原題 ミカンの皮を剝いたらキトウでした

「宇宙船で始める真空農法! 宇宙でミカン農家始めました!」に改編して以下、本文です。



1


 火星産微生物収束型高密度糖分生成植物。
 なんだそれ?
 誰でも聞いたらそう思うに違いない。
 このややこしい漢字の集合体には意味があるのだ。
 そう、とても重要な意味がある。
 現代は二十六世紀である。
 地球外に人類は進出していて、銀河系に散らばって文明を築いている。
 人類は、二十四世紀後半に入ると寿命が少しだけ伸びた。
 400年くらい。
 そして人口が増えまくった。
 おかげさまで、人口は400億。
 もう数えれる数字じゃない。
 仕方ないからあっちの星、こっちの星を住めるように改造しまくってーー
 それでも、数が足りない。
 最後の手段で、いま住んでいる天の川銀河から外の銀河へ移民する計画が建てられた。
 移民船を作るのに一番簡単なのは、ボールを半分に割ったような底をつくって。
 そこに土を敷いて、植物を植えたり、海を作ったりして人工の地球もどきをつくること。
 そんなわけで、まず可燃性の大気が厄介だからと長い間、放置されてた火星を使うことにした。
 衛星軌道上にある造船ドックで船は急ピッチで製造され、最盛期は年間20隻の恒星間移住用宇宙船が建造された。
 宇宙移民船セルバンテス号はその中の一隻だ。

 そして、最初のややこしい名前の植物。
 これは真空の宇宙で花を咲かせて巨大な果実をたくさん実らせる
 地球の日本産の蜜柑に似た、巨大な果実を宇宙船の外側に発芽させる真空植物。
 通称、ミカン。

 こいつが発見されたのは、セルバンテス号が四回目のワープを終えた時だった。
 宇宙には、イオンストームって名前の嵐が吹き荒れることがある。
 どうやら、セルバンテス号はその嵐が去った後に、亜空間から通常空間にでてしまったらしい。
 その空間には、凄まじい量のプラズマ粒子が溜まっていた。
 どうやら、火星にはこのプラズマ粒子をエサにする微生物がいたらしい。
 セルバンテス号には火星の土が使われている。そしてーー

 そいつらは目覚めてしまい‥‥‥ミカンが誕生した。
 それが、火星産微生物収束型高密度糖分生成植物、ミカンである。
 ミカンは宇宙空間に存在する大量のプラズマ粒子を捕食する。
 地球時間でいうところの180日周期で巨大な黄色い花を咲かせて果実をみのらせる。
 このミカンは皮はめちゃくちゃ堅い。
 レーザーでも、焼き切れない。
 幾層もの皮でできていて、その奥にはとても甘い糖蜜の花がある。
 なんとかしてこの皮を除けようとしたが、どうにもできない。
 そんな時だ。日本人の一人があることを思いついた。
 筋に沿って、機械で皮をむいてみたらどうだろう?
 普通の、蜜柑みたいに、と。
 この試みは成功して、ミカンも中身の研究が始まった。
 ミカンの皮。これはとんでもない材質だった。
 まず、人体に対して無害なことから。
 耐熱素材としても数千度の熱に持ちこたえれること。
 この特性を活かして、宇宙船の外殻装甲板や、柔軟性があることから寝具や衣類の素材になったり。
 強靭で空気を漏らさず、透過性が高い性質もあり、コロニーの天井に使われたりした。
 これはセルバンテス号の大きな商売になった。
 ほぼ万能に近い加工用途のある商品が、宇宙空間を航行している限り手に入る。
 こうしてミカン管理組合、通称、アルファがまず発足した。
 ミカンの直径は5メートル近くあるから、人間ではまず収穫できない。
 その収穫用に新たに設計・投入されたのが真空作業用人型収穫装置。
 略称マン・オブ・スティール(MoS)だった。


 宇宙船セルバンテス号には特殊な仕事が存在する。
 それは年に二回、外殻に自生し発芽するミカンを収穫する仕事だ。
 それを統括管理するのが、ミカン管理組合、通称、アルファである。
 十三歳になるとアルファに期間工として登録することができる。
 巨大な人型の旧世紀的にいうロボットの操縦士になれる。
 それはセルバンテス市民にとっては憧れの仕事だった。
 だって、期間工は大金が手に入るからだ。
 セルバンテス号と宇宙空間の間には、フィールドという特殊な壁がある。
 ミカンは宇宙船の外殻上。
 つまり宇宙側の壁にたくさんなる。
 宇宙での作業は死亡率が高い。
 そこで雇用金額は高額になる。
 それとMoSのパイロットになるには、適正検査があった。
 ミカンの外皮は堅いけど。
 筋目にそってゆっくりとむかないと、すぐに割けてしまう。
 精密でち密で、根気と丁寧さがいる作業。
 その為、育成期間がある。
 そこで最初の適性検査に合格したら、数か月の訓練が待っている。
 応募できる制限は十代前半から後半までの男女。
 年齢が上になると、MoSとの神経接続がうまくいかないかららしい。
 この育成機関を卒業すると、期間工と呼ばれるMoSを操る資格が与えられる。
 期間工になれば大金が手に入る。
 そんな訳で、期間工は10代の男女に大人気の仕事だった。

 ここに二人の期間工がいた。
 めんどくさいことが大の苦手で人並外れた運動神経を誇る波瀬紬(ハセツムギ、女、16歳)。
 眉目秀麗かつ容姿端麗、抜群ミカンの収穫率を誇る才色兼備な阿古屋海(アコヤカイ、女、16歳)。
 この二人は同期で成績も抜群だった。
 期間工は二人一組で仕事をする。
 そして、今回も農協アルファから二人に仕事の依頼が来た。
 たった二週間という収穫期間だけの相棒として。

「うっし。まあ、当たり前だよな。あたしが合格しなくて誰がうかるんだよって話だ」
 紬は祖父母と住む3LDKのマンションの自室で、人生四回目になるアルファからの依頼を手にして喜んでいた。
 両親は先にくじら座タウ星に移住しており、あと六年ほどかけて出会う予定だ。
 このセルバンテス号に乗り合わせた運命だというべきだろうか。
 運動しか才能がないと自覚していた紬に、その才能を活かす職場がある。
 そんな話を聞いたのが数年前。
 育成機関に入るには高い学費がいる。
 奨学金制度を利用してどうにか入学できたものの、その金額は数千万単位だった。
「まあ、お金が稼げるからいいんだけど……」
 十代前半で数千万単位の借金を背負ったことを自覚したときは、世界が闇に包まれた気がした。

 奨学金には返済免除の制度がある。
 規定された回数を期間工として従事すればいいのだ。
 あと数回。正確には4回。そのうちの2回で規定回数をクリアできる。
 その後は紬の収入としてお金が手に入る。
 つまり連続して二年。
 なんの問題も起こさずに二週間の収穫を終わらせれればーー

