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ベルント&ヒラ・ベッヒャー私史/3の3

(タイトル写真はTHE ART STORY Modern Art InsightのWEBサイトより引用キャプチャー:[https://www.theartstory.org/artist-bernd-hilla-becher.htm])
ドイツのデュッセルドルフ美術アカデミーに入りたい、と思うも、どうやったら入れるのか皆目見当がつかない。ベッヒャーシューレになりたいけど、なる方法がわからない。色々調べたら、どうも推薦人が2名以上必要、ドイツ語の試験がありそう、みたいなことまではわかった。いやいや、デュッセルドルフ美術アカデミーに推薦できる人なんてどうやって見つければいいんだよ。

当時、東京町田の和光大学の学生だった私は、針生一郎先生に相談したように記憶している(針生先生を画像検索すると当時の先生のお姿が改めて思い出される)。針生先生は、ヨーゼフ・ボイスが来日した際に対談していたような記事が昔の美術手帖に載っていたし、そのヨーゼフ・ボイスはデュッセルドルフ美術アカデミーの学生から教授になった人だから、なんか繋がりがあると思ったのだった。針生先生の授業は1年生から受けてはいたけど、ほとんど直接話をしたことはなかった。ゼミに顔を出したこともあったけど、面識があるわけではなかった。なので勇気を出してお願いに行ったんだけど、了承したのかどうかよく分からない返事しかもらえなかった。

一時期は親にも相談したりして大袈裟に「俺はドイツに行くんだ」というようなことを口にしていたものの、結局のところ色々当たってみたけど、デュッセルドルフ美術アカデミーを受験することすら叶わなかった。高校受験でも、大学受験でも、まあそここその挫折というか、失敗というか、受験はあんまりうまく行かなかった。ただ今回は受験すらできない、という状況で「頑張っても突破できない大きな壁」を痛感する出来事になった。

その後、奈良美智さんがデュッセルドルフ美術アカデミーでペンクに師事した、みたいな話を聞くことになるんだけど、どうやって入学されたのかいまだによく分からない。そこで、そんな流れにならなかったこと。それもまた人生なんだろうな。行ったら幸せだったかどうか、そんなこともちろん誰にも分からないんだけど、そんなことを何度も経験して座右の銘は「人間万事塞翁が馬」なんだけど。そんな感じで、今ではベッヒャー作品のファンのひとりです。

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