20歳高卒自衛官が大学を受験する話 part2

こんにちは。


もうすぐ徴兵から解放される20歳、神崎昴です。


あ、ちなみに神崎昴という名前はいわゆる「ペンネーム」です。高校の時音楽活動してた時に使ってた名前です。なんか中2臭いかもしれませんが、僕が中3の時に考えた名前なのでそれは仕方ない。他にいい名前も思いつかんし本名でやるのもなんか違う気がするから我慢してください。まあそんなことはどうでもいいんですが、、


自衛隊に入って2年。クソみたいなこともたくさんありましたが、その分楽しいこともたくさんありました。本当に濃い2年間を過ごしたと思います。もうほんとに名残り惜しい気持ちで、、、、


って、あれ??自衛隊辞めるんはいいんやけど


進路まだ決まってない


まだ自衛隊生活を振り返る場合ではなかったのです。

先日公開したnoteでは、

大学受験を決意しました!!


と、大々的に宣言したのですが


退職1ヶ月前にしていまだに大学が決まっていない。


実は言うと、先日(2月17日)


大学の合格発表がありました


受験したのは

関西学院大学人間福祉学科人間科学科

だけです。

あれ、他には受けてないの??滑り止めは??てかなんで合格発表は終わったのに進路決まってないってどういうこと??と思う方もいるかもしれません。どういうこと??とおもったままにしておいてください。結果はこの大学受験シリーズを最後まで読み続けてくれた徳の高い方にしかわからないようにしておきます(笑)


何を思ったのか、全く滑り止めを受けなかったのです。受験勉強自体は夏頃からスタートしていたのですが、仕事と受験勉強の両立は想像以上に厳しく、また恥ずかしいことながら、多額のお金と20歳という年齢を手に入れた私は俗世の様々な誘惑に打ち勝つことができませんでした。(やっぱり18歳。18歳が1番受験に適した年齢やと思います。)そのため一旦自衛隊を除隊してから、


1年予備校に通い、本格的な受験は来年度行う予定でした。

つまり、今回の受験は俗に言われる

「記念受験」  


のつもりで、私の第一志望校である関西学院大学の国語と英語だけで受けれる唯一の学部である「人間福祉学部」に出願しました。なかなか本腰を入れれずにいた自分に喝を入れるためには、実際に大学を受験し、失敗するしかない。そんな気持ちで受験料の35000円を関西学院にぶち込んできました。

もちろん他の大学を今年受験するというのは全く考えませんでした。産近甲龍も。なんなら摂神追桃も合格できる気がしなかったし、もう俺も20歳。確かに社会人経験はあるとはいえ、年齢的には2浪扱い。関関同立以上の大学に行けないとわざわざ自衛隊を辞める意味はないかなあと思ったわけです。しかも予備校代と来年度の受験料も自費で捻出せんとあかんのにこんなところでお金を必要以上に使うわけにはいきません。

関西学院大学。ちょうど2年前。僕が高3の時、一般で関学を受けた受験生だった周りの私の同級生たちはことごとく敗北していった記憶があります。なかなか手強い相手だということは重々承知していました。


しかしながらやるならば本気でやりたい。しかも上司、先輩、同期、後輩の前で高らかに「関西学院大学の受験」を高らかに宣言してしまったため、もう後には引けない。幸いなことに国語と英語は比較的仕上がっていた方ではあったので、できる限り単語、熟語を詰め込んでひたすら過去問演習すればワンチャンいけるんじゃないかと。

出願してからの1ヶ月、使える時間全てを費やし勉強に取り組みました。幸いなことに年が明けてから受験当日まで、山に籠っての泊まりの訓練は入っていなかったので、特に崩れることなく、朝起きてから仕事が始まるまでは英単語、古文単語を詰め込み、業務中に脳内でそれを反芻し、仕事は終わってからは過去問や問題集でひたすら演習を繰り返すというルーティンを確立させることができました。しかも自衛隊の寮は1人部屋ではなく、私の部屋は4人部屋だったので「お前らに俺の勉強してる姿を見せつけてやる!!」と言んばかりに、同部屋の隊員を威嚇していていました。多分1人じゃ続かなかったでしょう。そういう意味ではこういう集団生活、意外といいかもしれません。なんだかんだ先輩も同期も後輩もみんな応援してくれました。感謝しています。


ただやはり関学。そんな甘くはありませんでした。何度も何度も過去問を解いても点数は上がらない。確かに少しづつ読めてきているような気はする。確かに読めてる気がするんだけど、なかなか点数は変わらない。手応えのある時でも5割。そんな日々がずっと続きました


part3へ続く









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