 返済せずに済むし、一般人の数年分の資金も手に入る。
 資金ができてタウ星についたら、いつも世話になっている祖父母に何かしてあげたい。
 まともな土地付きの家も購入してあげれるかもしれない。
 そんな淡い期待を抱いていることは誰にも言わないが。
 とりあえず、祖父母には挨拶をしていかなければならない。
 翌週から再度、アルファの寮に二週間お世話になることを伝えよう。
 そんなことを考えていると丁度、夕食時だったからかリビングにおいでと声がかかる。祖父母二人だけだと思って自室から出た紬は、見慣れた相方の姿をそこに発見した。

「海、あんた来てたんだ?」
 自分より少しだけ背丈の高い長髪の美少女がそこにいた。
「相変わらず、乱暴な物言いね、紬は。
 名前はわたしと違って女の子らしいのに」
 海と呼ばれた少女は残念そうにため息をつく。
「そう言われてもなあ。あたしはずっとこれだし。
 優樹菜(ゆきな)みたいに、ボクとか言わないだけいいと思うんだけど?」
「あの子は心は男子だから……」
 海は迷ったように言う。
 二人と変わらない年代の育成機関の同期。
 冴木優樹菜は本人も周囲も既知の性同一性障害と旧時代に呼ばれていた存在。
 ただ、優樹菜には悪い癖がある。

 中身が男子だから男として扱ってよと言いながら女子の制服を着ていたり。
 たまに女子更衣室に入って来て平気な顔で、着替えをしたりする。

 そういった悪癖を海は嫌っていた。
 現代では望むなら遺伝子操作技術により、男性から女性。
 女性から男性へと外見をほぼノーリスクで変更することができる。
 精神的な性別が数十あると理解された現代は、外見を好きなように変えることも一つのファッション。
 ただし、そこに犯罪性が伴わないならだけど‥‥‥
「あいつ、合法的に女子の部屋に入るからなあ。なんだっけそういうの?」
「変態、って言うのよ。自覚してやってるなら生きてる価値ないわね」
 海は美しい外見からは想像できないような毒を吐いて捨てた。
「まあまあ、そう人様を悪く言うんじゃないよ、海ちゃん」
 祖母が夕食をキッチンから運んでくる。
 祖母と言っても外見は二十代にしか見えない。
 老化を促進する酵素を除外する処理は二十代を越えてから行われるからだ。
「でも、おば様」
 さすがにおばあ様と言うと外見的には角が立つ。
 良くておば様が限界だろうと海は考えてそう呼んでいた。
「その子、優樹菜という名前を変えないところから思うんだけど。今の自分の外見と中身。その両面で折り合いをつけようとしてるんじゃないかな?」
 なるほど、と海はうなづく。
 だが、男子を公言しながら女子更衣室で着替えるのは違法ではないのか。
「だってそれやられたら男子の連中が困るだろ?」
 紬の意外な言葉に海は顔を上げる。
 まじまじと見つめられて変な気分だ。
「何だよ?なにかおかしなこと言ったか?」
「紬、あなた」
「なに?」
「たまにはまともな意見が出るのね。その筋肉優先頭でも」
 このおしとやかな外見から毒を吐くと、海にあこがれる男子たちに教えてやりたい気分だ。
 海の本性を知る一部の女子から海は、毒を精製する白雪姫と呼ばれていた。
「はいはい、もういいよ。そのやりとりは」
 紬はこうなると自分から折れる。
 舌戦では海に勝てないことを数年の経験で知っているからだ。

「……で、今夜はどうしたんだよ、海」
 どっかとリビングルームの食卓に備えられたイスに紬が座り込む。
「アルファからの連絡見てないの?」
「アルファから?依頼通知は読んだよ?」
「違うわよ。これ」
 そう言うと、海は粒子を固めたパネルに投影した画像を投げて寄こす。
「ん?」
 見ると、重要補足事項などと書かれた文面が浮かんでいた。
「え!? 今回は東太平洋外殻に収穫地を移動する?」
 こんなの聞いてない、そんな顔を紬は海に向ける。
「やっぱり読んでない……。そうよね、紬は一日に一回自分のメールホルダーを開けばいいほうだもんね……」
 呆れたように言われた。
 教えて貰ってありがとうございますと言いたいが、何か釈然としないものが残る。
「わ、悪かったね……」
「良いのよ。今回も相棒はあなただし。もう逃れられないんだわ、この悪運から」
 余りの言いざまに流石にイラっとはするがもう慣れた。
「そうだな、白雪姫」
「何よそれ?」
「いや、なんでもない。で、いつから集まるんだ?」

 そこ、と。
 海は下の方を指差す。
「あれ、明後日からになってる。読んでなかったら間違いなく除籍されてたな、これ」
「そうよ、もうバディも発表されてるから連帯責任で賠償金はごめんだわ」
 そう、海は呆れたように言った。
 アルファからの契約は依頼書類にサインした、その瞬間からに自動的に始まる。
 もし、やむを得ない事情(病気・怪我・親類の死亡など)以外での契約破棄をすると賠償金が発生するのだ。
 それも、バディ双方に。
「嫌な制度だよな。その分、仕事の報酬はデカいし、事故とか起きた場合の保険も手厚いけどさ」
「まあ、仕方ないわよ。あなたもわたしも、同じ奨学生。あそこと縁を切るためには我慢するしかないわ」
 仕方ないな、と二人はため息をついた。

 しかし、もし奨学金を返したあと、海はなにをするのかなとたまに紬は思う。
 これだけの美貌と才覚があれば、いろいろな仕事に就けるはずだ。
 まあ、そんなことを聞いても教えてくれなさそうだから聞かないが。
「じゃあ、どこで落ち合う?」
 セルバンテス号には地球を模したように作られている。
 ある意味、小型版の地球だ。
 ここはリトル東京。つまり、日本だ。
 東太平洋外殻までいくには最低でも一日半かかる。
 一度、日本最下層の外殻まで出てから、そこから移送機を雇うか。
 あるならばアルファの専用機に乗らないと間に合わない。
 専用機なら費用は最下層まで降りる便だけで済むけど、と紬は考える。
 移送機をチャーターするとなると貯めている貯金を崩さないといけなくなる。
 下、画面のもっと下。
 そう、紬が持つ指示書に対して、海の指が下へスライドしろと指示する。
 画面をスライドしていくと、明日の16時に第八ゲート。
 最下層行きの便に乗るように書かれており、電子チケットも添付されてある。
 海用に来ているならば、紬用にも用意されているだろう。
「あなた、自分の確認した方がいいんじゃない?」
「ああ、そうだな」
 忘れていた。
 自分専用のメールボックスをオープンする。
 脳内にあるバイオチップが体内のナノマシンを生体電流で制御し、各種ネットワークに繋がる仕組みだ。
「あった。じゃあ、海。 明日、会おう?」
「ええ、じゃあね
 遅れないでね?あなたの遅刻で賠償金とられるなんて、ほんとうにいやだから」
「遅れないようにするよ」
「その言葉を信じて何回も迷惑かかってるの忘れないでね?」
 と、海は毒を吐くようにして紬をにらみつける。
 あれ、食事は食べていかないのかい?
 そう悲しそうな顔をする祖母に挨拶をして海は帰って行った。

「紬」
 祖母が溜息をついて呼ぶ。
「なに、おばあちゃん?」
「あなたももう少し、ねぇ……」
 言いたいことは言いなさい、とでも言いそうな口ぶりだ。
「でも、ね。
 あたし、そういうの苦手だから」
「そうじゃなくて……。
 あなた、波瀬の名前もってるんだから。逆にして検索して御覧なさい」
 逆?

