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日本という国には伝える力・表現力が圧倒的に足りていない

育成年代のサッカー指導に携わる方々とオンラインでお話しする機会がありました。様々な話をする中で、一つ共通する話題がありました。

それは、「伝える力・表現力」がこれからより求められるという話です。​

サッカーを伝える力が日本という国には圧倒的に足りていない

アルゼンチンで指導を学び、来年からは鎌倉FCで指導する河内一馬さんと、楽天大学学長の仲山さんとオンラインでお話しした時に、河内さんが話した内容がとても印象に残っています。

「サッカーを伝える力が日本という国には圧倒的に足りていないと思います。アルゼンチン人とは伝える力、表現力に圧倒的な差があります。彼らは”伝える”ことをとても大切します。伝え方、振る舞い方、仕草、抑揚、すべてが重要であることを学びました。」

対して仲山さんはこう言いました。

「うん。面白いですね。日本人らしさとは何かを踏まえた上で、どのように伝えれば伝わるかを考えることはとても重要ですよね。」

まさにお二人の言うとおり、伝える力の重要性、そして日本人らしさを踏まえたコミュニケーション、相手にとって最適化したコミュニケーションが重要であるということなんです。

私も海外で初めてスペイン語の語学学校に入った時、自己紹介やグループディスカッションで、自分の伝える力のなさを痛感した経験があります。私にとりわけ表現力がないという問題もありますが、世界各国から来ていた生徒達はみなプレゼンが上手かったように思います。話し方、ジェスチャーも含めた表現力は私たち日本人は苦手とする部分ではないでしょうか。

海外でサッカーをした時も表現力の差を感じました。外国人と共にプレーする度に感じるのは伝える力、表現力の差です。

彼らは自分を表現することを躊躇いません。それに比べて私たち日本人は自分を表現することに慣れていないのです。日本では自分を表現することは美しくないとされ、出る杭は打たれやすい国です。直接的なコミュニケーションよりも、言わずとも感じることができることが美しいとされる文化なのです。

これは、日本の良さであり、場合によってはマイナスになります。

ここでは詳しく書きませんが、この日本独特の文化によって発展してきたカルチャーはたくさんあります。

しかしながら、サッカーという自分を表現することが前提にあるスポーツには向いていません。自分を表現することが当たり前の相手に対して、前提として出遅れているからです。

サッカーは自分を表現することなしに成り立たないのです。つまり、自分を表現するという前提を揃えることが日本でサッカーを伝える上で相当な工数がかかるのです。だからこそ、日本という国の文脈では「教える」よりも「引き出す」ことが重要なのだと思います。

選手を動かせなければ、意味がない

先日、アルビレックスで育成年代の指導に携わる佐枝さんと、福山シティフットボールクラブの副代表兼メディカルダイレクター樋口さんとお話しした時もお二人が興味深いことを言っていました。

佐枝さん
「これからの指導者に求められるのは伝える力・表現力、戦術は調べれば出てくる。それが伝わるかどうか。ピッチで表現できるかどうか」
ヒグアツさん
「机の上の評論家は溢れているけど、本質を伝えて、選手がピッチで表現できるようにまでさせられる指導者は少ない。」

SNSを見ていても、頭の良い優秀な若手指導者が増えているなという印象があります。とても良いことだなと思う反面、危惧しているは、サッカーは頭だけでやるスポーツではないからです。それ以上に重要なのは情熱です。

非常にロジカルな戦術理論を語る指導者は増えたけれど、現場で選手たちにそれをどう伝えて、どう伝わって、ピッチでどう表現されているのかが大事なのに、実際にそれができているチームは少ないと。

まだまだこれからだと思いますが、大切なことは指導者が理論をどう伝えるかであり、伝える為にどう表現するか、そして選手たちがピッチで表現できるかどうかなのだと思います。

私たちは理論を学ぶこと以上に、伝える技術、表現力を磨く必要があるのだと思います。

その本質を忘れてはいけないなと思いました。




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