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【読書】ロバート・オッペンハイマーのイメージを覆さんとする試み

祝クリストファー・ノーラン監督作品『オッペンハイマー』アカデミー賞最多7部門受賞!3/29日本公開!

待ち望んでいた日本公開なんですけど
なぜ日本公開が遅れたかの概要は以前に書いたので置いときます。

これを書いた時点では、日本公開未定で、永遠に日本公開されないのでは?と思って思いのたけを書いてみた。

結果、その思いが通じ(?)日本公開決定の報を受け取り喜びの舞を踊り、酒宴を設けたのちに、勢いそのままオッペンハイマー関連書籍を買いました。

履歴を観ると、Amazonから受け取ったのは12/10。
三か月以上たってるやん・・・ほんのつい先日読み終わりました。遅すぎる。
正直公開前に読み終わらないかもとヒヤヒヤしてました。

そんなことはどうでもいいんですが、これは良書です!
本の感想をここから書いていきます。


映画原作本ではない

実は僕が読んだ本は、映画『オッペンハイマー』の原作とされている書籍とは別なんです。
なぜ原作本を選ばなかったかというと上中下巻とあるので読み終わらないリスクと、映画原作を公開前に読んでしまうのはちょっと違う気がして、、。
あと日本人著者というのもデカかった。
本で日本人からの視点を得て、映画で欧米人からの視点を得られれば、相対化しやすいと思って選びました。


前書きだけでも読んで!(無料)

この本、前書きを読めば良書だということがすぐにわかる。
うれしいことに前書きのみであればWEB上で無料で読めるのでぜひ読んでほしい。以下リンク。

この前書きでは、
著者が強い義務感と責任感を持って論ずる
「原子爆弾を生み出したオッペンハイマーや物理学に対する糾弾は果たして正当なものなのか」というテーマを明確に打ち出している。
著者自身も物理学者でかつ、直接でないにしろ日本で原子爆弾の恐怖を味わった人間であるという点で説得力がある。

たまに前書きだけ大層なこと書いて、肝心の中身が薄いとかいうパターンもあるけど、この本は違います。
当時の資料や関連書籍に目を通しよく整理された内容であるし、文献の内容と著者の考えを切り分けて論じているところにも公平性があって好感が持てる。


映画『ジュラシックパーク』の引用と既存イメージの訂正

これも前書きからだけど、映画『ジュラシックパーク』の演出にオッペンハイマーの写真が使われたことから、当時の一般に広く認知された彼のイメージ像がわかると書いている。
丁度、以下のようなツイートを見かけ、いいね数も1万弱となってたので、今も同じようなイメージをもって彼を観る人が多いのだろう。

この本ではそのようなイメージは作られたものだとしている。
広く浸透してしまい、スピルバーグ監督が演出の一部として用いるほどのイメージをなんとか覆すために、事実を並べ、本当のオッペンハイマー像を理解する試みをしている。
実際に、この本を読めばオッペンハイマーの人となりをかなり理解できた気がする。


「今、われは死となれり。世界の破壊者となれり。」

オッペンハイマーの大部分のイメージを作り上げたのではないかというこの言葉。
「今、われは死となれり。世界の破壊者となれり。」
いかにも高慢で倫理観の欠如したマッドサイエンティストの自己陶酔が最高潮に達し放った言葉のように受け取ることができる。

この言葉はオッペンハイマー自身が回想の中で語る言葉であるため捏造されたものではないことはわかる。
しかし、世間のイメージとは違う視点を導入できるとこの本では語っている。

オッペンハイマーはこの発言を世界初の原爆実験「トリニティ実験」を実施した後でこの言葉を想起したと語っている。
この言葉はヒンズー教の聖典「ヴァガバッドギーター」より引用された。
聖典では神ヴィシュヌが王子アジュナに対し、この言葉を放つ。
今まさに始まらんとする戦争に対して嘆き神にすがる王子アジュナ
この王子を戦争に向かわせるために、神ヴィシュヌは例の言葉を語り、死神として私は現れたのだから戦争は避けられないと語る。
(↑裏どりしてないので不正確かも)

オッペンハイマーは実際には神ヴィシュヌではなく王子アジュナに自身や人間を重ね、その象徴的で絶望的な言葉を引用したのではないか
というのがこの本では論として展開される。
それまでの常識を超えた爆発に、
自らを戦争へ誘い、それ自身も戦争で死を積み重ねるヴィシュヌを見たのだ。

これに反対する意見もあれど、僕としてはこの視点は重要ではないかと思う。
それまでの生い立ちや、戦後の立ち振る舞いを観ても理解できるような感覚がある。

(ちなみに聖典「ヴァガバッドギーター」はガンディーの思想にも影響を与えたとされる)


NHK映像の世紀「マンハッタン計画オッペンハイマーの栄光と罪」

これは本の内容ではないんですけど、
読んでるときに丁度NHKでオッペンハイマーやマンハッタン計画の映像資料をまとめたものが放映されていたので観てみた。

私たちには大義があったと信じています
しかし私たちの心は完全に楽になってはいけないと思うのです
自然について研究してその真実を学ぶことから逸脱し人類の歴史の流れを変えてしまったのですから
私は今になってもあの時もっと良い道があったといえる自信がありません
私には良い答えがないのです

2024/2/19放映「NHK映像の世紀 マンハッタン計画 オッペンハイマーの栄光と罪」より
オッペンハイマー晩年のインタビュー映像での発言

この言葉が深く心に突き刺さり、最もオッペンハイマーの気持ちを表しているのではないかと思う。

マンハッタン計画はヒトラーの恐怖に渦巻く状況でスタートし
最高の科学者たちが集められ、ドイツより先に原爆を作らねば世界が滅んでしまう危機感の中、最新科学の結晶を作り出す困難と、ある種の高揚感の中で進められたと推測する。

それは大義であり、世界に対する最大の貢献であったと感じていただろう。
物理学者たちは原爆開発に最大限打ち込み、オッペンハイマーはリーダーとして自由闊達な議論と最速の計画推進に身をなげうっていた。
その「過程」はオッペンハイマーにとって後悔はないのだろうが
引き起こされた「結果」については誰よりも重く受け止めていることがわかる。


誰が罪を負うのか

特にアメリカは大義の部分を強調して、日本への原爆投下に対しても「原爆投下をしなければもっと多くの死者が出ていた。英断だった。」と考える人が少なくない。さらには「日本人死者すらも減らした」と考える人もいるようだ。
これは一部事実であるかもしれないが、英雄譚のような扱いには、罪から逃れたい意思を感じてしまう。

また、オッペンハイマーを原爆の父として、死神のようなイメージをもって糾弾することも責任を彼一人に押し付け、罪から逃れたいだけなのではないか。

少なくとも彼一人で原爆は作られていないし、国やそれ以上の単位がサポートしていなければ計画は進まずに、もっと開発は遅れていただろう。

オッペンハイマーに罪はないとは絶対に言えないが、
彼のみに罪を擦り付けるのは卑怯な行いであると感じる。

そして、核の国際管理や放棄が実現されていない世界を生きる我々にも罪はあると感じる。


ごく個人的感想としては
コテンラジオを聴いた時のような感覚を、この本を読んで感じました。
一人の人間をこれほどまでに追った本を読むこと自体が初めてで、背景や生い立ちを知ることによって、ストーリーとして理解できる上に、新たな視点を得ることもできて刺激的な読書でした。

僕は映画公開日にIMAXで見ようと思います!有休とりました!
皆さんも本と映画をぜひ!


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