 波瀬 紬。
 ツムギハゼ?
 百科事典にアクセスして脳内で読んでみる。
 ー―ツムギハゼは、ハゼの仲間で唯一、フグ毒と同じテトロドトキシンを持っている。

「おばあちゃん……」
 紬は思った。
 祖母はあたしの部類に生きる人間じゃない。間違いなく海の同類だ、と。


「ひでえ……」
 ロケットの中で紬は呻いていた。
 遠慮のない前時代的な猛烈なGに襲われて吐きそうだった。
 この現代に最低保全技術として配置されていて用いられているはずの重力制御装置はどこにいったのだろう?
 体内のナノマシンを総動員してこの強烈なアルファからの華麗なお土産に耐えているが、それも持ちそうにない。
「吐くなら、あっちにしてね」
 目の前のシートには、バディの阿古屋海が何重ものバンドで固定されて座っている。
 もちろん、紬も同様だ。
 この状況下で体内の異物を吐き出せば、確かに最初の被害者になるのは彼女だった。
「いや、我慢す、る……」
 なんでこうなった?
 あまりにもひどい送迎に紬は少し前の記憶を手繰り寄せた。
 あれはそう、第八ゲートについた時からこの悪夢は始まったのだ。 

 アルファの指示書には第八ゲートに16時に集合とあった。
 最下層行きの。
 その表記からこれまでの通例に則って日本最下層外殻行きのエレベーターに乗った二人。
 数時間かけて外殻に行くとそこからアルファの用意したチャーター便に乗り換える。
 二週間作業を同じくする他の期間工たちと合流して現場に向かう。
 それが通例のはずだった。
 しかし用意されていたのはーー
「え、なにこれ?」
 最下層行きの第八ゲートに鎮座していたのは、はるか数世紀前の遺物。
 大気圏脱出用の数人乗りの打ち上げ方衛星軌道行きのロケット便だった。
 まだ転送技術がなく、惑星軌道上にある宇宙船にパイロットを移送するために使われた代物だ。
 もちろん、重力制御技術なんて開発されてないからそんな機能はついてない。
「二十二世紀の遺物じゃない。まだ動いてたんだ、これ」
 海が検索した資料から照合してみたらしい。
「マンホーム(地球)時代の航空機だってこと!?」
「そう。でもこれを動かすのは化石燃料とか水素ガスだったはず。いまのセルバンテス号では使用が禁じられている燃料よ」
「でも……」
 係員がさっさと乗れ、と合図する。
「多分、レトロなだけで中身は最新でしょ? 行きましょ?」
 海はさっさと荷物を持って乗り込むための階段を昇っていく。
 いやあ、海、おまえ気づいてないよと紬は心中で呟く。
 海の大丈夫は、常に大丈夫だった試しがなかっただろう? と。
 そしてロケットは出発しーー

「やっぱり大丈夫じゃなかったあああっ!」
 紬の第一声はその悲鳴から始まった。

 その移送機はまさしく、ロケットだった。
 水素だか石炭燃料だかヘリウムだか知らないが。
 ロケットは盛大な爆炎と爆風と爆煙をまき散らしながら打ちあがる。
 凄まじいGを乗組員である、紬と海の二人に叩きつけながら衛星軌道上まで数分かけて打ちあがった。
 段階的に補助ロケットを切り離していくタイプではなかったのがある意味幸いだったのか不幸だったのか。
 二人は育成機関で受けた耐G訓練の数倍の重力に押しつぶされそうになりながら天空の旅人になった。
 あとから気づいたのだが、あれでも重力制御装置は作動していたのだ。
 ただし、あくまで旧式のだが。
 そして赤道上付近まで打ちあがると、そこからは真横に半円球のセルバンテス号の真裏まで移動する。
 そして、太平洋外殻にあるミカン収穫場のアルファが担当する場所に近い発着場に着陸した。
 時間にして一時間かからない移動だった。

「さいってー……」
「もう、帰りはこれは嫌……」
 二人はぐったりしていた。
 これまでの収穫の期間工で経験した中でも三本に指に入るくらい酷い。
 ミカンの収穫場を襲撃してきた窃盗犯や密売組織と近接戦闘した時の次くらいの疲労感に襲われていた。
 確かに、これは最速・最短ルートだ。
 海も紬もそう思った。
 但し、二人の中での史上最悪で最低な、最速・最短ルートだった。
「あたしゃーもう帰りたくなったよ……」
 げっそりとしてロケットから降りてきた二人を迎えたのは、アルファの事務員の女性が二人。
「ようこそ、今期もお世話になります、波瀬紬さん、阿古屋海さん」
 にっこりと長い黒髪を後ろで束ねた彼女は言う。
 これまでにあったことのない事務員だった。
「あれ? いつものセナイさんは?」
 紬が不思議そうな顔をする。
 毎回、自分たちを含めた日本チームの面倒はセナイ・イルディーボ女史がとりまとめていたはずだ。
「セナイは北アメリカ担当になりました。これからは私、御門あずさが管理させて頂きます」
 御門あずさ。
 そう名乗った彼女をどうにも好きになれないと思う紬だったが、それは海も同じだったらしい。
「あの、御門さん。
 失礼ですけど、こんな移動方法はさきに通知するべきではないですか?
 重力制御装置も稼働しない旧型を使ってまで移送時間を短縮する必要はあったのですか?」

 何よりーー海は周辺を見渡した。
 通常ならば先着、もしくは同時に集結する日本チームの他メンバーが今回はいない。
 自分たち二人だけだ。海の質問に対して、御門はいえいえ、と否定する。
「重力制御装置はついてましたよ、あくまで、旧式の、ですけど」
 その笑みは海の怒りを買った。
「あんなのついてましたよ、なんて言えるレベルじゃないでしょ!? あなた、自分で体験されたらどう!!??」
 海がそう言うと、御門はああ、それなら、と返事をした。
「効率を優先することにしたのです、阿古屋さん」
 御門女史は自信に満ち溢れた表情で言う。
「効率? 収穫を効率化する為にわたしたちだけを優先した、と?」
 海なこの御門という女の態度が気に入らないようだ。
 それは紬も同じだったが、ここで帰る、とは言えなかった。
「そうですよ。でもそれは私が決めることですから。
 お二人には明日からの収穫に全力を尽くして頂ければ結構です」
 では、寮へご案内を、とアシスタントに促す御門を再度、海は呼び止めた。

