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ベルント&ヒラ・ベッヒャー私史/3の2

(タイトル写真はPHILLIPSのWEBサイト引用キャプチャー:[https://www.phillips.com/detail/BERND-AND-HILLA-BECHER/UK010117/10])
大学生協の書籍コーナーで出会った1枚の写真から、すっかり心酔してしまったベルント&ヒラ・ベッヒャーの作品。調べていくと「1990年のベネチアビエンナーレではあの写真の作品で彫刻部門の賞を受けたらしい」みたいな話も出てきて、余計に「ベッヒャーかっこいい!」って気持ちは高まっていく。

1995年の夏に清里現代美術館に行く機会があって、そこはヨーゼフ・ボイスをはじめとするフルクサスの作品がたくさんあって、ドイツの作家の作品も積極的に収集している感じだった(この記事を書くのに改めて調べてみたら、清里現代美術館は2014年に閉館しているよう。開館していた当時の様子は、こちらにありました)。

で、あった。ベッヒャー夫妻の給水塔。念願の作品とのご対面。あー思ってたよりも小さいんだな。もう離れたくないなー持って帰りたい。うっわー奥の方もしっかり写ってんなーあーマジカッコイイ。ちなみに清里現代美術館は、他の所蔵作品も本当に素晴らしかった。フルクサスが充実してたし、もの派もあったし。ボイスのコヨーテを使った映像作品はここで初めて観た気がする。あれもカッコよかったなー。

1996年。川崎市民ミュージアムの「遠・近 : ドイツ現代写真展」でベッヒャー夫妻とその生徒たち(ベッヒャー派=ベッヒャーシューレとか言われる)の作品を観た。ベッヒャーの作品はもちろん、トーマス・シュトルートとかトーマス・ルフとかアンドレアス・グルスキーとか、なんかすごい生徒たちがいることがわかった。トーマス・ルフ、知っていたけどベッヒャー夫妻の学生とは思ってなかった、たぶん。そして展覧会に合わせる形で、美術手帖1997年3月号「 特集:ドイツ写真 ベッヒャー以後 」が出た。

私にとっては、怒涛の情報収集の時期となった1995年から1997年初頭。ベッヒャー夫妻はドイツはデュッセルドルフ美術アカデミーで教鞭をとっている、ということもわかった。当時の私は21歳とかそんな歳だ。そうなるともう、ベッヒャーシューレになりたくなるのは必然ではないか。ベッヒャーシューレになりたい、でもどうやってなったらいいのかわからない、ネットもなかったし。思いだけが膨らんでいく、下北沢の日々だった。

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