目や片羽町(現千歳町)・横町(現上一丁目)
などに通水し
飲み水や生活用水として利用され
上水道が完成する
昭和7年(1932)まで続けられていた

通り沿いにありますから散歩しながら見つけられます

と郷土を紹介している本に載っていました
郷土紹介の本の中には結構この話出てきます
最初に紹介したみたく
昔話風になっている話もありました

静岡市清水区
「清水」の地名の由来はこれで
解決!しそうですね

自分の縁のある土地でも
由来を知らないこと多いです
名前の由来を知ることで
清水に愛着が増した気がする
すずきでした


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