「お待ちください、御門さん」
「マネージャー。私の役職はマネージャーですよ、阿古屋さん」
 立場をはっきりさせた方が話を理解できますか? とでも言うかのようだった。
「では、御門マネージャー。
 効率の意味ですが、これまで収穫時には収穫メンバーう警備メンバーとに分かれたはず。
 相互協力して任務に当たってきたはずです。
 明日から収穫を行うの指示に従いますが、わたしたちの警護はどこに?」
 ああ、それなら。と、御門マネージャーは少し先を指差す。
「今期からは別の警備会社に依頼していますからあなたたちが密漁者を見つけても戦う必要はありません。
 報告して頂くだけで、別の安全な区域で収穫を継続していただければ問題はありません」
 そうか、なら作業がやりやすくなっていいじゃん。
 紬はそう言う。
 確かに視線の先には有名な警備会社のロゴの入った、あまり見たことのない戦闘用と思えるMoSが数台配備されていた。
 でも海には何かが気に入らなかった。これまで日本チームは日本外殻で作業してきた。いきなり海外に飛ばされ、馴染みの面子にも会えない。
 少なくとも、わたしたちは世界有数の真空農作物収穫人コンビなのだ。
 これまでのアルファが二人に取ってきた扱いとあまりに差が開きすぎている。
「分かりました」
 返事は良い風にしておこう。でも、この待遇は気に入らない。
「では、宜しくお願いします」
 そう言って御門マネージャーは専用車だろう。黒塗りの社用車で去って行った。
「どうぞ、ご案内します」
 アシスタントの運転するオンボロの輸送車も、これまた乗り心地が悪いと来た。だが、紬はもっと居心地が悪かった。寮についても海は不機嫌だ。
 こうなると、彼女の機嫌が良くなるまで時間がかかるのだ。
「はあ……」
 つくづく、今回はついてなかった。
 
 寮に着いても、良い待遇は待ってなかった。
「あれ、なんだこれ?」
 紬は呆れた声を出した。
「破格の待遇ってこと、ね」
 海はあっさりとしている。まあ、こんなところだろうと予測していたような言い様だった。
「なんだよ、あんたにしちゃ大人しいじゃない」
 いつもと違うがどうにも不安だ。まだ怒りのおさまりがつかないのか。
 だが、返ってきた返事は別のモノだった。
「だって、あの御門ってマネージャーといい、あのアシスタントといいおかしいでしょ?」
「なにがさ?」
 案内された部屋はこれまで体験したことがないような貧相な室内だった。
 調度品といい、区切りといい、置かれている所蔵品の古ぼけ具合といい。
 まあ、よくこれだけ手入れを怠ったものだといえるほどにみすぼらしかった。


「だから」
「あたしはてっきり、あんたがこの待遇に腹立ているもんだと思ったんだけど、違うの?」
「違うわよ。たかが二週間じゃない。別に寝れればそれでいいわよ」
 おいおい、この発展した現代で寝る場所があるってのも寂しい意見だね。
 そう、紬は思う。
 というよりも、この目の前の絶世の美少女はそんな貧乏に身をやつしたことがあるのだろうか?何より、よくよく考えればこの二年のつきあいで紬は海のことをあまり良く知らない。まあ、仕事中もそんな大した会話をすることも少ないから仕方ないといえば仕方ないのだが。
「あんた、こんな場所でも寝れるほど神経図太い女だったっけ?」
 あたしは慣れてるか別にいいけど、と紬は続ける。
 地球にいた頃はここと変わらないくらい貧しい地域に住んでいたのだ。
「何よ、紬。人を金持ちの令嬢みたいな言い方するじゃない?」
「違うの?育成機関じゃ、あんたいいとこのお嬢様で通ってたじゃない?」
「そんなわけないでしょ。もしそうだったら、なんで奨学金借りたり、こんな命を張らなきゃいけない仕事に就く必要があるのよ」
 本当に見る目がないんだから、そう呆れて海は言う。
「なにさ、さっきから見る目、見る目って。ここみたいな待遇に怒ってるんじゃなきゃ、一体なにに不満なの?海ちゃん」
「ちゃんはやめて」
 気持ち悪いと海は身震いする。
「ちゃん付けで呼ぶならもう少しいい男性に言われたいわ。紬じゃ無理」
 あたしゃ、あんたみたいなめんどくさい女願い下げだよ。
 紬は心の中で呟く。
「何か言った?」
「いや、なにも」
 そう、と海はもってきた衣服や仕事道具を据え置きのクローゼットに仕舞始める。
「あなた、荷物は?」
 ふと、紬がベッドに横になったまま起き上がらないのが目に入った。
「あたしはそんなにないもん。服もさ。海みたいに化粧道具も多くないし。服なんて適当」
 そう言って紬は手荷物を開けてみせた。

 紬の手荷物の中身。 
 ズボンにシャツ、下着にまあその他いろいろ。
 基本的にナノマシンを作動させておけば、はるか昔に人類が行っていた入浴の習慣は必要ない。身体からでる汗やその他の排出物をナノマシンが分解してしまうからだ。その気になれば、食事なしでも数か月は生き抜ける。その程度には人類は進化していた。
「呆れた。そりゃインナースーツは必要だけど。あなた女って自覚あるの?」
 こんな色気のない同性を海は見たことがない。
 そんな目で海は紬を見てくる。
「ええ、一応、女ですけど。もう四回も同室なのに今更言うことじゃないでしょ、海ちゃん」
 紬は海の質問を、ふっと鼻で笑ってやった。
「あっそ。まあ、ゴリラでも何でもいいけど」
 さりげなく相手を毒を吐いてさりげなく物事を進めていく。しかも自分の意思で。この社会適正がほぼ皆無な気がするバディとやっていけるのはあたしくらいだろう、そう紬は思う。


 まあ、どうでもいいんだけど。いちいち、指摘しても本人には刺さらない。刺さるとしたら善意による、無二の優しさだ。しかし、紬はそんなエサを与える気はなかった。海はそういった要素も含めて全部取り入れて、舌戦へと導き勝利する天才だからだ。
 馬鹿と天才は紙一重。上手くこちら側で誘導してやればいいのである。

「で、おかしいって何がおかしいのかな、海ちゃん?」
「ちゃんはいらない」
「じゃあ、阿古屋海さん」
「名前に濁点つけたら殺すからね」
 こえーよ、海さん。そう紬は心で言ってやる。
「あれよ」
 海は壁際のセキュリティシステムを指差す。
 小さな、拳大くらいの四角いボックスに、生体認証やナノマシンによる波動認証。その他いくつかの複合型警備システムの室内端末。これを設置しておくことで、任意の人間しか出入りできなくする。前時代でいうところの、合金製の鍵の代わりになるものだ。
「ああ、あれ。古いね。うちのと同じくらいじゃない?」
 紬の自宅は築二百年程度である。
「ねえ、紬ちゃん。ミカンっていつから発生したか理解してる?」
「だいたい、かれこれ四半世紀じゃない?」
 だったら。と海はセキュリティシステムを指差す。
「あれ、おかしいと思わない?」
「思わない」
 ああ、なんて馬鹿なんだろう、この子は。
 一瞬、海は憐みの目で紬を見てしまう。
「なんで思わないの?ここ、東太平洋外殻なのよ?二世紀も前に使われた施設があること自体が異常でしょ?」
「違うよ」
「え?」
 意外な返事に海は戸惑う。何が違うというのだろう。
「ここ、東太平洋外殻じゃないし、あのセキュリティシステムも二世紀前のじゃない」
「は?」
 紬の発言に海は驚いた。

