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つれないつり(12) ヤマメ

真名川の真ん中を歩く。前方にまっすぐ川が伸びている。上には広い空が広がっている。瀬に陽の光があたり、つややかな丸石が光を帯びる。前方の大きな石にむかってスピナーを投げる。水中で光り輝く金色のブレードはそのまま下流に流されていく。パクンと魚が食った。少しだけ重みを感じる。流れの中から銀色のものが出てくる。小指ほどの小さなヤマメだ。体に合わない大きな針をくわえている。体全体は銀色で下半分にだけうっすらとオレンジが塗られている。縦の楕円がエラの少し後ろから尾びれまで配置されている。その楕円は虹のような、今にも消えてしまいそうな水色である。淡いオレンジと水色がほのかに発光しているようにも見える。本当にどうしたらこんな配色が生まれるのだろう。私は魚の中でヤマメが最も美しいと思っている。

流れの速い川の中の大きな石の影か、石の手前をヤマメは好む。イワナは岩陰に隠れて流れをかわす。私がずっと狙っていた水の溜まりにはイワナもヤマメもいなかった。いたのはウグイだけだった。ヤマメは流れの中にいる。こんなところにいたら流されてしまわないだろうか、と思うほどの場所にもいることがある。だから、泳ぎが上手だ。速い。イワナに比べてよく引く。岩陰から急に、颯爽と現れ、ルアーを食う姿は、まるでシャア専用ザクのようで、神出鬼没で、速く、優雅で、攻撃的である。「山女」と書くが男性的である。ヤマメが速い流れにいる理由は酸素量が必要だからだ。流れのある方が酸素が多く、ゆるやかなほど酸素が少ない。海の魚も同じで、青物といわれるブリ、サバなどは泳ぎが速い。エラにたくさんの酸素を通すために自らが一生懸命泳ぐのである。一方、底物と言われる、ヒラメ、カレイ、カサゴなどは底でじっとしている。人間にもずっと動いてなくてはならない種の人間と、じっとしているタイプの人間がいる。私は前者のタイプである。

小さなヤマメから 尺ヤマメといわれる30センチを超えるヤマメも釣り上げた。ヤマメは大きくなればなるほど美しい模様が消えてただの銀色になる。下アゴが出てより獰猛な姿になる。まるで銀鮭だ。食べると美味でサケに似ている。


宮城と山形の県境で用があった。よく調べてみると、川がたくさんある。釣り以外やることがなさそうだったので、スーツケースの左半分にウェーダーとウェーディングシューズを入れ、フォーマルな打ち合わせがあったので右半分は背広と革靴を入れた。

地元の人にポイントを聞いた。魚は多いが熊も多いということだった。その中でも民家に近く、できるだけ視界が開けている沢を選んだ。左は田畑が広がっている。右にはクマザサが覆い茂っている。万が一何かが出ても対処できるように、右に注意を払いながら川を上がっていった。上流へと歩いていく。美しい沢だった。落ち込みに投げる。食いついたのはイワナだった。ヤマメがいると思ったが、イワナの沢だったようだ。

ちょうど流れ込みがあるいいポイントがあった。投げようとすると、ガサゴソと音がした。大きなものが動いている音だった。私は急いでルアーを回収した。その場を立ち去ろうと思ったが、川の真ん中で動けなかった。。水の音が先方を刺激するかもしれない。とりあえず、その場にいることした。クマザサが擦れる音が大きくなる。こちらへ近づいてくる。クマザサというのは熊が食うからクマザサなのだろうか。熊がよくいるからクマザサなのだろうか。熊が出てきた場合は死んだふりはいけなかったよな、目線を合わさずじっと見つめながら後退りして距離を離していくんだったな。とはいえ川の中だからどうしようか。後退りしてもし川が深かったらどうしよう。いっそ竿で叩いて脅すという手もあるのか。

クマザサの中から大きなものが出ててきた。真っ白だ。熊ではない。鹿に似ているがよく見ると鹿ではない。カモシカだ。とても堂々としていた。私をじっと見ている。熊ではなくてほっとしていたものの、心臓の鼓動は速い。心を落ち着けなくてはいけない。私は深呼吸をした。

カモシカが私を見ながら首を振った。川の上流のほうに何度も振った。

「ほら、投げてみろよ」

私を試していた。

カモシカの指示に従って投げることにした。小さな流れ込みが合流するところを目指して投げた。いい場所に落ちた。すぐにアタリがあった。柔らかい竿がしなる。水面をジャンプする。しっかりと重い。いいサイズだ。左の流木の方へ動こうとする。そこへ回られると糸が切られる可能性がある。とはいえ、強引に巻くと切られそうだ。右へと誘導しながら、リールを巻く。うまく流木から離した。素直にこっちに引き寄せられる。タモに入ったのは美しいヤマメだった。体高が高く、端正な楕円を描いている。大きさの割には美しい模様は残っている。

白いカモシカはずっと私を見ていた。

「なかなかいいヤマメじゃないか。ほら、言った通りだろ」

カモシカは言っていた。

針を外し、ヤマメをリリースした。カモシカは黒目ばかりの潤んだ眼で私を見ている。

「どうしてお前は魚を逃したんだ。食べもしないのに魚を釣るのか?」

カモシカは私に問いを残して、クマザサの奥へと戻っていった。

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