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起業する前の私 -なぜ起業家を志したのか?

私は起業する前は普通の大学生であった。

念願の一人暮らしを満喫し、サークルに入り、バイトをし、彼女も作り、旅行もたくさんいった。

正直満ち足りた大学生活であったが、それらを全て捨てて大学3年時に起業。

私は起業する前はどのような人間で、なぜ起業したのか?

その一部始終を、この場を借りて語らせてもらう。

辛かった大学受験

私は一般受験(センター利用入試)で立教大学観光学部に入学した。

高校2年生まで全く勉強もせず、怠惰な学生生活を送っていた私の高2の秋に受けた模試での偏差値は、なんと35

当時は幹部海上自衛官を目指しており、防衛大を受験するつもりであったが、到底及ばない学力であった。

そのため、高2の冬から一念発起し猛勉強を開始。

わずか3か月で模試での偏差値を65まで上げ、防衛大は完全に射程に捉えた。

しかし、合格するには視力が足りないと気づく。

もともと視力が足りなかった私は、そのことを知り合いの自衛官(1等陸佐=部下が1,000人ぐらいつく偉い人)に相談しており、問題ないことを確認していただけに、落胆は大きかった。(←その人の勘違いだった)

夢をもって勉強に励んでいた私は、すぐに偏差値を高めたこともあり、口だけは難関大学を志す癖に、まったく結果を出さない周りを当時は見下していた。

そのため、こいつらには死んでも負けたくないと早稲田大学の受験を決意。

模試でも良好な結果を残すが、あえなく不合格。

しかし、受験期の辛さから浪人という選択肢はなく、センター利用型入試で合格していた立教大学に入学する。

本能のままに生きた大学1年次

受験から解放された私の大学1年目は、”堕落”という2文字以外の何物でもなかった。

一人暮らしを始めたこともあり、生活習慣は崩壊し授業はほとんど寝た。

友達は多い方だった(当時)ので、毎週誰かを家に呼んではバカ騒ぎを繰り返していた。

入学直後の5月に大学生活初めての彼女ができたが、わずか2か月で分かれた。

正直、将来のことなど何も考えていなかった。

そこそこの企業に就職して、そこそこの生活ができれば満足すると、自分に言い聞かせていた。

しかし、私の過去のトラウマに基づくある思いは消えず、少しずつ起業という選択肢に近づいていくことになる。

過去のトラウマ

私は茨城県の(県内ではそこそこ有名な)中高一貫校に、中学受験で入学した。

しかし、自分の個性を強く打ち出しすぎたために、中学デビューに失敗し、いじめを受けることになる。

そこからは、とにかく個性を殺した。

Yesマン、つまり周りにとって都合の良い人間であろうとした。

そうすることによって、少しずつ友達?は増え、いじめられなくなった。

そして、いじめられっ子からいじられキャラに転身したのだ

私個人の主観的な意見だが、いじられキャラとは「どんなひどいことを言ってもいい奴」、つまりもっとも尊敬されてないやつなのだ

ただいじめれないというだけで、そのような立場を甘受していた。

しかし、受験期に少し結果を出しただけで、学歴至上主義に傾倒していたこともあり、周りからの見られ方が大きく変わったように感じた。

今までは見下していたまなざしが、尊敬や嫉みに変わったように感じた。

(ただの思い上がりかもしれないが)この程度のやつらに見下されてきた自分を、大きく恥じるようになる。

そして、もう誰にも負けない、誰よりも価値のある人間になってやろうという思いがそこから芽生えたのだ。

そして起業家に

怠惰な大学生活に違和感を覚えない訳ではなった。

ただ、頑張る気力も、将来を見通す目も持ち合わせていなかっただけなのだ。

そして、大学2年次になり人生で3人目の彼女ができる。

とにかく顔がタイプであった。そして彼女は、私の将来にうるさかった。

彼氏を自分のステータスの一部として捉えるタイプなので、私に良い企業に就職しろと口うるさくいった。

その結果、私はインターンを始めた。

CCCにて6年連続法人営業成績1位だった人が立ち上げたベンチャー企業で、法人営業とコンテンツマーケティングを担当した。

社長直下ということもあり、私は常に起業家という人種に触れていた。

そこから、「起業家になって誰も成し遂げていないことをなせば、”最も価値のある人間”に大きく近づけるのでは?」と考えるようになった。

そして、わたしは大学3年の夏、友人と日本酒ベンチャーを設立する。

まとめ

以上が、起業する前の私のありのままの姿と、起業するに至った経緯である。

正直、起業した理由を聞かれたことはたくさんあるが、上記のような密度でしっかりと説明したことはほとんどない。

それだけ私にとっては、他社に言うことが恥ずかしいトラウマを内包している。

今回ブログという形で記載したのは、誰かに助けてもらう際に、自分のすべてをさらけ出す必要があるという気づきに対するけじめである。

もし共感してくれた方がいらっしゃったら、お茶に誘ってほしい。

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