 紬は思わず海をからかいたくなる。
「いますごく間抜けな顔してるよ、海ちゃん。かーわいい」
「あんた、殴られたい?」
 あ、素が出た。
 いつもの丁寧語はこの粗野な内面を隠す仮面だと誰が思うだろう。
 これだけの美貌を持つ女神みたいな美少女に。
「心の声がでてるよ、海」
 勝った。少なくともゴリラ、と言われた程度には勝利を勝ち取った気分だ。
「いいじゃない、どうせ紬しか知らないんだから」

 そう。
 二回目のバディを組み収穫にあたっていた時に、数組の窃盗団に襲撃を受けたことがあった。
 もちろん、収穫兼戦闘も報酬には入っているから戦わなくてはならない。
 人間が普段隠している仮面の下の素顔なんてあっけなく出るものだ。よほど周到に訓練されたスパイであっても、どこかでミスをする。常人の海や紬が14-15歳の間でいきなり銃弾飛び交う戦闘に巻き込まれたらたとしたら。
 海のそんなうすい仮面なんてすぐに剥がれてしまう。
 仮面の下は更に冷酷で粗暴だ。それが阿古屋海という女だった。「そうだね、あたししか知らない」仮面の外れた人間は瞬間的には本能を晒せる。
 ‥‥‥でも、それは長く続かない。
 ある一定の時間を越えたら羞恥心と後悔で自分を閉じ込めてしまう。
 まるで、名前のように貝殻に閉じこもり、ひたすら仮面の修復に取り掛かる。


 その間、用意してある第三の薄っぺらい仮面をつけて取り繕うのだ。
 だから、周囲には誰も近寄らない、近寄らせない。
 そんな自分を知り、受け入れてくれる存在か。もしくは引かずに適当に受け止めてくれる存在以外は。海にとって紬はどちらだろう? 
 まだ、判別がつかないまま4回目のバディになって一日目だ。あと、二週間。本当に問題なく過ごせるのだろうか? 紬はそこに少しだけ不安を抱いていたがいまは忘れることにする。

「ま、いいんじゃない。それよかさ、あんたの推理間違いだらけ。どしたんさ、海。らしくないよ?」
 間違いだらけ? 何が違うのだろう。紬は窓の外を見ろ、そう指差している。
「あ……」
 海は気づいた。ここは東太平洋外殻じゃない。日本最下層外殻だ。ただし、相当中国大陸寄りの‥‥‥。「気づいた?」 ニヒヒと紬が笑ってみせる。

「いつ?いつ気づいたの?」
 と、海が尋ねる。
「え?シャトルから降りた時かな?」
 あ、信じられないって顔を海がしているそう思うと、紬は更に勝利を増やした気になった。
「なんで?」
「なんでって。じゃあ、海はどうやって気づいたのさ?」
「わたしは、リングの形状から」
 リング。このセルバンテス号の周囲を回る軌道上に設置された、ドーナッツみたいなやつ。潮汐や惑星自転・公転に必要な重力制御を司り、大気圏をその内側に存在させるための装置。
 そして、リングの外には力場と呼ばれる、一種の壁。前時代に流行ったSF的に呼ぶなら、バリアーがある。
 
「リング? あんなのどれも同じじゃない。色も形も。どうやって見分けれるのよ?」
 ふふん、と紬は指を振ってみせる。
「みんな気づいて無いだけだよ。
 第一リングは少し青みがかってるし。第二リングは内側が第三リングの外側と交差する時に多分、力場の関係だろうけど。少しだけ楕円になってる。第三リングは一番外側だけど、その分、力場と真空との距離が近いからこう」
 と、紬は丸めた掌の一部を外から押すような仕草をする。
「内側に凹んでる。少しだけ。で、その三本が交差してるとこを観察すると、いまどこにいるかとか。おおよその位置はつかめる」

 呆れた……
 自分でも知らなかったことをこの子は気づいている。
 しかも少しだけ空を見上げただけでそれに気づくなんて。
「で、誰がゴリラ?」
 あ、気にしてたんだと思い、海は紬に素直に謝った。
「ごめんなさい……」
「んーんーいいね、海ちゃん。素直ってそんなことを言うのよ」
 おーおー、怒ってる怒ってる。
 これでまたそっぽ向かれたら困るがまあ、それはないだろう。何故なら、謎解きみたいな推理物は海が一番好きなジャンルの小説だからだ。

 翌朝。
「あーだめだこれ。起きないわ」
 しょーがない、紬は行動を始めた。体力と筋力は紬が強い。片手、片足ずつ外して、その合間に丸めた毛布を詰め込んでいく。よし。どうにか解放された。
 時刻は午前三時。
 どうやってこの夢見るクジラを起こすか紬は考えていた。海の、寝相の悪さはまるで大きなクジラが大海を行くようだから‥‥‥
「まあ、たまには遅刻させるのもいいかなー」
 勤務用の仕度を始めると早いものですぐに数十分が過ぎる。そろそろ起きないとと思っていたら、目覚まし用のアラームがうるさいことうるさい事。
「うわー。こんな音量で毎朝やられたら近所の人迷惑だわ……」
 めんどくさいので、アラームの元になっている枕元のパネルを操作する。
 まあ、普段は自身の内側。精神空間にだけ鳴り響かせているのだろうけど。この子と結婚する相手や、恋人は苦労するだろう。いろいろな意味で。

「おーい、そろそろ起きろよー」
 返事がない。こういうときにとるべき手段はたった一つだ。ていっ、と布団ごとベットの外に蹴り出してやる。心配はない、この程度で怪我する鍛え方はしていない。何より、勝手に他人のベッドに侵入してきた海が悪いのだ。
「いったー……」
 案の定、海の目はほどよい感じで覚めてくれた。腰をさすっているところを見ると、お尻から落ちたのだろう。まあ、こっちが知った事ではないのだ。
「おはよう、海ちゃん。いま何時かわかる?」
 こっちは準備万端だよ、とジェスチャーで示してやる。
「え……」
 あれだけ自信満々に昨夜宣言していた海が見た時計の時刻は午前三時二十分。普段通りに化粧だの身だしなみだのを整えるのに海は二時間はかける。まず間違いなく、遅刻だ。
「ひぇっ」
 落とされた文句を言うのも忘れたらしい。慌てて自分の荷物を漁り、仕度を始める海を紬はふふん、っと気楽に見つめていた。
「あーもうっ!!! 寝ぐせ治らないじゃない! なんでもっと早く起こしてくれないのよ」
「そんなのあたしの仕事じゃないもん。髪型なんて流体を調整すればいいじゃない?」
 ナノマシンは体表面を常に流れる気流のように循環している。これを制御するシステムを流体システムと呼ぶ。
「それじゃ、自然なふうにしかならないじゃない。わたしはそんなの嫌なの」
 ふうん、大変だねと紬は嫌味と言ってやった。
「あたしは数世紀前のマンホーム(地球)時代の女性みたいに目の周りに化粧品の色素が沈着して、素顔になったらパンダみたいなんて嫌だけど。海はそんなのがいいの?」素肌だけでも周りがうらやむ美少女なのに。これ以上なにを気にするのか。ふと、海が手を止めた。
「紬、それ本心?」
 と、海は呆れたように言った。
「なんの話?」
 紬が尋ねるとこのクジラはさらに呆れたような声で話し出す。
「まさか気づいてないの? 紬だってそんなに長い睫毛に、濃い顔立ち。化粧するだけで段違いに変わるのに」
 勿体ない、そう海は言う。そうかと紬の反応は薄い?紬にはまったくその自覚はない。確かに祖母も、母も美人だとは思う。でも自分がそうなれるとは限らない。何より‥‥‥
 美人は自分の価値に気づいているものだ。幼い頃からその特性を知り、それを活かす生き方をしてきている。それがないということは‥‥‥と紬は考える。自分はひょっとしたら多少はいい部類かもしれないけれど。
 夢を見ても仕方ないのだ。上には上がいるのだから、と。

 そう、目前で化粧だの髪型だのに励むこの、阿古屋海のように。
 何より窮屈じゃないかとも紬は思う。
 そんなに時間をかけて一日の数時間、十数時間を過ごして、寝る時にはまた全部無くなってしまう。
 もちろん、たしなみとしてするべきことはするけれども。素のままで勝負できない自分にどんな価値を持つべきなのか。紬は同年代の女子に比べて、そこに意味を見出せずにいた。
「できた!」
 早い。時間にして三十分もかかってない。恐るべし、海の美にかける執念。紬は感心しながら嫌味を言ってやる。
「明日からは起こさないからね。ついでに抱き枕は自分で用意してよ」
 あたしはもう御免だからね。そう念を押して紬は階段を駆け下りる。
「ひどいじゃない、だって寝れないのに」
 海はそう言い訳をして追いかけてくる。寝れない? あんなに熟睡しておいて? そんな言い訳は通用しないよ、海ちゃん。あたしはちゃんと記録してるんだから。いざと言う時の切り札に、あなたの寝相の悪い画像を。紬の悪戯好きがさせた行動だった。


 午前三時五十分。
 十分前集合が日本の慣習だ。
 仕事前に打ち合わせをして、定時から仕事に入る。
 その打ち合わせは賃金に含まれない。あまりにも雇用者側に都合の良い慣習だが、雇われる側の弱みだ。そこに文句を唱えていては始まるものも始まらない。海は青を基調としたスイングスーツを着ている。
 スイングスーツとはMoSを操作する時に着用する肌に密着した宇宙服みたいなもの。基本的に体型にあわせたミカンファイバーから製造されていてそのままでは裸と変わらない。だから、上下合体している薄手のツナギという名前の全盛期から使われている服を身にまとう。

 これが真空作業用人型収穫装置、略称マン・オブ・スティール(MoS)のパイロットの正装である。対して紬は黄色を基調にしたスイングスーツを着用している。上に着ているツナギももちろん、黄色だ。よくミカンの外皮と似た色だから紛らわしいといわれるが知った事ではない。紬はこの色が好きなのだ。

「あれ、ねえ海ちゃん。どう見ても軍用のMoSなんだけど、これ‥‥‥???」
 紬が警護の担当官とやらの男性から、あれ使っていいから。
 そう言われて預かってきた起動キーを持って指定された場所へ行ってみるとーー
「そうね、これ最近、リトルアメリカで開発されて実用化されたやつじゃないかしら?確か、宇宙空間でも自己生成フィールドで亜空間移動可能なやつ、だったような気がするけど」
「なんでそんな最新鋭機がこんなとこにある訳?
 まあ、ミカンをむくには細やかな作業ができる最新型が良いのは間違いないけど。あたし、これ乗り方知らないよ?」
 不安そうに言う紬に海は呆れたような顔をする。そんなの脳内のバイオチップでネットワークに繋いでダウンロードしてくればいいじゃない、と。どんな最新鋭機でも、すぐに動かせるわよ。
 そう海は紬に指摘する。でも紬はそんなことは分かっていた。
「だから、そこじゃないの、海ちゃんーー。
 こんな最新鋭機のマニュアル、あるわけないでしょ?
 あってもセキュリティレベル高すぎてアクセスできないよ?」
「まあ、それはそうね、あ、でもこの起動キーって。
 もしかしてーー」
 ものは試し。
 海は自分の起動キーの割り当てられた機体にそれを差し込んでみる。
「ほら、見てよ紬。
 マニュアルも最初から装備されてるわよ?」
「ええ!?
 そんなに用意のいい機体ある?」
 海は意外そうな顔をして紬に言う。
「そりゃ、あるでしょ?
 これまでの機体にだって、ちゃんと操作マニュアルは常備されてたわよ?
 まさか‥‥‥見てないの?
 非常脱出用のマニュアルだってあったのにーー」 
 信じれない。
 海は心底あきれた顔で紬を見た。
「え、だって‥‥‥。
 動けばいいかなーって。
 どうせ、壊れても農協のだし?」
「呆れた。
 そんなこと言ってると、ミカンの開花する反動で宇宙空間まで飛ばされても知らないわよ?
 まあ、フィールドがあるから跳ね返ってくるだけでしょうけど。
 ほら、早くやりましょ?
 時間始まるわ」
「あ、ヤバっ」
 紬は慌てて自分の起動キーを機体に押し込む。
 全高い5メートル弱。
 その胸の部分に、操縦席がある。
 でも、ハッチとか出入り口なんてものはない。
 二人は、肉体を粒子化し、量子レベルでデータ化されて、内部に転送されるのだ。
 そして内部でデータが再現され、瞬間移動のようにそこに実体化する。
 もし、このMoSが破損した場合は緊急時には同じく外部に転送される仕組み。
 もちろん、その装置が故障したら?
 そんな心配もあるかもしれない。
 でも、問題はない。
 転送を司るのはMoSの機能ではない。海と紬の体内にあるバイオマシンがそれを可能にする。
 どこまでも安全に、作業効率を重視する。
 人類の最先端技術が産み出したこの恩恵を、二人は最大限に活かしてMoSを操作する。

「えっと。
 じゃあ、まず半径5キロ圏内のミカンをサーチして紬」
 作業は相棒の二人一組。
 片方が司令塔になり、片方はまず情報を集める。
「えーとーー海ちゃーん。
 中の希少糖が熟してるのが約30個。
 あとはまだ2日くらいかかりそうなのが40くらいかな?」
 レーダー波ならぬ粒子観測波を自分の機体からと、数個先の広範囲に飛ばしたデコイにぶつけ。
 その反応から紬は内部の組成を確認して答える。 
 ミカンはその個体によって、成長度合いが違う。
 この辺りのさじ加減はもはや職人技。
 カンの世界だ。
「なら、南東のやつから始めましょうか。
 近くの白色矮星からの陽光が上がってくるのは南西からだから。
 その方が熟しすぎて勝手に萌芽する前に収穫できるわ」
「あーーそれやだなあ。
 ミカンって開花する時のスピード半端ないもんねーー」
 紬は一度だけそれに巻き込まれてしまい、勢いよく宇宙空間へと投げ出された経験がある。
 まあ、その時はセルバンテス号の張り巡らせているフィールドのお陰で戻って来れたが‥‥‥
「あんなのに巻き込まれたらそれこそ一巻の終わりよ。
 じゃあ、これからやりましょ?」
「はいはい、じゃあ、粒子帯を出すねー」
 MoSに装備されている、ミカンのつなぎ目にそって色が変化する反応素を散布していく。
 それはオレンジ色のミカンに紫色の筋目が入るようで少しだけ毒々しいが上から下まで綺麗に筋目がついていく。
「あれ?
 こんなに大きな筋目の帯だったけ?」
 紬がふと疑問を口にした。
 これまで収穫してきたミカンの筋目は多くて12。
 しかし、これは6~8しか入らない。
「おかしいわね、こんな品種みたことないんだけど。
 データベースにもないわよ、紬」
 海も不審気な声になる。
「どうする、海。
 とりあえず、剥いてみる?
 まあ、そんなに連歌も要らないような気もするし。
 枚数少なければ、手間も減るしね?」
「うーん‥‥‥。
 やってみて、逃げれるようにアンカーだけ撃ち込んどきましょ?」
 そう言い、二人は姿勢制御用のアンカーを数本、周囲のミカンの幹に撃ち込み始める。
 いきなり開花して紬の二の舞は、海はごめんだった。
「じゃあ、やりますか」
「じゃあ、紬がリードでお願い。
 わたしは補助でいくわ」
「はいはーい」
 そう言うと、紬は自身の体組成を司るナノマシンの波長を、ミカンの持つ波長と連動させる。
 ゆっくりと、体内に血が巡るような感触でミカンの鼓動が紬の体内にMoSを通して入ってくる。
 次はその鼓動をMoSの機能を利用して増幅、ミカンへと返してやる。
 こうすることで、ミカンは萌芽の時期がきたと勝手に勘違いをし、萌芽の準備をはじめる。
 真冬の最中にたまたま暖かい日が続けば、春が来たと勘違いして開花する桜と同じ原理だ。
 それを海が波長の乱れがないように補正し、ミカンの萌芽スピードをなるだけ緩やかに進めて行く。
 こうしてミカンはその多層からなる皮を萌芽させ、その中心にある、希少糖と呼ばれるエネルギー塊。
 これをむき出しにする。
 あとはそれを安定化しつつ、運搬できる専用の筒に入れて回収。
 皮は農協の他の部隊が回収する。
 そういう手はずでこれまでやってきた。
 しかしーーーー
「デカイ‥‥‥」
 紬は信じられないものをみた、そんな声を出した。
「何よこれ、規格外過ぎない???」
 そう、その希少糖は普段、収穫しているものの数倍は大きかった。
「どうしよ?
 筒の中にはいらないよ、これ?」
 うーん‥‥‥。
 海は考える。応援を呼ぶべきかそれともーー
「あ、そっか。
 いいよ、海ちゃん。わかったわかった」
 え? 何がわかったの?
 海には紬の言動が理解できない。
 紬は筒そのものを転送の容量で粒子化させて量子レベルでデータ化させーー
「えーーーー!??
 そんなの反則よ!!!」
 とそれを見た海は叫んでいた。
 紬はそのデータを基にして、そこいらに漂っている陽子や様々な粒子を素材に‥‥‥
 その希少糖が入るサイズへと、筒を拡大させていたからだ。
「反則でも何でもないよ。
 だって、転送の要領で、縮小できるなら、巨大化もできるでしょ?
 生物出ない限り、その組成データは変わらないんだから」
「あんたって、時々、とんでもないこと思いつくのね‥‥‥」
 天才とバカは紙一重。
 そんな言葉を思い出した海だった。


 にひひー、と笑い紬はそれを誇らしげに持ちあげる。
 普段からおバカなんて言われてるけど、これでも役に立つでしょ?
 そう言わんばかり海に視線を送ってくる。
 一言誉めてよ、と。
「あーはいはい、凄いわ。
 よくできました」
 MoS越しでの会話だから実際はそんな視線なんてわからない。
 でも、海にはこの紬の言いたいことやりたいことが何となく理解出来てしまう。
 自分の中にある毒をはくどうしようもない醜い部分を、それいうものだとわかっていながら側にいてくれるから。
 なんであんた、男じゃないのよ?
 海はときどき、そんな思いに駆られる。
 あの、毎夜の紬をだきまくらにできる瞬間こそが、なによりの醍醐味。
 この任務に参加する、さいだいの楽しみなのに。
 多分、この想いはとどくことはないだろうし、話すこともない。
 長い人生の、ほんの一瞬のきらめきとして記憶に残ればいいのだ。

「で、どうするの?
 全部そうやって物質変換してたら、容量なくならない?」
 MoSの燃料もそうだし、それを管理する紬の流体システムにも負担がかかる恐れがある。
 おいそれと全部を置換させ拡大化するのは、不明な点が多すぎる。
 システムがそれに完全に対応するかどうかもわからない。
「うーんと、ね。
 でも、ほら、それなら中の希糖にたくわえられたエネルギーをそのまま利用したらどうかな?」
 またこの子はとんでもない案を思いつくんだから。
 海はため息をついた。
「ねえ、紬?
 あれ、いつも収穫してるものの数倍以上あるのよ?
 理解してる?
 あの中に収まってる質量の密度。
 あの大きさだと、このセルバンテスの外壁を一部にかなりの大穴あけるわよ?」
「えー‥‥‥。
 なら、ミカンの中でやればいいんじゃない?」
「はー‥‥‥?」
 思わずまぬけな声を出してしまった。
 海はそのミカンの中で、という意図を理解しきれていない。
「だからー、まだ開いていないミカンの中に希糖とこの筒を転送してですねー。
 で、中に筒を拡大化しつつそれの置換と拡大に必要な粒子を精製するエネルギーは、希糖からもらって」
「で、そのなかに希糖を再度、転送してから、また外部に取り出す?
 それなら最初から、ミカンの中にある希糖に照準を合わせてーー」
「それだ!!!」
 二人の声が重なった。
 それが可能なら、わざわざこんなめんどくさいMoSを操作して、皮をむき、中から希糖を取り出す。
 そんな何工程も手間暇かかるやりかたをしなくていいのだ。
「それにそれが可能なら、あとはかってにミカンが萌芽するにを待てばむく作業だって」
「本当に、あんたは天才なのか馬鹿なのか分からなくなるわね‥‥‥」
 にひひーと変わらない紬の笑い声が聞こえる。
 あきれたもんだわ、まったく。
 海はそう思った。
「しかし、なんでこんな簡単なことを誰も思いつかなかったんだろ?」
 そう紬は海にぼやくように言う。
 このやり方がこれまでに開発されていれば自分たちがここまで苦労して、農協に入るための養成機関を卒業しそのために必要な奨学金なんて借金を背負わなくてもよかったはずだと。
 そう相棒は通信の向こうでぼやいていた。
「あのね、紬。
 わたしたちが見つけたから、よかったんじゃないの?」
「どういうこと?」
 あなたもう少し考えなさいよ。
 あきれて海はためいきをついた。
 しかし、MoSを動かす手は緩めないまま通信を返す。
「いい?
 まだ成功するとは決まってないのよ?
 これまでミカンの内部スキャニングはできない。
 それはわかっていたでしょ?」
 うーん、それなんだよね。
 そう紬は言葉を濁す。
 それはある方法でできることを、実は知っているからだ。
「あんた、あれやるつもり?
 わたし、あれは‥‥‥」
 あまり、やるには自信のない海はできるならしたくないと言う。
 失敗したときの反動などで、なにか問題が起こることは無い。
 ただ、恥ずかしいだけなのだ。
「いいじゃん、あたしが先にするから、あとから載せるだけでしょ?
 なんで嫌なの?」
 だってー、と海はらしからぬ言葉を発する。
「嫌いなんだもの。
 自分の声が‥‥‥」
 ふうんそうなんだ。
 紬は言う。
「あたしも好きじゃないよ、自分の声。
 でも、海の声は好きなんだけどなあ?」
 え、そんなこと言われたら断れないじゃない。
 なんでドキドキするんだろう。
 紬に、ふとした瞬間に褒められたら‥‥‥心があのセルバンテスの中に人工的に作られた青空の中を舞い上がっていけるようなそんな感覚になる。
「紬のばか‥‥‥」
「なんでばかなのお???」
「うるさいの、なんでもない!!」
 いきなり不機嫌になる海の態度は毎回だ。
 こんなにも可愛い海を抱きしめて寝れるのが実は、この任務機関中の紬の唯一の楽しみであることは彼女には内緒である。
 さて、そうなると用意をしなくてはならない。
 二つのMoSの出す音の周波数を微妙に合わせなければならない。
 紬の声を主軸にして、それを補整するように海の機体を調整する。
 『連歌』
 そう二人はこの技のことを呼んでいる。
 別に歌う訳ではない。
 ただ、最初に紬が出した音声にハモるようにして海の声がそこに補整するように重ねてやる。
 二人の声のハーモニー。
 その音は、ある音と共鳴する。
 それはミカンが出す、おしべがめしべを呼ぶ音。
 ミカンは片方だけでは実を成さない。
 必ず、その張り巡らされた枝のような、植物でいうところのツタのようなものを伝って、種を届ける。
 その時に出す音があるのだ。
 その音の中には、幾種類かのものがある。
 紬はある作業中に、希糖へと種が届く音を拾ったことがある。
 それをミカンに当てて照射?
 いや、放送とでも言うべきか。
 その音を聞いた希糖は、自分の居場所を知らせる音を出すのだ。
 まるで、種を待ち望んでいるように。
 これまでは、内部の希糖にもし種が到達していればそれの価値が半減するからその判別に二人だけの秘密として使っていた。
 だから、二人は農協のエースパイロットとして収穫に何度も呼ばれていた。
 それがこんな形で役に立つとは‥‥‥
「やっぱりあなたは天才だわ、紬」
 相棒を誇らしげに思い、そう海は呟いた。


 海と紬がその方法を使い、サクサクと作業をすすめて数日。
 普段よりも質が良く、またそのサイズがどう考えても通常よりも多い希糖を集めている二人のパイロットを、御門が訪れた。
 収穫をそろそろ終えよう、そういう時間帯だったから、二人はMoSから降りて寮へと戻ろうとしていた。
 寮の入り口で車を降り、二人を円満の笑みで迎える御門は‥‥‥
 海だけでなく、紬にとっても不気味だった。
「お二人とも、お仕事ご苦労様です」
 丁寧な会釈が更に不気味さを増した。
 ここが、当初の予定地でなかったまま業務を遂行してきたことも。
 二人にとっては、御門への不信感を募らせる要因でしかなかった。
「まだ契約期間はあるからね。
 戻って寝たいから。
 何かあるなら、早く済ませてくれない?」
 海が口を開くと、問題がさらに大きくなりかねない。
 紬が嫌味を込めて、御門にそう言った。
 ああ、それならと御門は部下にあれを、と言い何かを差し出させる。
「なによ、その変な球場の機械‥‥‥?」
 海はそれとどこかで見たことがある。
 あれはどこだっただろう。
 幼い頃の記憶。 
 まだ孤児で、廃棄された物の山から売れるものを漁りスクラップ屋に売りに行く。
 そんな生活をしていた時分の記憶だ。
 スクラップ業者が、不良品をまとめて溶鉱炉に放り込むために使うーー
 指向性の範囲指定型の転送装置!?
「はい、お疲れ様。
 あなたたちはいい役割をしてくれたわ。
 新種のミカンの採取方法を漏らさず教えてくれた。
 これで、うちの農協はますます儲かる。
 で、用済みには、ね?」
 御門は笑顔を絶やさず、そのスイッチを入れる。
「紬!!
 すぐに宇宙空間でも動けるように流体システムを起動して!!!」
「はえ?
 なんでまた?」
 しかし、バディの反応は早い。
 その装置が二人を包みこんだ時ーー
「あら、まあ‥‥‥生きながらえれるかしら?
 さあ、あなたたち。
 収穫したものを運ぶわよ」
 御門は不敵に笑い、部下たちに指示を飛ばした。


「参ったねー海ちゃん。
 どうする?」
 紬が自分と海の二人の流体システムを二重に高速回転させ、光に近い速度で周囲を覆う膜のようなものをつくりあげていた。
「あなた、本当に天才を通り越してどうするのよ。
 こんな中にいたら時間からも永遠に弾かれるじゃないの!!」
「だって、あのままだとセルバンテスのシールドの外に出て、数日で二人とも死んでたよ?」
「うー‥‥‥紬のばか。
 もうこうなったら宇宙風でもなんでもいいわ。
 ほとんど、物理法則から解放された状態じゃないの。
 あれ‥‥‥でも、内側の渦の質量はどこにいくの?」
「それは簡単、あの二重の渦の管理システムに利用する。
 とまあ、時間が止まった空間にいるなんて変な気分だね?
 ところでー」
 と、紬は言う。
「海はさ、優樹菜が嫌いだって言ってたでしょ? 
 外見が女で、心が男で。
 でも、もしあたしがそうで、海を大好きだって言ったら‥‥‥嫌いになる?」
 あ、あんた、こんな時に‥‥‥
 海は呆れてものが言えない。
 そんな告白をする瞬間でも、シチュエーションでもないし。
 もっと場所を選んでよ。
「答えは、ノーよ」
 馬鹿な紬。
 もう、これからは誰かに。
 人類の科学技術を越えた誰かか、どこかの惑星か。
 生きることのできる場所に辿り着けるまで。
 もしかしたら、永遠に一緒かもしれないんだから。
 そう言い、海は優しく紬を抱きしめてキスをした。
                                 (了)


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